風呂から上がり、とても良い香りに誘われてリビングに急ぐと、テーブルには自分がリクエストした食事たちが置かれていた。
「おいしい」と何度も言って頬張る萌を前に、昇はさぞ満たされた顔をしている。
「なんか昇さんといると、いつも至れり尽くせりなので、まるでお姫様にでもなった気分ですよ。」
こんな日常に慣れてはいけないなと常々自分に言い聞かせている。
「あぁ、それは良い表現ですね!」
「えっ?」
「ぜひそれに慣れてください。」
な、なんで……??
と、目が点になってしまった萌に、昇は当たり前のように続けた。
「僕のカード渡しているのに、萌さん全然使ってませんよね?それに、普段だって律儀すぎるし遠慮がちだし謙虚だし……もっと女王のように、そうされて当然のように過ごしてください。」
「は、はいぃ?!涼しい顔して何言ってるんですか?そうしてもらって当たり前なわけないんだから、そんな女王様みたいになんて振る舞えるわけないじゃないですか!」
「いえ、萌さんはそうされる価値があるし、そうしてもらった方が僕は嬉しいしやりやすいんですよ。」
「っあ……」
「?どうしました?」
「もしかして昇さんて……そういう趣味だったんですか……?」
突然、明らかに若干引いているような表情になっている萌に、昇は徐々にその意味を理解して焦り出す。
女王様……嬉しい……
などとブツブツ言って真剣に考えはじめた萌に、急いでストップをかける。
「ち、違います違います!僕はただ、萌さんにはそのくらい当然の価値があるし、萌さんを幸せにするのが僕の喜びであって、ずっとそれが夢だったからで…っ…」
「だったら昇さん、私はもう充分幸せだし満足ですよ?昇さんの愛が、いつもちゃんと伝わってくるから。」
昇の目が見開かれていく。
その中に映る萌は、至って真面目な表情だ。
「旦那さんのカードを使いまくったり、感謝を忘れて振る舞うことは、逆に満たされていない妻がやることだと思います。」
キッパリと言い放った萌に、思わず言葉を失った。
そして無意識に椅子から立ち上がり、萌に近づいた。
「……?昇さ」
「抱き締めさせてください。」
「え」
いきなりそんなことを言われるとは思っていなかったため当然狼狽えたが、断るわけにもいかないし、それに……
「……ズルいですよ、昇さんのその顔……」
いつもの甘えん坊な子犬のような雰囲気を醸し出されると、もう本当に何でも聞いてあげたくなってしまう。
静かに立ち上がり、萌の方から昇に腕を回した。
「なんか……スキンシップって大事なんだなって、昇さんに初めて気付かされました。」
「少しずつ萌さんが受け入れてくれているから、僕は嬉しくて…」
その言葉にハッとした。
まさか自分は……そうか。そうだったのか……
いつのまにかなんでもフツーに受け入れていた……!
「のっ、昇さんっ、もう私流されません!」
昇の胸を押しながら離れると、昇は案の定全く態度を変えずにニコニコしているだけだった。
「照れてる萌さんも好きなので、全然いいですよ」
「なっ?!もーっ!ほら食事中なんだから席戻ってください!」
萌は顔を赤くして不貞腐れたように髪をかきあげる。
「ふふっ、はいはい。っ……??あれ??」
「えっ?」
萌が席に座り直そうとした瞬間、昇にもう一度引き寄せられた。
「萌さん、これ……どうしたんですか?」
昇が萌の髪をかきあげた。
ジッと見つめているのは、萌のうなじのあたりだ。
「え?……なんですか?」
自分で見えないから、そりゃあ気づかないか……と昇は目を細めた。
しかしこれは一体……なんだ?
「萌さんって……こんなところにアザなんてありませんでしたよね?」
「えっ、アザがあるんですか?どこ?うなじに?」
昇は萌を立たせ、寝室のドレッサーの前に座らせた。
そして、よく萌が使っている手鏡を、萌の髪を上げながら背後に当てた。
「見えますか?」
「えっ、ちょっと、なにこれっ……」
萌の項には、3センチほどのアザのようなものができていて、明らかに赤くなっている。
「強く打ったりしました?」
「こんなところ打つわけないじゃないですかっ」
「ですよね?急所だし、打ってたら気を失って……た、は…ず……」
昇の目が見開かれていく。
「嫌だなぁ〜、なんだろうこれ……虫刺されかもしれないし、なにか薬でも塗っといたらいいかな……」
萌が薬を探そうと立ち上がろうとすると、昇がそれを制止した。
驚いて鏡越しに背後の昇を見ると、先程とは別人のように恐ろしい雰囲気を醸し出して萌のうなじを見つめているのでゾクッと思わず鳥肌が立つ。
「の、昇さん?どうしました……?」
「萌さん……酔っ払って気失って王谷さんに介抱されたと言ってましたよね?」
「えっと、はい……すみません……」
「本当に何もされてないですか?彼に……」
萌はその意味を理解して、慌てて首を振った。
「されてないです!あの人は乱暴なんてする人じゃないし、そんなことになってたら私が今こうして普通にしていられてるわけないじゃないですか!」
それは確かにそうだ。と昇は思った。
それでいて痛みも痒みも全くないらしいなら尚更妙だ。
「……でも、普通にしていてもこんなところにこんな不自然なアザつかないですよね。なにか心当たりないですか?ちょっとしたこととかでも……。」
「うーん……そんなのないです。うなじなんてそんな場所……。それに、出張中は一度も髪をアップにしていないですし。」
な、なんだって……?
だったらますますおかしいじゃないか……
昇はあまり萌を不安にさせないようになんとか平常心に努める。が、徐々に身体が無意識に震えてきていた。
なぜなら……
かなりアザに顔を近づけてまだ凝視している昇に、萌は内心驚いていた。
しかも目を細め、人が変わったように恐ろしい形相をしている。
たかがアザくらいでそこまで……?
「萌さん」
「あっ、はい……」
「デザートも作ったので、食べましょうか。」
振り返ると、そこには完全にいつもの、にこやかな昇がいた。