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第56話 改変された記憶

 部屋の外は誰もおらず静まり返っていた

 ゾンビもおらず淀んだ空気も流れていない

 だだっ広い廊下の電球は割れていないし床にヒビも入っていない

 まるでこの空間だけ廃退した世界から切り取って昔の綺麗だった世界に戻したような雰囲気だった

 私はソラちゃんの部屋に向けて歩きだしたがすぐに曲がり角から足音が聞こえて物陰に隠れた

 よくよく考えればこんな場所にゾンビが出る筈もないと思うのだがこの数年で身に付いた危機察知はこんな時にもふと出てしまうようだ

 私はすぐに物陰から出ようとしたが曲がり角から見えた人物にそのまま動くことが出来なくなり隠れて通りすぎるのを待った

「ソラ、ちゃん……」

 目の前を通ったその人は私の思考の殆どを奪っていたソラちゃん等本人だったからだ

 私はぽつりと名前を口から溢すと慌ててソラちゃんの後を追った

 こんな尾行みたいなことをするのは気が引けるがそれでもソラちゃんがどこに行くのか、どうしても気になったのだ

 それは恐らく、この先にあるのがアカネさんの部屋だからだ

 部屋を出る際にソラちゃんにだけ密言をしていたのも気になっていた

「……やっぱり」

 ソラちゃんはそのまま軽く扉をノックするとアカネさんの部屋に入っていった

 私は扉の前まで来るとそっと耳を押し付ける

 思っていたよりも扉は厚くないようで中の声はほとんど籠ることなく鮮明に聞き取ることが出来た

「それで、ウミさんが私に自分から全てのことを話せない理由が私にあるっていうのはどういうことですか?」

 既に会話を始めていたようでソラちゃんは始めから軽く機嫌が悪そうだった

 密言で言われたことが私関係だったことに少し驚きを隠せない

「まぁまぁとりあえず座ったらどうだい……まぁ、座る気がないなら立っていてくれればいいが、言葉のままの意味だよ、彼女は、深く繋がっているからね、彼女と」

 ドキリと心臓が鳴る

 扉越しに聞こえる筈などないのに私は慌てて自分の胸を押さえる

 そうか、彼女はゾンビでもゾンビイーターでもない上にあの研究に深く関わりのある人物

 私すら邪魔をされて見ることの出来ない深淵の内容を知っているかもしれないのか

「……どういうことですか?」

 ソラちゃんはやはり怪訝そうなまま聞き返す

「全く君はそればかりだね……でもこちらの話をこれ以上聞きたいのであればまずは、ダイチくんの話からしたいのだけど」

 アカネさんはやれやれといった感じの声でありながら明確な意思を声色でも感じ取れる

「……話すにしても私から、勝手に話すわけには……」

 アカネさんの言葉に少しだけたじろいだ様子でソラちゃんは言葉を濁す

「彼女は君のやることを嫌がったりしないさ」

 アカネさんはくつくつと笑いながらそう即答した

 まぁ、確かに言われればそうなのだがこう即答されるとなんというかそれ程までに私は分かりやすいのかと少し辟易してしまう

「……ダイチさんは亡くなっていますがその人格だけがウミさんの中に残っていて共存状態にあるようです、にわかには信じがたいですが……私はダイチさんの人格に会ったことがありますがあれは演技の類いではないでしょう」

