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第113話 そちら側から見えていた世界

「ここは……特に変哲のない部屋に見えますが、私が入ってすぐに後ろで扉が閉まった辺り分断でもしようとしていたのかと思いますがー、残念ながらそうもいかなかった……と」

 自分のすぐうしろで閉まった扉を見てフーカはそう早とちりして首をすくめてみせる 

「……君には、そう見えているんだね、それとも私の感情を読んだ上でそう言っているのかな?」

 今感情を読まれれば上手く隠しきれていない部分を読み取られる可能性がある

 だからこそあえて私は感情を読まないのかと挑発に出る

 そうすれば

「わざわざ読む必要もないでしょ、あー、追っかけてくるのけっこうしんどかったんですよー、それで、そちら側の景色はどうでした?」

 フーカは早々にそちらへの意識を削いで別の話題を振ってくる

「はて、そちら側とは?」

 フーカの言うそちら側というのが何を示すのかは何となく理解していた

 だがその上で私はとぼけてみせる

 少しだけ、あと少しだけ時間が欲しい

「分からない自分でもないでしょう、研究者という視点から見る私達はどう見えていましたかって聞いているんですよ」

 やはり、フーカが聞きたかったのはそこだったのかと自分のなかで合点がつく

「自分の作った薬だか毒だかすら分からないような薬品を人間……子供に使って、自分たちはガラス越しにただ見て、観察して、紙にそれをしたためるだけ、そんなガラスのそっち側の人達からは自分たちは一体どう見えていたのかなって、さぞや、滑稽に写ったことだろうと思いますがね」

 フーカはそう言って自嘲的に笑ってみせる

 私の次の言葉をきっと彼女は謝罪の言葉だと思っているだろう

「……いや、存外そんなものでもなかったよ」

 私は姿勢をただしながらただ、普通の会話のような流れでそう伝える

「へぇ……少しは罪悪感ってものでも持っていたってことですか?」

「ははっ……」

 フーカがあまりにもポジティブに捉えるものだから、逆に私は少しだけ吹き出してしまう

「……何がおかしいんです?」

 そんな私の様子にフーカはあからさまに不機嫌になる

「いや、逆だよ、真逆さ、私は研究者という立場で君達に人体実験を用いているとき……滑稽に思うどころか何も感じることはなかった」

 そう、彼女がどれだけ謝罪の言葉を求めても、今の私は謝罪こそすれどもしあの時同じ状況に陥っていたら私は絶対に謝ることすらしなかっただろう

 それ程までに私は研究にしか興味がなく、人間のことなんてどうでもよかったのだ

「っ……それは、また挑発でもして……」

 信じられないといった様子のフーカに私は残念ながらそれが事実である、と伝えるために頭を振って続ける

「そうだったらはたしてどれだけよかったか、例えば……実験用のモルモットに副作用を調べるために人間用に作られた薬を投与するとき、はたしてどれだけの研究者が内心でそのモルモットに申し訳無いと思うだろうか、きっと殆どの研究者は何も思いはしない、それがさも当たり前のことだからだ、私にとってはそれが人間になっても何ら変わることはなかった、結果としては私の研究のために必要なモルモットの一つに変わりないのだから」

 そう、それ程までに昔の私という人間は研究に倒錯していたのだ

「っ……つくづく、あなたという人間はさいてーですね」

 苦々しげに呟くフーカの言葉にまさにその通りだと思う自分がいる

 だからこそ

「ああ、自分でもそう思う……と、言ってもその考え方がずっと続いていたわけじゃないし何よりも、同じ研究に没頭する仲間だったヨハネやヨルさんのほうが私なんかよりもずっと慈悲があって……ヨハネなんて特に酷い罪悪感に苛まれていたよ、私が少し特殊だっただけでね……きっと世界中にいる研究者よほんの一握りが私みたいに研究のためならって割りきれる人種で、あとの研究者達は少なからず人体実験をしよう、しかも子供で……なんてなれば罪悪感を持つものなんじゃないかな、そして……私もまた、出会いによって変えられた」

