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第9話 唯希雄馬の日常

 俺、唯希雄馬の一日は、かわいい子を探すことから始まる。男子校に通ってはいるので全員男子なわけだが、それでもやはり目の保養というものは大切だ。

かわいいは正義だと言うが、本当にそうだと思う。


そんな軽いノリで声をかけては逃げられることが多々だが、二年生の新学期初日……校門をくぐった先にある桜の木の下で、俺好みのかわいい子が道の端にある芝生に座り、空を見上げていた。


桜の花びらが風に乗ってひらひらと舞う中、彼のまだ幼さが残る愛らしい顔が上を向いたことにより、少し大人っぽく見えて。気づいた時には、俺は彼の元へ一直線に向かい、そんな俺の存在に気がついた彼は驚いたように目を丸くした。


そして。


「君かわいいね、そのネクタイの色は新入生? 暇ならさ、俺とお茶しない?」

「えっ!?」

「ねっ? どう?」


ナンパをして、怯えられて、逃げられた。


ここまでならいつもと何ら変わりのない展開だ。俺が質問攻めをしてしまったのもあるだろう。

でも、そんな彼がどうしても愛しくなって、どうしようもなくかわいくて。面白そうな子が入ってきたなぁ、と思ったら笑いが抑えられなかった。多分、彼もそれは走り行く背中で感じたことだと思う。


それから彼に会ったのは、そのすぐ後のことだった。

顔が真っ青な彼を見ていられず、サボりの場所を探していた俺は彼を保健室に案内した。聞けば、入学式中に具合が悪くなったらしい。


そうして知った彼の名前は、柿崎真翔というらしい。俺も自分の名前を伝え、具合が悪そうな彼に付き添い……看病に使ったハンカチを真翔にあげ、代わりに俺も真翔の持っていたハンカチを貰った。いわゆる交換というやつだ。


これっきりなんだろうな、と思った関係は不思議とその先も続き、自分の秘密の趣味である『絵を描く』という行動も、真翔になら教えても良いと、むしろ俺の趣味を知って欲しいとまで感じるようになった。だから、俺にもキミのことを教えてほしい……そんな風に思った。

