朝市で買い物を終えた私は廃修道院までさっさと戻ります。
まあ、買い物とはいえ、タマネギとニンニクを一個ずつ買っただけですが。
これでメトレス様に暖かいスープを作りましょう。
きっとそれで具合も良くなるはずです。
修道院に着いた私は周りを見回して人がいないことを確認してから、廃修道院の壁を飛び越えます。
修道院の内側は土の地面なので、それほど音も衝撃もなく着地できます。
急いでお勝手口から修道院に入ります。
そうするとメトレス様が体を起こしていらっしゃりました。
一安心です!
でも、相変わらず具合は悪そうですね。
「大丈夫ですか? メトレス様」
そう声を掛けると、メトレス様はぐったりとしながらも答えてくれます。
「あっ、ああ…… プーペか…… ボクは…… 気を失っていたのか?」
呆然とした感じメトレス様はそう言いました。
まだ完全に目が覚めていたわけではないようですね。
虚ろな目をなされています。
「はい、恐らくはですが低体温症ではないかと……」
私は医者ではありませんが、人形としての知識でメトレス様の症状を見るに低体温症だと考えられます。
とにかく暖めることが肝心です。
低体温症でなくとも、体が冷えていることは事実ですからね。
「そうか、すまない。というかなんでズボンだけ脱がして?」
メトレス様は自分が置かれている状況を見てそう言いました。
ズボンだけ脱がされ、荷物の上に寝かされて竈の前に置かれているのは確かに疑問に持つところではありますよね。
「濡れていましたので。こちらに干してあります。まだ乾ききってないですが」
腰までつかる水路でしたので主に濡れているのがズボンと靴なのですよね。
他意はありませんよ、他意は。
干しておいたズボンを取り、メトレス様に渡します。
私の陶器の手では濡れているかどうか、それも判断が付きません。
湿り気を感じ取れる器官がないのですよね、人形には。
でも、見た感じでもまだ明らかに湿ってますね。
「色々とすまない」
ズボンを受け取ったメトレス様はズボンをいそいそと履きます。
大分回復はなされて来ているようでが、油断はできませんね。
「ニンニクとタマネギを買ってきましたので、スープでも作ります。メトレス様はそのまま休んでいてください」
「ここは?」
メトレス様は改めて薄暗い廃屋の中を見渡します。
どう見ても廃墟ですからね、気になりますよね。
「文化財の修道院です。外からも確認してまいりましたが煙もそれほど目だっていません」
燃やしている椅子が完全に乾燥していたせいか余り煙も出ていないのですよね。
本当に良い場所を見つけたものです。
「修道院で文化財…… ここはアンシャン修道院か? 中に入ったのは初めてだ。歴史あるはずの修道院がこんな廃屋だったとは……」
まあ、廃屋ですよね。
ここはどう見ても歴史的価値があるようにも、その資料が残っているようにも思えません。
なんで文化財になっているんでしょうか?
ん? 外から足音ですか? しかも、複数体ですね、これは……
「メトレス様、動けますか?」
私はスープを作るの辞め、お勝手口とメトレス様の間に立ち、お勝手口の方を見つめます。
「どうした? プーペ」
不思議そうにメトレス様が聞き返します。
私はまた問題を起こしてしまったようです。
「すいません、誰か来たようです」
私が後をつけられたのでしょうか?
それとも修道院に上がる煙を見られたのでしょうか?
お勝手口の戸が開き、見るからに輩という感じの男がお勝手口を封鎖するように立ちます。
その男は中の様子を確認して、私を見るとニヤリと嫌な笑みを浮かべました。
「こんばんはぁ、いや、もう、おはよぅ、かなぁ?」
その男はメトレス様が倒れ込んでいるところを見て、余裕の笑みを浮かべます。
そして、被っている帽子を取り、それも胸に当てて挨拶をしました。
「誰だ?」
と、メトレス様が聞き返します。
私はこの場は黙っていた方が良いですよね?
「俺はフリット。人呼んで…… 人形使いのフリットさぁ、それなりに有名なんだぜぇ」
少なくとも私は知りません。
人形使い? 確かに人形の足音もしていましたね。それも複数体です。
「聞いたことがない…… それが何の用だ」
メトレス様が聞いたことがない、というと、フリットと名乗った男は少し残念そうな表情を浮かべました。
本当に有名なんですか? この方。
「まあ、いい。俺がようがあるのはそちらの人形の方さ。あれだろ? それ、喋る人形なんだろ?」
私を探している?
