「なぁ、昇」
昇と二人きりの空間を作り、村田は耳打ちする。
「ここにいる全員例のコーヒーを飲んでいたみたいだが……特にいつもと変わりないぞ。おまけに新しく入ってきた明石くんて奴も。」
「……そうだな。真一くんも莉奈さんも飲んでいるが、特に変化は無い。てことはやっぱり……真一くんが追加であの時仕込んだって可能性が高くなるな。」
「まぁ……あの時のあの距離では莉奈さんが何かを入れる隙なんてないだろうしな。だからむしろその可能性しかないか。」
「となると、次はどうやって確かめれば……いや、それより今は……あの謎の男子をどうにか引き剥がしたい。」
「……は?」
昇が眉を寄せてチラチラ見ているその先には、萌と明石が仲良さげに会話している姿があった。
「えっ?!明石くんいつのまに独立したの?!」
萌は、明石の予想外の報告に驚愕した。
あれからずっと連絡をとってなかったし、音沙汰がなかったから単純に人妻となった自分に気を使っているのかと思っていた。
同じ職場にいた頃は、仕事以外の連絡もしょっちゅうしていたというのに。
しかし実際は、とても多忙だったそうだ。だから当然そんな話聞いていない。
「そろそろ本條さんにも報告しようと思ってたんですけどね。思ってた以上にバタついてしまってて。今日もかなり久々のオフ日なんすよ。報告遅れてすみません。」
「そうだったんだ……すごいね、おめでとう!
しかも、広報デザインの会社なんて。」
「もともとそっち専門に勉強してきた人間なんで。まだまだ会社としては未熟ですけど、是非いつか、本條さんの作品の広報をやらせてください!」
「うん、もちろん!」
明石は嬉々としている。
確かに、以前職場で一緒に働いていた時よりも明らかに輝いていて、見た目まで成長したように見える。
自分にとってはまだまだ子供みたいな感じの後輩だったのに、こんなに大人っぽかったっけ……と思った。
「本條さん、あの約束、覚えてます?」
「うん……ちゃんと覚えてるよ。」
" いつの日か、本條さんの旦那さんを超えるくらいの男になってみせますよ。だから……その時は褒めてくださいね。"
まさか本気で上り詰めようとしているとは思っていなかった。
口では人間なんとでも言える。
けれどこの子は、そうだ……いつでも有言実行タイプで……
何か問題に直面したり叱責されたりしても、泣きべそをかきながらも必ず自分の力でどうにか解決し、どんどん成長していく子だった。
「明石くん……本当に凄いよ。私には到底真似できない。すごく尊敬する。自分で高みを目指せられる人って…。」
明石は目を丸くして固まっていたかと思えば、ボッと頬を赤く染めた。
「っ、いやぁー!旦那さんを越えるくらいにはまだまだなれてないのに、もうそんなに褒められちゃうなんてーっ!」
照れを隠しきれなくなったのか、誤魔化すようにその辺にあるお菓子を片っ端から食べ始めた。
「でも、僕ほんっとまだまだなんで本條さん。きっといつかまた、褒めてくれます?」
「はは、何度だって褒めるよ。」
「なんの話しをしてるんですかー?」
突然の声に、ビクッと肩を揺らしながら2人同時に上を向くと、にこにこ笑顔の昇がこちらを覗き込んでいた。
「あぁ、昇さん。実は、明石くんが独立したらしいんです!あの少々ブラックな会社はもう辞めて、今では自分で頑張ってるんですって!私嬉しくて!」
「へぇー……それはなかなか興味深い。詳しく聞かせてくれる?」
「えっ!いや、その……旦那さんに比べればたいしたことなさすぎて全然っ」
「聞きたいんだよ、キミの話を。それに、何か協力できることもあるかもしれないし。」
「そうだよ、明石くん。何か今必要なこととか物とか人とか、困ってることとか何かないの?」
萌まで目を輝かせて乗り出すものだから、明石は苦笑いする。
そう言ってくれるのはとてもありがたいが、一応男のプライドってのは僕にだってあるのにな、と。
惚れてる女性の旦那さんから援助を受けるなんて冗談じゃない。
「大丈夫ですよ、本当に。お気遣いありがとうございます。」
「そう?じゃあハイこれ。僕の名刺。何か必要になれば、よかったら連絡してくれ。」
自分よりも爽やかな笑みで昇に名刺を差し出されてしまった明石は、仕方なく新しく作ったばかりの名刺を差し出した。
大好きな人の旦那さんと名刺交換……
「加賀見昇」という名前の上にはたくさんの肩書きが書かれており、裏には手がけている数々の会社の名前と住所がビッシリと載っていた。
きっとこれ以上にもっとあるんだろう。
はぁー…分かってはいるけど、地味にプライド傷つけられるんだよなー。
努めて笑顔を貼り付けたまま、礼を言いながら昇を見る。
整った顔立ち、モデルみたいな体型に高い背丈。
穏やかな話し方に、萌さんを見る時の優しい目。
本條さん曰く、料理も上手くて頼り甲斐があって、なんでもできる……お金も持ってて何不自由ない暮らし…いやむしろその遥か上を行く暮らしを本條さんに捧げられる。そんなパーフェクトな旦那さん。
くそ……人生不公平だな。
適うわけないじゃないか、こんな元々なんでも持ってるような男に!