今まではこんなに一個人だけに興味が行くことなんて無かったのに。


真翔はこんなどうしようもない俺を変えてくれる貴重な存在だと感じたし、大切にしなければならない存在なのかもしれない。

そんなことを、夜の零時の寮の屋上で、俺の隣に寝転び満天の星空を眺めている真翔を横目で見つつ思った。


「ねぇ、真翔」

「はい?」

「学校生活にはもう慣れた?」

「入学してから二ヶ月くらい経ったとはいえ、この学校広いから……まだ迷うこともありますけど、授業は今のところは……まぁ、なんとかついていけてます」

「あはは、来週からテストだね。高校入ってからの初めてのテスト、意気込みはどう?」

「えー、えー……」


勉強はあまり得意では無いのだろう。真翔は視線を彷徨わせながら曖昧に笑う。


「そういう雄馬先輩はどうなんですか、俺の中ではサボってる印象しかないんですけど」

「俺? 俺は大丈夫だよ。教科書見れば大体は分かるし……点数も平均取ればまず先生に怒られることはないからね」

「地頭良いんですね……なんかズルいです」

「ズルくないでしょ、俺の実力なんだから……まぁ、出席日数はギリギリだけど」

「サボってばっかりだと留年しますよ?」

「留年しない程度にサボりたいね。今年の目標にでもしようかな」

「ふっ……何ですか、それ」


口元に手を添えて、控えめに笑う真翔。その姿を見た俺は、俺の中にある『かわいい』が加速しそうになるのを何とか抑えた。

星空を見ている彼とは目は合わない。夜空を見ているより真翔を見ているほうが面白いと感じた俺は、首だけを真翔のほうに向けて横顔をじっと見つめる。


「あのさ、テスト終わったら外出許可貰って街に行こうよ」

「……俺と、ですか?」

「うん、真翔と。お茶しようよ」

「雄馬先輩の奢りなら……行ってもいいですけど」

「えー? 仕方ないなぁ、いいよ。先輩がご馳走してあげる。来週の日曜日、空いてる?」

「はい、空いてます。ていうか無理やりにでも空けますけど」

「そんなに楽しみなんだ?」

「だって……この学校に入ってから外出許可なんて出したこと無いし、しかも先輩と外でお茶とか初めてで……楽しみにもなりますよ」

「……良かった、嫌がられなくて」

「どうして?」


そう疑問を投げた真翔は、俺のいるほうに顔を向ける。交わる視線、その目は穢れを知らない純新無垢な瞳だった。目が合った時に驚いたのか一瞬瞳が大きく開いたが、それは本当に一瞬の出来事で。


「出会った時のことを思い出してたんだ。入学式の前の真翔ったら、声かけたら怯えた顔して逃げるんだもん。センパイ傷ついちゃったなー」

「そりゃいきなりナンパされたら誰でも逃げるよ……」

「ま、今はもう大丈夫みたいだし。だからもう一回お茶に誘ってみたの」

「雄馬先輩と学校内で会うことも減ったし、部屋に行ったのも一回だけだったし……夕飯やお風呂の時間にも会わなくなったから……でも、これでテスト乗り切れそうです! 頑張った後のご褒美みたいでとってもワクワクしてます! 楽しみだなぁ、何着てこうかなぁ」

「そんなに楽しみにしてくれると、俺も嬉しくなるよ。さて……そろそろ冷えてきたね。部屋に戻ろうか」


まだ春先とはいえ、夜になるとそこそこ冷え込む。天体観測の終わりを告げれば、あからさまにシュンとする真翔。


「昼間に天気がいい日は結構こういう夜空が見られることが多いから、部屋の窓から外見た時に、屋上に来てこうやって寝っ転がって空を見たくなったらいつでも来たらいいよ。だから、そんなに残念そうな顔をしないで」

「その時は……雄馬先輩を誘ってもいいですか?」

「いいよ、いつでも付き合ってあげる。誰でもない真翔の頼みならね」

「どうしてそこまで……」

「キミが俺にお願いするなんて初めてのことだし。あと、真翔のことをもっと知りたいと思ってさ。ほら、俺たちってたまたま会っても、真翔は友達と一緒だったりするからあんまり話せてないし」

「確かに、そうですね……」


どうして俺に、ここまで心を許してくれているのかは分からない。部屋に戻ろうと言った時の、真翔の残念そうな顔が脳裏から離れなかった。


「ほら、喋ってる場合じゃないでしょ。夜も遅いし……同室の子も心配してるだろうし、今日も学校なんだから。早く部屋に戻りなよ」

「……はい」


俺の念押しに、やはり残念そうに真翔は頷いて、身体を起こして立ち上がった。俺もそれに倣って立ち上がる。


「絶対ですからね! 絶対、俺が誘ったらまた屋上で星を見ましょうね!」

「うんうん、分かってるよ」

「来週、楽しみにしてます! じゃあ……おやすみなさい、雄馬先輩」

「うん、おやすみ……真翔」


彼は全力でこちらに手を振ってから、屋上の扉を開けてゆっくりと閉めた。そして、微かに鳴る階段を降りる音。


……行ったか。

思い返してみたが、一度振られた相手を再びお茶に誘ったことなんて一度も無かった。今までは断られたらそこで終わり、深追いはしないがモットーだったのに。だから、今回また自然に真翔に「お茶しない?」と誘った事実が自分でも分からなかった。それがスルッと出てきた言葉だったのが尚更驚いたのもある。深追いをしないのが俺だったのに……でも、これで少しだけ理解した気がする。


真翔は、間違いなく俺を変えた。唯希雄馬という人物の心の底にある閉ざしていたものを、臆病なところも、全てさらけ出してでも一緒に居たいと……もっと色んな話をしてみたいと思わせるような不思議な子のように思えた。


