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【第二十六話】人形の迷い

 メトレス様と神父様が話し始めました。

 私はできる人形ですので、すぐにメトレス様用のティーカップを取りに台所まで向かいます。

 客室まで戻って来て、メトレス様にも私が淹れた紅茶を淹れます。

 少し冷めてしまいましたが、平気でしょうか。


 メトレス様は砂糖もミルクも入れずにまず香だけを楽しんで、紅茶を口に少し含みます。

「うん、凄く良い香りだ」

 と、褒めてくれます。

 その言葉を聞いて満足した私はメトレス様の背後に立ちます。

 もし私に表情を表す機能があれば、さぞ満足気な顔をしていたことでしょう。

 でも、表情を作る人形などどこにも存在しません。

 私の顔は陶器の仮面でしかないです。


 メトレス様が何か私に話しかけようとした瞬間、神父様が口を開きます。

「で、私に話したい事とはなんですか?」

「ああ、はい。すいません。時間を取らせてしまって」

 その言葉でメトレス様は私から視線を外し神父様に向かいます。

 きっと私を裏へ行かせたかったのかもしれませんが、私はこの二人のお話を聞きたいです。

 命令もないので、私はここに居座ります。

 なんの問題もありませんよね?


「いえ、そんなことはありませんよ。迷える者の話を聞くのも仕事ですので」

 神父様はそう言ってニッコリと笑います。

 その言葉にメトレス様が少し安心したような顔をしたのを私は見逃しません。

「その…… すいません。シャンタルの一年祭のこと。本来ならボクが主導してしなければならなかったのですが」

 一年祭。

 確か死んでから一年たったら、死者を惜しんで追悼の集まりをするというものですよね。

 つまりシャンタルという方は、既に死んでいる方ということですか。

 けど、メトレス様が一年祭の主催するという事は、かなり身近な人物という訳ですよね。

 家族か、恋人…… というよりは妻ですか? メトレス様の?

 メトレス様は既に既婚で奥様を亡くされていたという事ですか?

 そ、それは初耳ですよ。

 なんか心が、胸の部分がざわざわします。


「いえ、結局、結婚はしなかったのですよね。なら、わたしが一年祭を主催しても問題はないはずです」

 結婚はしてない?

 ということは、恋人だったのですか? メトレス様の。

 そして、神父様が一年祭の主催を…… ということは、シャンタルという方は神父様とも関係の深い方なのですかね?

 そんな方の魂が私に使われているかもしれない…… のですか?

 そう決まったわけではなのですが、恐らくはそうなんですよね?

 メトレス様にそれを聞いても良いのでしょうか?

 でも、それはダメです。

 人形に人間の魂を定着させて使うのは違法ですから。

 違法と確定させてしまうと、私は役人のところへ行かねばならなくなります。

 人形とはそういう存在です。


「ですが…… いや、そうですね。無理にでも結婚しておけばよかった」

 メトレス様は悔やむように俯き、その言葉をこぼします。

「予想はついてますが結婚しなかった理由を聞いても?」

「シャンタルがめんどくさいからって…… 断られたんです」

 メトレス様は、深い、とても深いため息を吐きだしながらそう言いました。


 それを聞くと神父様は少し笑ったように笑顔になります。

「シャンタルらしい理由ですね。死んでまで、あたなを縛りたくはなかったんでしょう。聖サクレ教では、夫婦のどちらかが死別した場合、このされた方の再婚は色々と手間がかかりますから」

「ボクが愛するのはシャンタルただ一人です」

 メトレス様は神父様に向かって真剣な表情でそう言いました。


 私は…… いえ、私はただの人形です。

 物なのです。物を本気で愛する人などいません……

 でも、メトレス様のその言葉を聞くと、なぜだか心が、恐らくは心というものが、深く沈んでいく感覚がします。

 それほどまでにシャンタルという方を愛していたのだと。


「そのあたりのことは、わたしが口出しすることではないので。ただ、シャンタルがそう行動しているいたのは、そうして欲しいからなのでは?」

「それは…… そうだとしてもボクは……」

 シャンタルという方をそこまで…… 亡くなってから一年たった今でも……

 でも、それなら、その方の魂を使われているかもしれない私なら?

 いえ、いけません。

 私は人形です。

 人形が愛など……

 人形が人に愛されるなどあってはいけない事です。

 私は人の形をしているだけの物なのですから。


「いえ、すいません。あなたの判断を尊重します。ああ、だから……」

 神父様はそう言って、何かを思いつく様な表情をします。

「だから?」

「いえ、その人形を作ったのかと、ふと思いまして」

 その言葉に、メトレス様の顔は真っ青になります。

 私も内心焦りますが、私は人形です。表情などありません。

 素知らぬ顔で私はそのまま立っているだけです。


 メトレス様が間を置いて、それでも慌てながら弁明を始めます。

 が、

「あっ…… いや、プーペは人形技師の仕事を手伝ってもらうために…… いや、神父様に嘘を言っても仕方がないですね。確かに気を紛らわしかったのかもしれません。プーペが目覚めてから大分楽にはなりました」

 弁明の途中で冷静になり、落ち着きを取り戻してメトレス様は静かに話し始めます。

 流石に、私に人間の魂が、それも恐らくはシャンタルという方の魂が使われていることは言いませんよね。

 けど、やはり私に使われている魂はシャンタルという方で間違いないですよね?

 だから、メトレス様は一年祭のことも忘れていたのですよね?

