今日もディオプ工房で会議がある日だ。
シャンタルの様子が気になるが、今日は幸いシャンタルは安らかな寝息を立ててまだ寝ている。
いつシャンタルが起きるかわからないが、彼女が寝ているうちに親方の工房に行くしかない。
できれば、シャンタルが目を覚ます前には帰ってきたいが……
そう思っていたのだが、今日もそう上手くはいかないようだ。
「今日も市長に呼び出されているだって? 先週もじゃないか」
ボクは少し苛立ちながら、シモ親方の使いであるガルソンに向かいそう言ってしまう。
ガルソンに言っても仕方のない事だが、苛立ってしまっているので、どうしても強く当たってしまう。
「先週どころか、ここ最近、もう毎日ですよ」
肩をすくめながらガルソンはそうボクに告げた。
ガルソンも思うところはあるらしい、のか、それともボクに話を合わせているのか、そのどちらかはわからないが、そもそもボクがガルソンにあたるのは間違いだ。
そのことは十分に分かっているのだが、シャンタルのことを置いてきているボクとしては、どうしても腹立たしいものがあり、それを抑えられない。
「いつもはどれくらいで帰ってくる?」
少しきつい口調で聞き返してしまう。
先週の会議は結局、書置きを残して帰ってしまった為、今週はできれば顔だけでも出しておきたいが今日も早々と帰らせて貰うことになりそうだ。
起きたばかりのシャンタルはのどか乾いているから、水を飲ませてあげなければならないんだ。
彼女の世話をできるのはボクしかいないんだ。
ボクが彼女のそばに居てあげなければ……
「普段は、ゆ、夕方くらいには……」
ガルソンは少し怯えながら答えた。
夕方と聞いてボクの頭は一瞬にして怒りに支配される。
ただそれは一瞬だけのことだ。すぐに落ち着ける。
けど、ボクはなるべく怒りを抑えていたつもりだが、それでも顔が知らないうちに顔が強張っていたようだ。
ガルソンが怯えている。
そのガルソンの姿を見てボクも少し冷静さを取り戻せる。
けど、
「それまでは待てないな」
言うつもりはなかったのに本音も声に出てしまう。
怒り、いや、苛立ちを完全に自制するのは本当に難しい。
「メトレスさん、怒られますよ」
と、弱々しくガルソンがボクに声を掛ける。
「ボクにも都合があるんだ。ああ、えっと、お前が心配することじゃない。親方もその都合を知ってくれているから…… それほど怒りはしないさ。先週だって怒ってなかっただろ?」
なるべく苛立ちを抑え、優しくボクはガルソンに答える。
親方もシャンタルのことを知ってくれているので、今は何も言わないでくれている。
すべてが終わったら、親方には感謝とお礼を述べ、謝らなければならないが、今は大目に見てもらいたい。
「はい、びっくりしましたよ」
けど、ボクの予想通りシモ親方はそれほど怒っていなかったようだ。
基本的には厳しい人で、人と人も繋がりを大事にもする人だから、こういう会合をとても大切にしている。
なので、週一の会議の出席には厳しいんだけどれども。
それでも人情深い人だから、なんだかんだで今はかなり融通してくれる。
シモ親方はそう言う人だ。
鼻は潰れてしまっていて、顔は余り善人面ではないが、本当に面倒見の良い人だ。
それに甘えてしまうのも悪いと思いつつもボクにも余裕はない。
ボクはそれを思い出し、どうにか苛立ちを抑え込む。
「今日も書置きを残していくから」
そして、ガルソンに笑いかけそう言うと、ガルソンも一安心したような顔を見せる。
「はい……」
ただ、ガルソンはそれでも少し、オドオドしているので親方に怒られないか相当心配なのだろう。
ボクはガルソンとのやり取りを終え、親方の私室にはいる。
やはり部屋は汚い。
いや、先週よりも大分荒れているようにすら見える。
まるで掃除がなされていない。
というか、明らかに本などを投げた後がある。
親方も市長に呼び出されて仕事の邪魔をされ、相当ストレスが溜まっているのかもしれない。
だが、先週の様に書類が机の上に乗っていることない。
