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【第四十二話】永訣

 今日は気分が良い。

 シャンタルの体調が珍しく良いからだ。


 朝から目覚め、もうほとんど動かない左手で、結晶が生えてきてしまってはいるが、彼女の左手でボクの手をしっかりと握ってくれている。

 まるで、今日だけは離れないで欲しい、シャンタルがそう言っているかのような気がして、ボクも今日は仕事もせずにシャンタルのそばに座って彼女を見つめている。

 もう瞳まで結晶となり、なにも見えていないはずの瞳がボクを見つめ返してくる。


 ボクはシャンタルに必死に話しかける。

 もうほとんど耳も聞こえてないはずだ。

 でも、シャンタルは相槌を打つのも大変だろうに、ボクの言葉に必死に相槌を打ってくれている。

 本当はシャンタル自身喋りたいことはたくさんあるだろうに。

 あんなにおしゃべりが好きだったシャンタルが、声も出せなくなるだなんて……

 もう彼女の声を聴くことが出来ないだなんて……


 それでも、こうやって彼女を感じることが出来る。

 ボクはそれだけで幸せなんだ。

 本当に、彼女以外、ボクは何もいらないんだ。


 例え今の生活が永遠に続いても、シャンタルさえ生きていてくれれば、ボクはそれで構わない。

 そう本気で考えていた。

 けど、終わりはあっけなく来るものだ。


 彼女がボクの手を強く握り引き寄せる。

 ボクはなされるがまま、体を彼女に寄せる。

 恐らく、何か伝えたいことがあるのだろう。

 ほとんどしゃべれなくなって声量はほとんどないが、なんとか喋れないわけではない。

 掠れるような、か細い声でシャンタルはボクに何かを伝えようとする。


 なら、願い事が良い。


 彼女の、シャンタルの願い事を、どんな願い事でもボクが叶えてあげたい。

 なんでも、どんなことでも、だ。


 そう、ボクは思った。


 でも、彼女の口から、息も絶え絶えに紡ぎ出された言葉は、それはボクへの感謝の言葉だった。

「あ、ありが…… とう…… メトレス…… こんなになってまで…… 私を心配してくれて…… 看病してくれて…… 愛してくれて…… 本当にありがとう…… 見捨てずにいてくれて…… ありが…… とう……」

 ボクはその言葉に涙が溢れて来る。

 どうしょもなくただただ涙が溢れて来る。

「何を言っているんだ。感謝を伝えたいのはボクの方だ。キミがいたから、ボクは頑張れたんだ。キミがボクの生きる意味なんだ」

 ボクは心に秘めていたことを伝える。

 嘘なんてこれ一つない。

 シャンタルの存在がボクにとってどれだけ大事だったか、大きな物だったのか、ボクの中でどれだけの割合を秘めていたのか、本当にどれだけ必要なものだったのか、それは言葉に出来ないほどのことだ。

 ボクの方が感謝してもしきれない。それを伝えたいのに、ボクの口は正常に動くのに、それを口にするのはとても難しい。

 けど、ボクの声を聴いて、そのもうよく聞き取れないはずの耳で、しっかりとボクの言葉を聞いて、シャンタルはそれに少し怒ったように反応する。

 もう声が出ないはずなのに、必死に声を荒げてボクに伝えようとする。

「わ、私が…… 死んでも、生きて…… メトレス…… 自殺…… なんか…… したら、絶対許さない…… からね……」

 息も絶え絶えになりながら、シャンタルはその言葉を必死で口にする。

 興奮するように、そのまま無理をしてシャンタルが死んでしまうのではないかと思うほど、シャンタルは必死に声を上げる。

 そんなことを言われたら、ボクはキミの願いを叶えなくてはいけなくなる。

「わかった…… わかったから、死ぬだなんてこと、言わないでくれ…… お願いだよ、生きてくれよ、シャンタル……」

 涙ながらに彼女に伝えると、シャンタルは一旦落ち着いてくれる。


 そして、本当に小さな声で、ボクにも、聞こえないかのような、そんなか細い声で彼女は言ったのだ。

 確かに言ってくれたのだ。


「私も…… 別れたくないよ…… 死にたくない…… ずっと…… 一緒にいたかったよ……」

 ボクはその言葉を聞けて本当にうれしかった。

 良かったと思った。


 迷っていたことの全てなくなった。

 ボクにもう迷う理由は一つもなくなった。


 彼女がそう望むのであれば、一緒にいたいと、そう願うのであれば、ボクはもう迷わない。

 何があってもやり遂げて見せる。


 ボクは涙を流しながらそう決心する。

 そして、それが彼女の最後の言葉だった。

 それ以降、彼女の口から何か言葉が発せられることはなかった。


 ボクが、ボクだけが、その願いを叶えられる。

 叶えなくてはいけないんだ。

 何をしてでも。






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