昇は、萌の髪を乾かしながら、うなじの痣見つめていた。
そして、十数時間前の今日の記憶に思いを馳せる。
萌さんを会社に送らせた後、そのまま出勤途中の王谷を村田に引き止めさせた。
村田曰く、萌の夫である僕の名を出すと、わりとすんなりついてきたらしい。
近くの喫茶店で対面する。
「どうも。お久しぶりですね、お話するのは。あれから体調は大丈夫ですか?」
冷静沈着な態度と、誰にでも好かれそうな笑みに、なるほどと思った。
生粋の人たらし。誰彼信用させるプロだ。
彼を嫌いな人間なんてきっと一人もいないんじゃないかと思えるくらいに。
「ええ、おかげさまで。先日は本当にすみませんでした。疲労が溜まるとたまにあぁなってしまうんです。僕をベッドまで運んでくれたそうで……本当に迷惑をかけてしまいましたね。」
「いいえ、気にしないでください。そんなことよりあの時奥さんとあんなに喧嘩してたのに、最終的には僕との出張を許可してくれたことが驚きでしたよ。半分諦めていたんでね。」
店員が運んできたアイスティーを口につけてから、上目遣いでこちらに視線を寄越した。
それは先程の朗らかさとは打って変わって、ほんのりと猜疑心を含んでいるように見えた。
「……何か、思惑があってのことでしょうか?」
「いえ、とくには。ただ萌さんのことをやはり何より優先したいと考えているので……彼女の気持ちを考慮したまでです。」
ただ……と、言葉を繋げて王谷を真っ直ぐ見据える。
「その選択に、今では後悔しています。」
王谷の目が一瞬細まった。
ここの喫茶店は、静かすぎなくて良い。
その割に落ち着いた雰囲気が、会話をスムーズにしやすい。
「それが、わざわざ僕をここへ呼び出した理由ですか?このままじゃ完全に出社時刻を過ぎると思うんですが。」
「もちろん、あなたの時間分はお支払いしますよ、王谷さん。」
僕は金の入った封筒を置いた。
王谷はそれに目線だけ落とした後、睨むように僕に視線を戻した。
「……金の問題じゃないんですけどね。で、なんなのでしょう?本題は。」
「萌さんの、アザです。」
間髪入れずに言うと、王谷は意外にも表情一つ変えなかった。
既に予想していたということだろうか?
「……なんですかそれは?」
「萌さんのうなじに小さなアザがありました。普通あんなところにできることはありません。出張前はなかったはずです。」
「……それが、僕のせいだと言いたいんですか?」
「そうです。」
「………。」
僅かに眉をひそめつつ、もう一度アイスティーに口をつける王谷を、僕は真顔で見つめている。
ヤマトがいつも言っているように、この男が女性にモテる理由がよくわかる。
容姿だけでなく、所作諸々が美しいのだ。育ちが良いのか、はたまた訓練して身につけた結果なのか……
「そんな大真面目な顔してそんなこと言うなんて、よほど自信がおありのようですけど。根拠はあるんでしょうね?」
「いえ、ないです。」
王谷は一瞬目を見開いたかと思えば、息を吐くように音を立てて笑った。
「ちょ、とっ……馬鹿にしてるんですか?じゃあなんです、もしかしてまだ僕へ嫉妬してるとかそれだけの理由で?」
笑いがこらえきれないといった様子で口に拳を当てている王谷と、至極冷静なこちらのミスマッチさと異様な空気は喫茶店のマスターにも伝わっているようで、先程からチラチラと視線を感じる。
「嫉妬は……もちろんしていますよ。だって王谷さん、うちの妻と2人きりで過ごしたわけですよね。そして酔った妻を介抱……そのときに」
「その時に僕がキスマークでもつけた、と?冗談はよしてください。」
「キスマークとは言っていません。あのアザの感じは、違うものだと分かりましたから。」
「……はい?今度はなんの冗談を」
「僕が冗談言うと思いますか?」
王谷はしばらく沈黙した。
何か言葉を選んでいるのかと思い、待ったが、言うのをやめたようなのでこちらから口を開く。
「僕にはわかるんです。あの独特のアザは、なにをすればできるのか。」
「……何が言いたいんです。」
王谷はイラつきはじめるかと思いきや、やはり至極冷静な態度で表情一つ変えなかった。
だからそれが逆に、より信憑性を濃くしたのだ。