「真翔……、か」


一人きりの屋上で呟くのは、今現在俺の頭の中の大半を占めている柿崎真翔の名前。その言葉も強く吹いた春風にかき消され、身体は寒さで震えていることに気がついた。


「俺も部屋に戻るかぁ」


屋上の出入口をくぐって、扉を閉める。今日も今日とて描き途中の絵を完成に近付ける為に、夜更かしをすることにした。

三階の1番奥、308号室。同室の人間が居ない俺だけの空間は、絵の具の匂いで充満していた。匂いを少しでも逃がす為に窓を開けてから、俺はイーゼルにかかっているキャンバスに向き合った。


そういえば一度真翔が来た時に、気に入ったと言って持って行った失敗作の向日葵の絵は今頃どうしているだろうか。飾る、と言っていた気もするが、それは今度お茶した時にでも聞いてみよう。


パレットと筆を持って、思い思いに色を乗せていく。今描いている絵は、先程真翔と見たような夜空の絵だった。自然なグラデーションを意識して、現実では有り得ない黄色も差し色で下のほうに、感覚だけで乗せていく。換気の為に開けた窓からは、冷たい冷気が入ってきていた。

それに気を取られた俺は、今さっきまで描いていた夜空の絵を一度乾かす為にイーゼルの上から窓際に立て掛けて、新しい別の無地のキャンバスを立て掛けた。


しかし、数十分経っても描きたい絵の構図が思い浮かばず、俺は仕方なくそこら辺に積み上げていたスケッチブックを一冊手に取った。パラパラとページを捲り、ページの途中、最後に描いた絵をまじまじと見つめる。


あの日、彼から許可を貰って描いた、緊張気味でこちらを見つめる真翔の絵。


「……やっぱり、かわいいなぁ」


自分で描いた絵だが、デッサンは得意なのでなかなかに特徴は捉えていると思う。

新しいキャンバスに代えたはいいが何も思いつかないので、スケッチブックの続きに先程屋上で見た真翔の表情でも描こう。このスケッチブックの残りは真翔で埋めてみよう。そう思った。


絵の現実逃避は絵で。これは絵描きであればよくあることだと俺は思う。

夜空を見上げてキラキラとした瞳で、天体観測を楽しむ真翔の横顔。パースを取って……俺目線で見た真翔を思い出しながら、鉛筆でスケッチブックを埋めていく。


一枚、二枚、三枚……描き始めたら止まらなくて、時間なんて気にせずに気が付いたら五枚も描いていたことに自分で驚いた。一人の人物だけでこんなに連続して描いたのは初めてだったからだ。窓の外を見れば、日が昇ってきたのか空は薄暗い。

最後にもう一枚だけ描こうとスケッチブックのページを捲って、鉛筆を再度握る。寝る前最後の絵は、目と目が合った時に真翔が一瞬だけ見せた彼の驚いた表情を描くことにした。


「澄んでるよねぇ、真翔の目って……純粋で、汚いことなんか何も知らなさそうな目……かわいいよ、本当に」


心からの、俺の独り言。ふと、机に置かれたままの、あの日交換した彼のハンカチに目をやった。受け取ってからも、きっとこの先も使わないであろう水色の綺麗なハンカチ。それを見て自然と笑みがこぼれた。交換した俺のハンカチは、今彼の元でどうなっているのだろうか。それを考えるだけでも楽しくて、この『気になる』という感情はきっと、向日葵の絵をあげた時と同じ感情だ。


まだ鮮明な記憶の映像を、そのまま紙に描き殴っているうちに、俺は夢の世界へと意識を手放していた。


**

起きたのは、朝の八時を過ぎた頃だった。そのまま二度寝をしようと思ったが、寮長がうるさいので俺はスクールバッグに枕の横に鉛筆と一緒に置かれていたスケッチブックと鉛筆を突っ込み、寮の部屋を出た。


