それからの学術院生活はそれなりに楽しかったように思う
元々研究漬けのその生活自体は楽しかったが何の目的もなく研究していたそこに万能薬という大きな目標が出来たことでより研究は捗った
そしてそれを機に何かとヨハネは私に構うようになった
ヨハネは私と違って社交性に優れていたからいつでも周りには人がいた
それなのに私に話しかけ、テストも実技も何かと競ってきて、そして毎回私に勝てずに嘆くのだ
そして次こそは負けないと啖呵を切る
そんな生活を続けて暫く、私達は学術院を卒業して立派に研究者としてそれぞれ別の研究施設へと配属された
別に電話番号もメールも交換していたわけじゃないし友達でもない
私達はそれを境に会うことも話すこともなくなった
それでも私達の中の勝負が継続していることを何故か理解していて、仕事の合間に万能薬の研究に励んだ
そんなおりに、私は彼女と再開することになる
「今日付けでこの研究所に配属されましたヨハネです」
そう言って研究者達の前に立ったその人を見て、もう少しでメガネを取りこぼすところだった
「久しぶりね、元気にしてた?」
周りへの挨拶が終わる頃、一番最後にヨハネは私の元へ来て、そういうとあの頃と変わらない様子でひらひらと手を振ってみせた
「急なことで驚いたよ、何故こっちに?」
私は手に持っていた資料を机の上に戻すと椅子をくるりと回転させてヨハネのほうを向く
「旦那が転勤になって……それでついてきたの」
そう理由を語るヨハネの左手にはシルバーリングが輝いていて
「結婚……したのかい?」
驚きでつっかえながら聞き返す
「ええ、研究にも理解を示してくれる良い人よ、あ、それからあなたに紹介したい子がいて……」
ヨハネは経緯を説明しながら自身の後ろに隠れていたまだ小さな子供をこちらへと押しやる
「……」
「……」
真珠のように真ん丸で、ダイヤのように光るその瞳に私は何も言えなくて、いや、そもそも子供になんと声をかければいいのかさえ分からなくて、二人して何も言わずにただ見つめ合うといういささか妙な状況になっていた
「この人はね、ママのお友達……というかライバルというか、なんだけど、ちゃんと挨拶出来るかしら?」
そんな私達の助け船にヨハネが口を開く
「ママって……この子供っ、君の子供なのかっ……?」
私はヨハネの言葉に驚いて子供もヨハネと私の間で視線を往復させる
確かに、顔の作りの所々にヨハネの面影はある気がする
「ひ、ヒカリです……」
子供……ヒカリちゃんはそれだけ言うとぴゃっとヨハネの後ろに隠れて私のほうを顔だけ覗かして見やる
「そう、私の娘、ちゃんと挨拶出来て偉いわねー、ごめんなさいね、少し人見知りする子なの」
そんなヒカリちゃんの頭を優しく撫でるヨハネはまさしく人の親で
「いや、そうか、だ、大丈夫だ……私はアカネ、よろしく……」
私だけ騒いでいるのも負けたような気になって、私はしゃがんでヒカリちゃんと視線を合わせると挨拶をして、それからそっと手を差し出してみる
「……はい!」
「っ……」
プイッとそっぽを向かれるのだって覚悟していたがヒカリちゃんは少し私のことを観察した後にニコッと笑って私の手を取った
その行動に、少し萎縮しながらもゆっくりと手を握る
本当は、この子ぐらいの子供も何人も解体し、実験台にしている私には、この子の手を掴む資格もなかったかもしれない
初めてこの時、自分のしてきたことに少しだけ、罪悪感を覚えた
「あら、貴女子供得意だったかしら?」
ヨハネは私とヒカリちゃんのやり取りを見て驚いたようにそう溢す
「……いや、どちらかと言えば、苦手なほうだ」
私は私の手を使って遊びだしたヒカリちゃんを観察しながらそう返す
子供は泣く、怒る、叫べば煩いし何を考えているのかも分からない
だから苦手な、筈だった
「それにしては、扱い慣れてるのね」
ヨハネは言いながらまたヒカリちゃんの頭をくしゃりと撫でる
「そ、そうかな」
その頃やっと解放された手のひらに、私は視線を落としていた
「ええ、初対面でここまで心開いてるの初めて見るもの、まぁこれで私のバトル相手の様子を直々に確認出来ると思うと色々とやりやすいわ、忘れてないわよね? 私との勝負を」
それからヨハネは昔、学術院の頃のような強気な物言いでそう聞いてくるから
「勿論……忘れるわけないさ」
私もまた、そう返す
「私、勿論まだ負ける気はないから容赦しないわよ」
「……それは、こっちの台詞さ」
思えば
この再開こそが私達の過ちの始まりだったのだ
「レイさんが事故で……?」
その日、私はヨハネの口からヨハネの旦那、ヒカリちゃんの父親であるレイさんの訃報を聞いた
「そう、歩いてるところに飲酒運転の車が突っ込んできたらしいの、即死だって」
「っ……」
旦那の死因を淡々と語るヨハネに私のほうが居たたまれなくて片手で口許を覆う
レイさんには何度も会ったことがあるがまさしく好青年、という言葉が似合うような毒気のない人だった
そんな人が飲酒運転なんて愚行の元に殺された、なんて許すことが出来なかった
その時にまた、自分がしていることがさしてそれと変わらないのに棚に上げるのかと思ったことを記憶している
「嫌だわ、なんて顔するのよ」
そんな私を見てヨハネはくすりと笑う
「……だって、ヒカリちゃんだってまだ幼いのに」
そう、ヒカリちゃんはまだ幼い
父親が、いなくなったことをどう伝えるのだ
「だからよ、だから私が落ち込んではいられないの、あの人の分まで私がヒカリを幸せにしないといけないんだから」
「……」
真剣な瞳で、化粧でも隠せない隈を目の下に作ってそう語る友人を前にして、私は何も言えなかった
「……昔の無愛想はどこ行っちゃったのよ貴女、ずいぶん人間らしくなっちゃって」
だがそんな私がおかしかったのかヨハネはまた、少しだけ笑ってからそう言った
「それは……」
きっと君達家族のせいで、お陰なのだと、この時、言葉にして伝えることは、私には出来なかった
「……ヨハネ」
それからヒカリちゃんが不治の病に倒れるまでそう期間は空かなかった
私が声をかけたとき、ヨハネには前のような余裕は少しもなかった
「アカネ……だ、大丈夫よ、私が、必ず、あの子を救ってみせるから、あの子まで……失うわけにはいかない」
「……なぁヨハネ、一度、勝負を休戦しないか?」
そして、自分に言い聞かせるようにそう呟くヨハネに私はひとつの提案をすることにした
「……え?」
ヨハネはその言葉にやっと視線を上にあげる
「私達は……一人では未だに万能薬の完成に至っていないが、私達二人なら、出来るかもしれない……いや、出来る筈だ、だから、二人で万能薬を開発して、ヒカリちゃんを救うんだよ、そうじゃないと……あの子が死ぬなんて……あまりにも世界は不平等だ」
不平等を撒き散らす側の人間の戯れ言だとは勿論分かっていた
それでも、これ以上傷つく友人も、そんな母の為に父が死んでも笑っていた優しい子を救えるのなら、それでも良いと思ったのだ
「……アカネ」
それから先は、あの日ソラちゃんとウミちゃんに語ったままのことが起きた
再開が、私の変化が、世界をおかしくしたのだ