「とりあえず、ソラちゃん、君も一度座りなさい」
少し強めに促されたソラちゃんは今度は大人しく空いていた一人がけのソファに深く腰を降ろす
その瞳にはありありと困惑の色がにじみ出ていた
「で、どこから聞いていたのかな?」
アカネさんは優しく微笑みながら中指でメガネを押し上げる
「す、すみません、ほとんど最初から、です……」
ここで嘘を吐いても仕方がないことだ
私は本当のことを話して頭を下げる
「いや、問題ないよ、むしろ説明する手間が省けて助かるぐらいだ」
そこまで言ってからアカネさんは一拍置いて空気を切り替えてから話を続けた
「とりあえず一度纏めようか、ソラちゃんはずっとその記憶を頼りに生きてきたのだろう、でも残念ながらそれは確実に間違った記憶だよ、私だけならまだしもこの認識はカナタやホシノちゃん、それからヨハネもきっと同じ認識をしている」
アカネさんだけの記憶であればまた、もしかすればアカネさんの記憶を疑うことも可能だろう
しかし他の人達全てがそう言っているのであればそれが恐らく、事実になる
勿論アカネさんが嘘をついている可能性だってあるかもしれない
例えば、アカネさんはまだヨハネさんと繋がりがあってソラちゃんを貶める為にこうして謀っている
全然無い話ではない
それなのに、何故かアカネさんの言葉には言い様のない説得力があって嘘をついているようには見えないのだ
「そう、ですか……」
それはソラちゃんも同様だったようで先程までのように噛みつくこともなくただ事実を受け止めるだけだった
「そして、何が君の記憶の改竄をしているのか、だけれど、それは恐らく君のよく知る人……ヨルさんで間違いないだろうね」
「ど……ういう、ことですか……」
ヨル、という言葉がアカネさんの口から出た瞬間に力なくソラちゃんが顔を上げる
ゾンビは身体の機能も基本的に死んでいるから泣けないとソラちゃんが前に言っていた
もし、泣く機能が残っていれば、今にも泣き出してしまいそうなソラちゃんは見ていて居たたまれなかった
「オメガウイルスにはヨルさんの細胞が使われている、そしてヨルさんは完全適合者でもある、勿論……今のゾンビイーター達の言うところの異能の始まりのようなものの片鱗も見せていた、それを使ってなのか果てはダイチくんに対する実験から何かを得てそれを研究に取り込みより異色なウイルスを完成させた、という可能性もあるが今までの感じを見るとウミちゃんの中にダイチくんがいるようにソラちゃんの中にヨルさんがいても何らおかしくない」
私もソラちゃんも、何も返す言葉がなかった
私はダイチが受けていた実験内容を本人から聞いているからその研究を活かすことが出来るだろうとも思えたからだ
ソラちゃんも殆ど同様の考えだったのだと思う
黙っている私達を見てアカネさんが話を続ける
「そして、ウミちゃんの残りの記憶を封印しているのもまたヨルさん……ゾンビではない彼女にどうやって侵入したのかがまた疑問点になるだろうが、彼女達の関係性を考えればウミちゃんがヨルさんの細胞を保持していてもおかしくないんだよ、そしてこれが君が一番気にしていた自身に何故彼女が全てを明かしてくれないのか、という点にたどり着くわけだけど、君に多くを語らないようにと内部から圧をかけているって所だと私は見ているよ、ああウミちゃんは何も答えなくていいからね」
私の中には明確にオメガウイルスが流れているのは既に理解している
二回、噛まれたその時に感染している筈だから
だが私のことを考えて何も言う必要がないと手で制してくれたアカネさんの恩情を受け取り言葉にするのは避けた
「でも、何で……そこまで……」
ソラちゃんは片手で肩を抱きながら苦しそうに言葉を吐き出す
「……申し訳ないがその先に関してはもう少しだけ待ってくれないかな」
だがアカネさんの返事は予想していないものだった
「えっ……」
ソラちゃんも少し焦ったように視線をアカネさんに投げ掛ける