 その魂が私と共にあるから。

 そうなのですよね?


「そうですか。あまり聖サクレ教会の人間である私は、人形を良いものとは言えませんが、こうやって人が救われるのであれば、また話が変わってくるのかもしれませんね」

 神父様はメトレス様の言葉を受けて、少し難しい表情を浮かべます。

 聖サクレ教では、生まれ変わりが信じられています。

 それは人間だけでなく動物などもです。

 人形に魂を宿す行為は、その生まれ変わりを阻害する行為ですので、聖サクレ教会ではあまり人形を好ましく思っていないのですよね。

「神父であるあなたが、そんなことを言って良いのですか?」

 メトレス様は少し驚いて神父様にそんなことを返します。


 それに対して神父様は笑顔で応えます。

「聖典に記されているわけではないですからね。聖サクレの教えは聖典が全てです。聖典に書かれていることをどう解釈するか、違いはそれだけです」

 そう言って神父様は胸に仕舞われている聖典に手をやります。


「教えには生まれ変われが信じられているのですよね? シャンタルも、もう生まれ変わったのでしょうか?」

 そう言った時、メトレス様はチラリと私を見ました。

 やはりそういう事なのですよね?

 私の中には…… その方の魂があるのですよね?


「そうですね。地獄で現世での罪を贖い、そして、天国へ。天国で主の元にて穏やかに眠り、長い時を経て人は人として、また生まれて来ます。なので、その問いには恐らくは、まだ、です」

 神父様は目をつぶりその言葉をかみしめるように吐き出します。

 人は生まれ変わる。

 私はどうなのでしょうか?

 いえ、少なくとも、聖サクレの教えでは、人は人に生まれ変わります。

 もし、生まれ変われても私は人形のままです。

 人間の魂を宿しているとはいえ、人形は人形です。人にはなれません。

 私は魂を利用して動いているだけで、私に宿っている魂は私ではないのです。

 人形は人形でしかありません。


「そうなんですね。シャンタルなら天国にすぐに向かいそうだ。ボクは間違いなく長い間、地獄行きだ。生まれ変わっても再び出会えそうにない」

 メトレス様は悲しそうにそう言いました。

 何かしらの罪を犯した、と、そう自覚があるのだとメトレス様は言いました。


 ですが神父様は仰られます。

「人は生きていれば何かしらの罪を背負うものです。シャンタルも例外ではないです」

「彼女が罪人だと?」

 それに対して、メトレス様は噛みつくように反射的に声を荒げて言います。

「シャンタルだけではありません。ほぼすべての人がです。唯一例外があるとしたら……」

 神父様はそんなメトレス様を優しく諭されるかのように言います。


「聖人サクレ様…… ですか?」

 聖サクレ様。

 聖典を書き残した聖人様です。

 実在した人物と言われながらも、その存在を疑う者も多いそんな聖人です。 

「はい」

 唯一、現世にて罪を背負わなかった聖人と言われています。


「こういうことを聞くのは、あまり良くないかもしれないですが、サクレ様は実在した人物なのですか?」

 メトレス様は恐る恐るそのことを神父様に聞きます。

 確かに神父様にそれを聞いてしまうのは失礼かもしれませんよ、メトレス様。

「ハハハッ、構いませんよ。少なくとも教会内では実在した人物とされています。ただ世間一般で言われている逸話の類は尾ひれ背びれがついていると言わざる得ないですね」

 神父様はメトレス様の言葉を軽く笑い飛ばしてくれます。

 そういえば、ネールガラスの元となっている化石は竜の物だと言われてますが、竜を眠らせて石に、化石にしたのは聖サクレ様という逸話もありますね。

 それ以前に、竜が生きていた証拠が何一つない、という話ですよね。

 でも、そうだとするとネールガラスは一体何の化石から抽出されたものなんでしょうか?

 謎ですね。


「なるほど。生き返ったり、湖を二つに割ったりとかはなかったってことですか」

 メトレス様が納得してそんなことを言いますが、メトレス様。

 それはまずいですよ。聖サクレ様が生き返るという内容は聖典にも書かれている話ですので。


「あっ、いや、教会では生き返りは実際にあった事になります。聖典に書かれている話なのです」

 慌てて神父様が訂正してくれます。

 ほら、メトレス様……

 メトレス様はもう少し聖サクレ教について……

 あれ? なんで私はそんなに聖サクレ教について詳しいのでしょうか?

 元から人形の基礎知識として知っていたのですか?


「す、すいません……」

 と、メトレス様が慌てて謝ります。

 慌てているメトレス様も可愛いですね。


「まあ、信じられませんよね。だからこそ奇跡の聖人なのですよ、聖サクレ様は」

 神父様は特に怒っている様子もなくニコニコとしていらっしゃりますね。


「シャンタルも生き返ったりは……」

 冗談なのか、本気なのか、それも分からない表情でメトレス様はそんな事を言います。

 よほどシャンタルという方がお好きだったのですね。

 あれ? でも、そんなことを言うという事は、私に宿っている魂はまた別の方のものなのでしょうか?

 その方の魂が私に宿っていると言うことはその方は生き返れませんよね?


「シャンタルは確かに信仰深い良き善良な信徒でした。ですが、奇跡は誰にでも起きるわけではないのですよ」

「はい、すいません。こんな話をして……」

 その後も、メトレス様は神父様に相談するかのように話を続けられます。

 私としてもメトレス様の子を色々知れたので大収穫で大満足です。






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