 少しだけ迷ったような間を置いた後にソラちゃんはそう語った

「疑ったりしないさ、あの二人であれば……条件さえ一致すればそういうこともあり得るだろう」

 そしてまたアカネさんの返答は即答

 アカネさんはダイチがなんの実験に関わっていたのかも知っているのだから想像するに越したことはなかったのだろう

「……」

「順を追って話すからそんな目で見ないでくれないか、まぁとりあえず、そういうことでダイチくんが隠していた記憶がどうこう、と言っていた訳か」

 そんな目、という目がどんな目をしているのか簡単に頭に浮かんできてしまいぶんぶんと頭を振って何とか追い出す

「……全て聞いていたんですね、いつからいたんですか?」

「職業柄人間観察が趣味なものでね、申し訳ないがウミちゃんが起きた最初の会話から聞いていたよ、でもこれで、やっと統合性が取れてきたかな」

 そんなに長く見られていたなんて少しも気付かなかった

 慌てていた私はともかくいつも周りに気を張っているソラちゃんまで気づかないなんてやはりこの人もただ者ではないのだろう

「目を覚ましてからウミさんはずっと様子がおかしくて、よく分からないことを聞いてきたり……何故か私に隠し事をするような態度を取る、見ていたなら分かるでしょうが」

「……まぁまず単刀直入に言うがソラちゃん、おかしいのは君の記憶だよ」

 ソラちゃんの訴え掛けるような言葉に対して返ってきたのは正反対の現実を突きつける、というよりもはや叩き付けるような返事だった

「どういうことですか……?」

 ソラちゃんの声が微かに震えを帯びる

「まず、君はセントジャンヌ孤児院に行ったことがある、それも一回や二回じゃない、一度目に関しては一ヶ月の滞在だ、幼少期であったとしても忘れるわけがない」

 そうだ、それは私も見てきた

 奇しくも私のソラちゃんと会った記憶が本物であることが間接的に証明された

「……っ、ですが私には本当に身に覚えが――」

 だがそれは同時にソラちゃんの記憶が何かの影響を受けてなのか、それとも別の理由があるのかに関わらず犯されていることの証明でもあった

「落ち着いて、よく思い出してごらん、それ以外にも沢山忘れていることが君にはあるよ」

 アカネさんは先程よりも何トーンか優しめの声でさらにソラちゃんに考えるように諭す

「なんで、そんな……」

 今すぐにでも部屋に入っていってソラちゃんの肩を抱き締めたい

 それで少しでも、彼女の言い様のない恐怖を打ち消してあげられるなら

 そう、思った

 でもきっと、ここで話を止めるのはダメだ、だから私は握ったドアノブから手を離した

「そもそも、ヨハネの部下、とか駒って言っている時点でおかしいんだよ、ヨルさんをヨハネが殺した? そんな話があるわけない」

「な、にをっ……今さら言い訳はっ――」

「オメガウイルスの研究は三人で始めたことだ」

 ダンッと強く何かを叩く音とソラちゃんの怒号

 そしてそれに被せるように放たれた言葉はあまりにも衝撃で、ソラちゃんにとっては非情だった

「……えっ」

 ソラちゃんの漏らした一言はただ、空虚な音がした

「あの実験場は、施設は、ヨハネと私、それからヨルさんの利害が一致したから設立されたものだよ、君の中の解釈は今、どうなっているのか、ゆっくり思い出してみたほうがいい」

 そしてまたアカネさんがゆっくりと、諭すように語り掛ける

「……ね、姉さんはっ、初めてのオメガウイルス完全適合者で……ヨハネの過度な人体実験のせいで、パンデミックの三日前に、死んだ……」

 そう、それが私がソラちゃんから聞いたヨルさんの認識だ

「合っているところとしてはオメガウイルスの完全適合者、というところだろうか、そもそもあのウイルスの中にはヨルさんの細胞が使われていることもあって完全に適合していた、間違っているところは……人体実験のせいで死んだ、というところかな、彼女は、パンデミックの三日前、ウミちゃんの細胞サンプルなどの輸送中に事故にあって亡くなった、だよ、ちなみに遺体は……まだ見つかっていない」

「そ、そんなっ……」

 ガタッ!

 私はソラちゃんの反応とほぼ同時に後退りしてしまい大きな音をたててしまった

「誰か外にいるのかな? 入ってきなさい」

 アカネさんの声は咎めるような響きもなくただ促す声だった

 私はそっと扉を開けると室内に入る

「……ウミ、さん……」

 急に現れた私にソラちゃんは面食らった様子で青ざめた顔のまま後ろへ下がる

「ご、ごめんなさい、立ち聞きする……気は」

 二人、どちらの顔も見れずに地面に視線を落とした私の手を引いてアカネさんが椅子に座らせる

「ちょうどよかったよ、来てくれて、これでよりスムーズに話が進められる」

 アカネさんは自身もデスクチェアに座り一間置いてからまた語り出した

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