とりあえず朝のホームルームには間に合ったので、そこで昨日真翔が言っていた華村グループから配布されたスマートフォンを受け取り、ホームルームが終わってすぐに中庭へと足を運んだ。


「スマホなんて二年ぶりくらいに触るなぁ……ええと、これがカメラ機能かぁ」


あちこちのボタンを適当に押して、機能の把握をする。連絡先はまだ誰とも交換していないので、今日中に真翔と連絡先が交換出来ればいいなぁ、という思いでスマートフォンを制服のポケットに突っ込んでから、持ってきていたスクールバッグから鉛筆とスケッチブックを取り出した。


中庭とはいえ、この学校は自然に溢れている。生い茂る木々、散ってきたとはいえまだ桜も現役だ。

奥行のパースを描いてから、真ん中にこちらを振り向こうとしている少年の全身姿を大雑把に配置して、パース通りに木々を鉛筆でゴリゴリと描く。


……この絵をあの真っ白い新しいキャンバスに描けたなら、きっと楽しいだろうな。


もちろん、真ん中に配置した少年のモデルは真翔だ。感性の赴くままにスケッチブックを埋めていると、集中力が切れたのと同時に周囲が騒がしいな、と思い周りを見渡す。生徒が中庭で、それぞれご飯を食べているのに気がついた。何となく眺めれば、一人だったり、二人だったり、三人以上のグループだったり。パンやお弁当など、各自食べているのは人それぞれだった。


「そっか、今ってもうお昼なんだ……」


この中庭で絵を描き始めてから、もう四時間も経っていた事実に俺は驚きを隠せない。一度絵の世界に入ったら、時間はあっという間に溶けていくということを、身をもって実感してしまった。


そこで、食堂から中庭を見渡せる席で、真翔とその友達が楽しそうに何かを話しながら食事をしているのを見つけた。ここからでも中は見られるんだな、と思った俺は、自分のお昼ご飯を後回しにして、くるくると変わる真翔の表情豊かなかわいい顔をスケッチブックに落書きすることにした。


俺には見せない、友達の前でしか見せない真翔の素の表情は、魅力的としか言えないくらいにかわいかった。


今日一日で、一人の人物だけを何枚描いたか分からなくなってきた頃、俺の座っている木陰に人の影がかかり、頭上から「雄馬先輩?」と聞き慣れた声が降ってきた。


「……真翔?」

「こんな所で何を……って、ずっと絵描いてましたね。食堂から丸見えでしたよ……お昼はもう済みましたか?」

「いや、まだだけど……友達は? 一緒に食べてたんじゃないの?」

「あれっ、外からも食堂の様子って見えるんですね。しんた……あいつは昨日の反省で俺に昼ご飯奢ったら、別の友達と少しだけサッカーしてくるってグラウンドに行きましたよ」

「昨日の反省って?」

「色々あって俺が拗ねて、その反省の印に明日昼ご飯奢るから許してくれって言われて……それで、食堂で一番高いご飯奢ってもらいました」

「あ、もしかして焼肉定食?」

「そうです、あれってお肉一枚一枚がしっかりしてて食べ応え抜群でした。高いだけありますね、ここの焼肉定食」

「普通に過ごしてたら食べることなんてそうそう無いからねぇ、あれは」


「隣に座ってもいいですか?」という真翔の言葉に、「どうぞ」と俺は答えながら、スケッチブックを閉じてスクールバッグの中に鉛筆と一緒に突っ込んだ。


「もしかして俺……邪魔しちゃいましたか?」

「ううん、そんなことないよ。昨日の夜からずっと描いてたから疲れてきてたし……さすが真翔、ナイスタイミング」

「それならよかったぁ……俺、雄馬先輩の絵の邪魔だけはしたくないので」


彼から発せられた言葉は、俺の夢を応援したいという思いがひしひしと感じられて、少しだけくすぐったい気持ちになった。そういえば、と真翔が差し出してきたのは、購買のレジ袋だった。


