私はその晩、都古さんが帰って、私もお母さんもお風呂に入ってそろそろ就寝する、そんな雰囲気の中で何気なくお母さんに聞く。
「そのー……お母さん」
「なぁに?」
機嫌よさげなお母さん。まあ、そりゃ久しぶりに幼馴染に会ったりすれば機嫌よくなりもするか。私がリビングを去った後も話は盛り上がっていたようだし。
そんなことを考えながら口を開く。
「秋都さんってどんな人だったの?」
「あら、気になる?」
お母さんの目が輝く。
「超気になる。お母さんも関わりあったんでしょ?」
そう問いかければ、お母さんは「んー」と考えるような声を上げた後私を指さす。
「ミルクティーを淹れてくれたら教えてあげるわ」
「もー、りょ」
お母さんの言葉に私はおとなしくミルクティーをいれるために、台所に向かう。そして、ちらり、とお母さんの表情を伺う。お母さんの表情はいつもより活き活きとしていて。死人の話題を振ったことで暗くなることを予測していた私は驚きながらもお湯や茶葉の用意をするのだった。
そんなこんなでお母さんのミルクティーのついでに自分のミルクティーも淹れて。2つのマグカップを手にリビングに戻る。1個はお母さんの前に、1個は私の前に置いて、ソファに腰かける。
「そうねぇ、秋くんの話かあ……」
母のどこか懐かしむような、ちょっと照れが入るような声に、なるほど、お母さんとも関りが深かったのか、なんて勝手に推察する。
「そうねぇ……私、最初に友達になったのは秋くんの方だったの」
「む?でも、お母さんと都古さんは幼馴染で……」
「秋くんと出会って、しばらくして都古ちゃんが生まれたのよ。私が小学校高学年のころだったかなあ……」
(あ、だからか……)
私は納得する。なんとなく、都古さんがお母さんより若く感じたのはあながち間違っていなかったらしい。つまりは、都古さんとお母さんが幼馴染というよりは、秋都さんとお母さんが幼馴染というのが正しいのだろう。
「世那から想像つくか分からないけど……お母さん引っ込み思案だったのよ」
「いや、それは知ってるし」
それは流石に知っている。いや、私の生まれる前のことまで行かれると微妙なんだけど。でも、お母さんが人に強く出れないことも、そのせいでクズ(らしい)のお父さんに引っかかた、というか丸め込まれた(らしい)ことも知っている。
「だからね、何処へ行くにも秋くんが引っ張っていってくれたの」
ああ、お母さんにとって秋都さんの存在はとても大きい存在だったのだろう。母の視線、声音がそれを全て物語っていた。好意さえ滲み出る母の声音に、私の中でふとした疑問が生まれる。
「……お母さん、秋都さんのこと好きだったん?」
私の問いにお母さんは鼻から息を深く吸う。そして、ちょっと曖昧に笑うのだ。
「そうね……好き、だった。って過去形にしちゃうのが勿体ないと思うぐらいには?」
「え~むっちゃ好きじゃん!」
母のコイバナについつい私は前のめりになってしまう。
「告白とかは?」
「してない……というかできなかったのよね」
「できなかった?」
お母さんの言葉に首を傾げる。引っ込み思案な母が告白できなかった、しなかった、というなら理解はできる。だけど、できなかった、その言葉は不自然だった。
「これ、都古ちゃんに言っちゃダメよ?」
「言わないよー」
都古さんには言わない、秋都さん本人だろう隼人には多分いうことになるだろうけど。そんな含みにお母さんは気づかずに、ミルクティーに口を付けてから語り始める。
「私たちが高校三年生の頃ね、秋都さんと都古ちゃんのご両親が亡くなったのよ」
お母さんの顔をついつい見れば、お母さんは悲しそうに視線を伏せていた。
「とてもいい人たちだったわ、幼い時から私のことも面倒見てくれて、いけないことをしたときはしっかり叱ってくれて……本当にいい人たちだった。だけれど、神様って意地悪ね。ご両親が買い物に行ったとき、飲酒運転の車の事故に巻き込まれて亡くなったのよ。高校生の秋都さんと幼い都古ちゃんを残して」
お母さんが言葉を区切る。
「そこから秋都さんの人生は変わってしまったわ。大学受験から就活に切り替えて、私に頭を下げて、都古ちゃんを私に頼んで」
それは———。それは確かに、色恋どころではない。人生の一大事である。