 全員がそうであるわけではないことを伝え

 また、自分も変わったのだということを言葉にする

「まぁ、それに気付くまでに時間をあまりにもかけすぎて、すでにその頃には取り返しのつかないところまでいっていた、それでも私は彼女との約束もあってそういう研究を止めこそすれど、それがしてはいけないことで、相手に対してあまりにも申し訳無いことだと気付いた今でも、私はたまに人間とモルモットの違いが根本的に分からなくなることがある、きっとこの癖は死ぬまで治ることはないだろうね」

 それは悪癖みたいなもので

 彼女……ヒカリちゃんに出会ったことで人を大切にする心が私のなかで生まれ、自分だけではなく他人にも明確な意志があることを知った

 そんな今でもたまに陥ることがある

 動物とは会話が出来ないというだけで、人間は実験の材料として簡単に動物を使う

 それなら他人であれば別に使ってもなんの問題もないだろうと思うことがある

 だが感情論を含めればそれはきっと間違いだということも今の私はちゃんと理解している

 例えば今回のようにヒカリちゃんが巻き込まれたように、トトや皆が巻き込まれれば私は自分のしてきたことを棚にあげてお門違いにも怒るだろう

 そして、世界をこんなことにしてしまったことにちゃんと罪悪感だって抱いている

 それでもなお、私という人間の心の深いところに根付いているそれは簡単に顔を覗かせるときがあるのだ

「……」

 フーカはそんな私の暴露に何と言葉を返せばいいのかわからないようだった

「さてと、これが君の聞きたかったガラスの向こう側という立場だった私から見た景色だ、どう思ったかは、知らないが……結果としてはこういうものなんだよ、知らないほうがよかったと思うことだってこの世のなかにはたくさんたくさんあるっていうことだ」

 私が彼女に伝えられることは嘘偽りなくすべて伝えた

 それが誠心誠意を示すということだと思ったからだ

 そしてそれを組んだうえで彼女がどういう選択をするのか、それは彼女にしか分からない

「そん、な……そんなことが許され、る……」

 フーカは少し取り乱した様子で自身の顔を片手で覆う

 誰よりも大人に左右された彼女だからこそ、その言葉を許容することは難しかったのだろう

「君が聞きたかった言葉はきっと、酷い罪悪感があったとか、申し訳無いと思ってたとか、謝りたかったとか……そういう耳障りのいい言葉達だったんだろう、だけどごめん、これが……現実だ、私は君の意思を尊重するからこそ自分の気持ちに嘘はつかない、なんならその糸で探ればいい」

 これは決して挑発ではない

 今ならきっと心を読まれても私が話したこと以上のことは出てこないからだ

「っはは! ほんっとうに……大人っていうのはどこまでいっても自分のことばかりの最低野郎だってことがよく分かりましたよ……!」

「フーカ……」

 自暴自棄を起こしたようにフーカは笑うと顔の前から掌をどけて怒鳴る

 そんな姿があまりにも痛ましくてつい名前を読んでしまうが私にはそんな資格がないことをすぐに思い出す

 それはオメガウイルスの研究過程に起きたことも勿論含まれるがそれよりもこれからしようとしていることに対する気持ちのほうが大きかった

「もう、十分です、そういう言葉を聞ければ少しぐらい気が晴れるかもなんて思っていた自分が間違えていた……それならばもうこれ以上話すことはありませんね、ここで、お前を殺して……過去の自分と決別する……!」

 フーカは言いながら今までで一番大きく、力強く粘糸を手のなかでぐるぐると手繰り始める

 そしてその頃には私が待っていたチャージも無事に終わっており

「残念ながら、そうもいかないんだ、君はここで……その人生に幕を下ろすのだから」

 私はその言葉を合図に手のなかのボタンを押す

 瞬間吹きすさぶ冷たい風に私は少しだけ、身体を震えさせた

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