市警…… ではないですよね?
では、教会の騎士団でしょうか?
いえ、それはないですよね。教会の騎士団が人形と連れている訳がありません。
まだ視界には入ってないですが、人形の足音も私にはちゃんと聞こえますので。
教会は人形を好ましく思ってないですからね。
なら、この方は一体……?
「人形が喋る? そんなわけないじゃないか」
メトレス様はそう言ってとぼけます。
具合が悪いせいか、市警さん達が来ていた時より演技がうまいですね。
その余裕もないと言った感じで誤魔化せているだけかもしれないですが。
「いやいやいや、そう言う茶番は良いんだよぉ。それにぃ、その人形が喋っても喋らなくても、俺はとりあえずそれを市長の元に連れて行く。それだけで金を貰えるんだからなぁさぁ、ハッハー! いい商売だよなぁ?」
けど、その…… 誰でしたっけ? えっと、フリットさんでしたっけ?
その方にとって私が本当に喋れるかどうか、どうでもいいようですね。
市長? 市長のところへ私を持ってくとお金がもらえる…… って、市長関連の人ですか?
なんで市長が私を? 謎ですね。
ん? ということは市警の方には、メトレス様の嘘はバレていた? もしくは怪しいと思われていたと言うことでしょうか?
メトレス様の言う通り、夜に逃げ出して置いて正解だったと言う事なのでしょうか?
流石はメトレス様です!
けど、そんな事よりも、メトレス様は体をわなわなと震わさせています。
これは寒さからではなく、怒りから、でしょうか?
「市長だって…… ふざけるなよ、貴様……」
物凄い怒りを露わにして、メトレス様はフリットと名乗った輩を睨みます。
これほどメトレス様が怒りを、これほどまでに激しい怒りを露わにするところを私は見たことがありません。
何でしょうか?
どういうことでしょうか?
メトレス様は市長に何か思うところがあるのでしょうか……?
こんなにも激しい怒りを露わにさせるだなんて……
「おやおや、随分と市長がお嫌いのようで。まあ、いい、死にたくなかったら、大人しくその人形をさっさと渡しな」
はぁ? この方は何を言っているのですか?
死にたくない? 誰が死ぬのですが?
誰が、誰を殺すというのですか?
この方は何を言っているのでしょうか?
もしかして、この方はメトレス様を殺すと?
そう申されているのですか? 脅しているのですか?
私の、このプーペの前で、そう言ったのですか?
「渡すものか!」
嬉しいことにメトレス様はそう叫んでいただけます!
そうです!!
私はメトレス様の物です。
それ以外の方の物になるつもりはございません。
流石です、メトレス様!
「ブレスリュール、ドゥルール。入って来い。なら実力行使だぜ? 戦闘用じゃ、ぎりぎりないんだが、俺様自慢の殺人人形達だぜぇ…… ハッハ!」
はっ?
殺人人形ですって?
それを使って誰を殺すと……
誰を殺すというのですか……
もう、我慢の限界です……
怒りというのは勇気を奮いたたせてくれるときに役立つものですね。
先ほどわなわなと体を震わせていたメトレス様の気持ちがよくわかります。
普段、私は何かを壊したいとは思わないのですが、今だけは違います。
「プーペ?」
私の異変を感じ取っていただけたのか、メトレス様が私を気遣うように声を掛けてくれます。
そうしていると二体の人形が修道院に入ってきます。
二体とも黒いマントを頭からかぶっていますが私にはわかります。
この二体の人形の外骨格は金属で補強されています。
それだけでなく、左手は指から鋼鉄の爪を生やし、右手は手そのものが金属の球体となっています。
右手が対人形用で、左手が対人用と言ったところでしょうか?
だから何だというのです。
私ももう我慢の限界なのですよ。
「あの人形達を破壊します」
私はそうメトレス様に宣言して拳を握ります。
私の言葉を聞いてメトレス様が目を見開いたように驚いています。
そして、もう名前も覚える価値のない輩さんが、宝物でも見つけたかのように眼を輝かせます。
「うっは! 本当にあたりかよ! 喋りやがった!! 市警の連中も案外頼りになるなぁ! ブレスリュール、ドゥルール! あの人形を捕らえろ! 人間の方は殺してかまわない!」
だから、誰の前で、メトレス様を殺すと言っているのですか…… あなたは!!
もし、私に血管があれば、頭に物凄い量の血が上って噴き出していたかもしれません。
この時ばかりは人形の体に感謝ですね。