目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第99話

湯舟の中で、後ろから抱き寄せられるようにして包まれる。

お気に入りのラベンダーの入浴剤によって、湯の色は綺麗なパープルだ。

良い香りと暖かい体温と感触に包まれていれば、なんだか悩みや疲れ、まして、この状況の緊張などどうでも良くなってしまった。


「萌さん」


「はい」


「一緒にお風呂に入ってくれたということは、僕のこと、少しは好きになってくれたってことでいいんでしょうか?」


鼓動の音が背後に伝わってしまったんじゃないかと思うくらい、心臓が跳ね上がるのを感じた。


そんなストレートに……


「えっと……私は……」


そうだよね……と今更ながらふと自覚する。

いくら恥ずかしいとはいえ、普通はなんの好意も持たない人と一緒に入浴なんかしないし、裸を見られて平静にしていられるわけはない。

なのになぜか、彼だと全く嫌悪感がないし、むしろ肌を触られていることが心地よいとすら感じている。


「そう、ですね……。初めは好きになるつもりなんか全然なかったけど……きっと私は……もう既に、昇さんが好きになっているんだと思います……」


正直にそう言うと、ホッとしたような吐息が耳にかかり、ゾクッと体が震えた。


「良かった……もっともっと好きになってもらえるように頑張ります。」


「っいえ、別に頑張らなくても……。昇さんはそのままでいいですよ。」


「僕が萌さんを想っているくらいに、萌さんにも僕を想ってほしいんです。」


「えー?ふふっ。それってどのくらいなんですか?一体」


「萌さんのためだったら僕は、なんでもできますよ。死ねと言われれば死ねるくらいに。」


なんと返していいか分からなくて、ただ目を見開いて押し黙る。

後ろから抱き締められている腕に、ぎゅっと少し力が入ったのが分かった。


「でも……萌さんと少しでも長く生きていきたいからなぁ……やっぱり死ぬのは嫌かもな。」


「言いませんよ。死ねだなんて絶対……」


昇がクスッと笑って萌の首筋に唇を寄せた。


「でも……こんなに幸せだと僕は……死んでもいいかもなぁー」


「っもう!どっちなんですかっ」


「ふふっ、すみません」


「私より先に死なないでくださいね。

もう、うんざりなんです。大切な人がいなくなるのは……」


一瞬、背後の昇の息が止まったのがわかった。

しかしまた直ぐに、今度は手を優しく握られた。

チャプ、と、心地の良い水温が響く。


「じゃあ、約束しますか?」


「え……?」


そのままそっと、小指を絡められる。


「僕も萌さんが先に死んで、1人残されるのは嫌だけど……萌さんが不幸になることの方がもっと嫌なので……」


ハッと息を飲む萌。

こんなことまで言ってくれるほど自分を愛してくれる人がいるとは思わなかった。

言いようのない感情が込み上げてきて、無意識に目頭が熱くなる。


「萌さんが死んでから、僕もすぐ死ぬことにします。」


涙をこらえるように下唇を噛み、萌はゆっくりと小指に力を込めた。


「じゃあ私……もう安心ですね。」


切なげに笑う萌の顔を、昇は優しく傾けた。

振り返るようにして萌が顔を上げた瞬間、まつ毛が触れ合うくらいに近づいてきた昇に唇を奪われる。

同じ石鹸の香りが混じり合い、互いの吐息が鼓膜を揺らす。


幸せだ、と、心の底から感じた。

これで私はもう、一人になることは無いのだと。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?