「秋都さん、大学に行くことを楽しみにしてたわ。カードゲーム?サークルに入って、彼女も作るんだ!って……大学に何しに行くんだか、って気もしたけど……そんなことも語れない状況に追い込まれたの。そんな秋都さんの助けになれば、って私は都古ちゃんに寄り添ったわ」
だから、都古さんともあんなに仲がいいのか。納得だ。
「まあ、でも、都古ちゃんが中学生になっちゃえば部活だなんだ、って縁も遠くなって。秋くんもブラック会社での労働の日々で連絡を取らなくなっていったのよね」
お母さんはミルクティーで唇を湿らせて、一息つく。私は此処で、お母さんに無理をさせてないか少し心配になってしまった。
「かなりしばらくして、かな。私の携帯に連絡が来たの。その頃にはもうLEINでの連絡が当たり前になってたから、直接電話番号にかかってきて。電話に出てみたら、成長した都古ちゃんで二重に驚いたわ」
口では驚いた、と言っているが、その表情はかなり絶望に彩られたもので。ああ、次の言葉が予測できてしまう。
「そんな都古ちゃんがね泣きながら秋くんが死んだことを報告してくれたの。私は即座に駆け付けたわ、秋くんが死んだのもそうだったけれど……一番は、都古ちゃんが心配で。その……あの動画を見たなら死因は知ってるわよね?」
お母さんが私をちらり、と見る。私はこく、と頷いてから口を開いた。
「過労とカフェイン中毒、ってことぐらいだけど……」
「あっているわ。……っていうわけで、告白できなかったのよ。途中で疎遠になってしまったのもあるし、私も別の人を好きになろうとしたり、って色々あってね」
考える。もし、隼人=秋都さんが本当だったのなら。隼人はなんて大変な人生を歩んできたのだろうか、と。いや、私が大変というのも烏滸がましいぐらいモノを感じてしまう。私が言葉を失っていると、お母さんは私の頭に手を伸ばす。
「私……いや、お母さん、あまり頭よくないじゃない?」
……それは否定ができなかった。お母さんはちょっと頭がよくない。だけど、それを肯定するのは憚られて。そんな困り顔の私にお母さんは笑うのだ。
「いいのよ。だからね、秋都さんみたいになってほしくなくて、世那にはちゃんと大学まで出て欲しかったの」
ちょっと短絡的な考え。秋都さんと違う道を進めば、きっと悲惨な死は迎えないだろう、みたいなふんわりとした考えなのだろう。でも、そこにお母さんの強い思いを感じて。同時に、あれだけ頑なにお母さんが大学をちゃんと卒業するように言っていたことの背景を知って、私の中でなにかがストン、と落ちる。
(まあ、それでも大学卒業と過労死には因果関係ないと思うんだけど……)
高卒で働こうとしてブラック企業に就職してしまった秋都さんと、そもそも現在進行形でホワイト企業で働いている私(いや、その私も仕事を詰め込もうとしたけど……割愛!)とじゃ訳が違うのではないか、そこまで考えて、思考を止める。それでも、お母さんはお母さんなりに考えてくれたのだ。それを否定する必要はない。
「そっかあ……だから、あんなに大学を卒業するように言ってたんだ……」
「納得してくれた?」
「うーん、色々別に言いたいことはあるけどね……」
「世那は頭がいいものね」
さっきの空気とは一転してにこにこと微笑むお母さん。そして、お母さんはミルクティーの入っていたティーカップを空にして言うのだ。
「でも、どうして秋都さんのことを?」
ぎく。
「うーん……」
悩んでしまう。お母さんに隼人のことを言ってもきっとからかっている、と思われてしまうだろう。だから、隼人のことは伏せつつ……うーん、うーん……。
「なんとなく……?」
我ながら苦しい、これが配信だったらコメントでつつきまわされる回答しかできなくて、内心わたわたとしてしまう———が、此処は生配信ではなく家のリビングでの会話で。
「そっか。きっと、世那が無意識にこの情報が必要って思ったのかしらね。世那は昔からそういうところあるものね」
「かなあ……でも、唐突に悲しいこと思い出させてごめんね。都古さんの前では何も知らないフリするよ」
私もミルクティーを飲み干し、自分とお母さんのティーカップを回収してキッチンのシンクに置く。すると、お母さんが歩いてきて「お母さんが洗うわ」と手に取ろうとしたスポンジをかすめ取っていくのだった。
「ええ、お願い」
「りょ。じゃあ、そろそろ私は寝る~」
「はいはい、おやすみ、世那」
「おやすみ、お母さん」