「なにこれ、どうしたの」

「……雄馬先輩、ご飯まだでしょ? 昨日の夜からずっと絵を描いてたって言ってたし、多分朝ごはんも食べてなさそうだったから」

「……俺にくれるの?」

「先輩の好みは分からなかったので、全部俺セレクトですけどね」

「ありがとう、お腹は減ってたけど……正直、後回しにしてた。朝ごはん食べてないのも正解……全部見抜かれちゃってるの、なんか変な感じ」

「天才は、ひとつのことを始めると他が疎かになるって昔読んだ本に書いてありました」

「俺は天才じゃないけどね」

「努力の天才、って言葉もありますよ」

「……ああ言えばこう言う」

「そんなこと言うなら袋返してくださーい! 雄馬先輩のご飯は夜まで抜きになりますけど!」

「冗談冗談、お腹ぺこぺこ! 貰います。ありがとう、真翔」


お礼を言いつつ袋の中を見てみれば、メロンパンに焼きそばパン、たまごサンドと牛乳が入っていた。


「こんなに食べ切れるかな……」

「パンって意外と腹に溜まりますよね。メロンパンと焼きそばパンとたまごサンド、どれにしますか?」

「とりあえずたまごサンドかな」

「じゃあ、メロンパンは俺が貰います。おやつってことで」

「焼肉定食食べてメロンパンも食べるって……真翔の胃の中はブラックホールなの?」

「メロンパンはご飯に入りませんし、別腹ですから」

「甘いもの好きなの?」

「はい、クリームたっぷりのパンケーキとか、パフェとか……そういうの好きですよ」


これはいい情報を貰った。テスト終わりの来週の日曜日は、俺の好きな……それこそ、女の子が好きそうな甘いパンケーキが有名なカフェにしよう。


レジ袋の中からたまごサンドとふたつある牛乳を取り出して、片方の牛乳は真翔に手渡した。「ありがとうこざいます」と返ってくるが、そもそもこれを俺の為に買ってきてくれたのは真翔な訳で。ありがとうを言わないといけないのは俺のほうだ。


「ありがとう真翔、いただきます」

「はい、どうぞ」


二人揃って牛乳に付属していたストローを穴にさして飲み物を先に口にしてから、俺はたまごサンド、真翔はメロンパンの袋を開けてがぶりとひとくち齧った。


「ん、美味しい」

「美味しいですねー! 結構ふわふわなメロンパンだ」

「購買にこんなに美味しいたまごサンドがあったんだね。知らなかった……パンもふわふわ、たまごぎっしりで食べ応えがあって俺の好きなタイプだ」

「雄馬先輩は、いつもお昼ご飯はどうしてるんですか?」

「ほとんど購買だけど……いつも買うのはお弁当と水。そんでたまに気分転換で学食」

「へぇ……確かに、購買のお弁当って安いですよね。結構ボリューミーなのに300円とか」

「そうそう。まさに学生の味方、って感じだよねぇ」


何気ない雑談をしながら、俺は真翔から貰ったたまごサンドを食べきって、焼きそばパンに手を伸ばした。


「さっきは食べ切れるかなって言ってたのに……」

「パンみっつはちょっと多いな、って話だよ。ふたつなら普通に食べれる」

「まぁ、朝から何も食べてなかったらパンふたつは余裕ですよね。はぁ、メロンパン美味しかったー! ごちそうさまでした!」

「真翔、食べるの早いねぇ」

「おやつは別腹ですから」

「メロンパンをおやつという括りにする辺り、さすが真翔だね」

「何ですかそれ! 褒めてないでしょ!」

「褒めてる褒めてる」


焼きそばパンに齧りつきながらそう言えば、うぅと納得のいかなさそうな真翔の声が聞こえた。空いている手で真翔の髪の毛をわしゃわしゃと撫でてやれば、「わぁっ!?」と驚いた声。