「……もしこの私の妄想の詰まった空理空論全てが当たっていたとして、ヨルさんが何故君達に全てを明かそうとしないのか……理解出来なくはないんだよ、それ程までに現実というのは無情だ、だから、少しだけ、君達の心の成長を見てから真実は明かしたい、私はまだ君達に再開したばかりだ……はっきり言えば信用に足らない、せっかくこの……廃退した世界に一縷の光が射し込もうとしているのにそれを自分の手で塞ぐようなことはしたくない」
こんこんと語るアカネさんの瞳は真剣そのもので
「わかり、ました……」
私にはそう答えるのが精一杯だった
「……」
「ソラちゃんも、それでいいかな?」
何も返事を返さないソラちゃんに釘を刺すようにもう一度アカネさんが問いかける
「……はい」
ソラちゃんは絞り出すように何とか返事を返してそのまままた地面に視線を落とした
「よし、じゃあ一度この話は終わりにしようか、申し訳なかったね、夜中にわざわざ呼び出してしまって」
アカネさんはパンパンっと手を叩いて解散の合図にすると立ち上がって部屋のドアを開けた
「いえ、別に……それでは」
「あ、そうだ、ソラちゃん、君に一つ、忠告しておきたいことがあるんだけど」
私の横を通って先に部屋を出ようとしたソラちゃんを思い出したことがある、というようにアカネさんが止める
「……何でしょうか?」
ソラちゃんは何とかアカネさんのほうに視線を向けてその先を待つ
「君、共食い……してるだろう」
「っ……」
アカネさんの言葉を聞いてソラちゃんは言葉に詰まったように息だけ漏らした
「え、ソラ……ちゃん、共食いって……もしかしてゾンビを食べて……」
「……」
ソラちゃんの肩を咄嗟に掴んだ私にちらりと視線を向けてすぐに居たたまれないという表情で私から目をそらした
それが、全てを物語っていた
「なんだ、君達で決めたことではなかっ――」
「それだけは絶対にしないって約束だったじゃない!!」
気付くと私はアカネさんの言葉を遮って怒鳴っていた
きっと、今までソラちゃんと旅をしてきて一番大きな声だったと思う
もしかすればあまり人に対して怒鳴ったり怒ることが得意ではない私にとって人生で一番だったかもしれない
「う、ウミさ……」
私の名前を弱々し気に呼ぼうとするソラちゃんの両肩を強く掴む
ゾンビだから痛くなんてない筈なのに
ソラちゃんは苦しそうに少し顔を歪めた
それでも私は自分を止めることは出来なかった
「共食いは危険が伴うってあれだけ言ってて……私はソラちゃんとっ、生きていきたいのにっ、私を守るためかもしれないけどそれでソラちゃんがゾンビになったら何もかも終わりじゃないっ! 私だけ生きても意味ないの、ソラちゃんが一緒じゃないと何にも意味が……ないのに……」
私はそのままソラちゃんを突き放した
「……ご、ごめんなさっ……泣かせる、つもりは……」
よろめいたソラちゃんは私のほうを見ると視線をキョロキョロと周りに巡らせながら途切れ途切れにそれだけ言って黙り込んでしまった
泣かせるつもりは……
ソラちゃんのその言葉に自身の頬に触れれば決して少なくない涙が自身の頬を伝っていた
どうしようもなくなった空気をは破ったのはアカネさんだった
「まぁ、とりあえず落ち着いて、すまないね、まさか個人で勝手にやっていることとは思わずバラしてしまって……でも私から言いたいことも同じことだ、共食いはあまりにも危険が伴いすぎるから止めた方がいいってことだったのだけれど……これはもう私から言う必要はないだろうね、一度双方部屋に戻りなさい、明日の朝トトが呼びに行くまでゆっくりお互いにこれからのことも含めて考えて、それじゃあお休み」
アカネさんは言いながら私とソラちゃんの頭にポンッと手をのせるとそのままゆっくりと部屋に戻ることを促した
確かに、このまま続けてもきっと私も熱は収まらないだろうしそれが一番いいことだろう
その場から動こうとしないソラちゃんの隣を通り抜けて私は自分の部屋を目指した
あんなにソラちゃんの色んな感情を引き出して、見てみたいと思っていたのに
こんな形で見せられた色んな表情は、あまりにも嬉しいものではなかった
そういえば、私からソラちゃんを追い抜いて置いていってしまうことなんてこれが、初めてだった気がする