もう少し詳しく知りたがったのだが、流石に親方の部屋を漁る気にはならない。
なにかメモ紙でも、と、シモ親方の机の上を探していると、一冊の本が足元にあたる。
かなり分厚い本で辞典のようにも見える。
この本にはボクも見覚えがある。
技術書だ。
いや、魔導書や奥義書と言った方が良いかもしれない。
このディオプ工房の秘伝書の一つで、魂をネールガラスに閉じ込め定着させるための技術書だ。
門外不出のものだが、こんな大切な本を床に置いて置くだなんて、流石に親方でもゆるされることではない。
ボクも自然と顔を顰める。
恐らくシモ親方も市長に時間を取られ、まともに自分の仕事をできていないのだろう。
それでこの秘伝書がこんな場所に投げ出されているわけだ。
ガルソンが怯えるのもわかる。
根っからの職人であるシモ親方が自分の仕事が出来なくて、普段からも機嫌が相当悪いのだろう。
この部屋の荒れ具合からでも、それは想像に容易い。
そもそも、人形作りの始まりは古く、魔術とも錬金術とも、その昔は言われていた。
今でこそ職人という立場だが、昔はもっとひどい立場だったらしい。
生き物の魂をネールガラスという物に定着させるのだから、魔術とも言われても不思議ではない。
だから、そういう側面もあるし、そもそも動物とはいえ魂を天国に送らずに現世に留めておくこともあるので教会からは疎まれるばかりだ。
それでも、このグランヴィル市では職人という立場をどうにか手に入れたんだ。
それにしても懐かしい本だ。
ボクも自分の工房を持ち、独立するときに、この本の一部だけを読まさせてもらったことがある。
全部は読む許可はでなかった。
それほど重要なものを、魔術書ともいえる、この工房の秘伝書となる貴重な一冊を床に置きっぱなしなのだ。
流石に褒められたことじゃないが、これはチャンスでもある。
そう思いつつも、つい本を拾い上げ、ページをめくる。
ボクのこの本は一部しか、しかも、シモ親方の監視の元に決められた、ほんの一部のページのみの閲覧を許可された物だ。
ボクが読んだ箇所以外にどんな事が書かれているのか気になるが……
なんだこれは。
本物の魔術書じゃないか。
技術書ではなく魔術書なことだけは確かだ。
月の位置や星の位置まで関係してくると書かれているし、これなんか魔方陣その物だぞ。
これを教会が見たらただじゃすまない。
だが、この本にもネールガラスは太古の竜、その化石と記されているな。
本当にいたのか? 昔は竜が存在していたとでもいうのか?
でも、この本にかかれているのなら、古代には本当に竜が本当にいたのかもしれないな。
その他にも、この本には様々なことが書かれていた。
けど、一番目を惹かれた所は、これだ。
人間の魂の保管方法。
間違いなくこれは禁忌だ。
これは確かにおいそれと人に見せられる、特に教会関係者に見せられるものじゃない。
通りでシモ親方がこれをボクに読ませていた時、凄い目で監視していたはずだ。
普通の、ボクらが動物に使う魂の保管方法は、この本によると簡易定着術というらしいけれども、それだと大きく複雑で膨大な容量を持つ人の魂をネールガラスに定着させることはできない。
けど、正規の定着術なら、人間の魂すらもネールガラスに定着させ、保管することが可能とこの本には記されている。
その方法が、ここに書かれている。
それほど難しい物じゃない。
普段、ボクらが犬や猫に使う簡易定着術と、そう違うものではない。
知ってしまえば、簡易定着術を元から知っているボクなら簡単に実行できる程度の物だ。
これを使えば、ボクはシャンタルと、少なくともその魂とは別れずに済む……
な、なにを考えているんだ、ボクは。
彼女はそんなことを望まない。
それに、彼女は、シャンタルは聖サクレ教の信徒だ。
生まれ変わりを望むはずだ。
けど……
シャンタルの結晶化した体でネールガラスを作り、そこにシャンタルの魂を定着させれば……
それはもうシャンタルと何もかわらないのではないか……?
ボクは漠然とそんな恐ろしいことを考えていた。