「何するんですか!」

「真翔はかわいいなー、と思って」

「可愛くなんか、ないですよ……普通です、普通」

「普通の人は外で絵を描いて食事を疎かにしている先輩に差し入れなんか持ってこないと思うけど……うん、美味しかった。ごちそうさま」


最後のひと口を口の中に押し込んで、牛乳でパンを流して飲み込む。満たされたお腹に満足しながら真翔のほうを向けば、俺が乱雑に撫でたせいでボサボサになった黒い髪が、太陽の光に当たって茶色く透けていた。


……言葉が、出ない。


「……先輩?」


逆光になって影になっている真翔の顔。後ろから差し込む光で透けて茶色が入った黒髪。


「綺麗だなぁ」

「えっ?」


俺の突然の言葉に、横を見たり後ろを向いたりして何がどう綺麗なのか気になっている様子の真翔がおかしくて、俺は声をこらえて控えめに笑う。


「くっ……ふふっ」

「なっ! なぁんで笑ってるんですか! 綺麗って何!? 雄馬先輩!?」

「あっははっはは! 真翔は見てて飽きないなぁ、最高だよ」

「えぇ……? 何……?」


本気で分かっていなさそうな反応が更に面白い。これ以上笑うと真翔が機嫌を損ねそうだったので、俺は話題を変える為に制服のポケットからスマートフォンを取り出した。


「ねぇ、真翔。連絡先頂戴」

「あっ、受け取ったんですね! ということは、ホームルームはちゃんと出たんだ……俺がお昼ご飯持ってくるまでの雄馬先輩の様子じゃ、授業は出てなさそうだけど」

「うん、出てない。でもテストの範囲表だけはちゃんと貰ったよ」

「それもホームルームじゃないですか! 本当にこのままじゃ留年しますからね! 俺嫌ですよ、来年になって雄馬先輩と同じ学年になるの!」

「もー、気をつけるってば~。真翔ったらお母さんみたい」

「心配してるんですよ! ……っと、連絡先でしたよね。せっかくですし、LINEと電話とメール、全部交換しちゃいましょうか。LINEは学校の範囲内でしか使えないみたいなので……電話とメールは校外でも出来るみたいなんですけど」

「御曹司さまのやることはいちいち面倒くさいね。ま、ゲームのダウンロードの防止ってところかな」

「そうみたいですね。理事長がこれまでスマホ禁止にしてたのも、その懸念事項があったかららしいですし。ゲームに夢中で勉強が疎かに~、みたいな」


真翔から聞く理事長の話と、俺のイメージする理事長像はほとんど同じだった。この二年間、スマートフォン無しで過ごしてきたが、友達との約束の時間変更など、友人関係で連絡手段が無くて困っていたので、あまり好きでは無いが華村グループの御曹司さまに少しだけ……ほんの少しだけ感謝だ。


LINE、メールアドレス、携帯番号の全てを真翔と交換し、テスト終わりのお出かけの時間は追って連絡すると告げたところで、お昼時間の終わりを告げる鐘が鳴った。


「あっ、俺もう行かないと! 次の時間体育なので着替えなきゃいけないし」

「食後に体育は嫌だよねぇ。お昼ご飯ありがと、寮に戻ったら連絡するから」

「分かりました。雄馬先輩も、残り二時間なんだから授業出てくださいね! それじゃあ!」


パタパタと小走りで真翔は校舎の中へと入って行った。

授業開始の鐘まであと五分あるとはいえ、授業に出るのは面倒だと思ったが、残り二時間……真翔の言う通りに、久しぶりに授業に出てみようと思った。立ち上がるついでにスクールバッグを拾い上げ、ロッカー室に向かう。次の授業は数学らしい。数学の教科書とノートをスクールバッグに入れ、自分の教室に向かい扉を開けると、珍しいものを見たかのような同じクラスの生徒の目が俺を突き刺す。


数学が終わって、その次の授業が終われば寮に帰れる。そう思いながら自分の席に着き、数学の準備をした。


初めて送るひとつめのメールの内容はどうしようか。

俺の頭の中はそればかりで、浮き足立ったまま受ける授業の内容は、全く頭に入って来なかった。

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