「ヨハネ……ウミさんから離れてください」
ソラちゃんは私の首筋にナイフを当てるヨハネに刀を抜いて警告する
「あら、そう言うならまずはあなたがヒカリから離れなさい」
だがヨハネは私の首からナイフを外すことなくソラちゃんに淡々とそう告げる
「っ……」
ソラちゃんは少し逡巡した後に一歩、ヒカリさんのいるであろうガラス窓の前から身体を離す
「そう、それで良いわ」
それを見たヨハネはホッとしたように私の首に当てていたナイフから力が弱まる
「ヨハネ……さん、これ以上悪あがきしても……もうあなたの勝利はあり得ない、だから」
「だから? 私に投降しろとでも言うのかしら? アカネに似たようなこと言われなかった? この戦いはどちらか死ぬまで終わらないって」
少し落ち着いてきた私は必死でヨハネに語りかける
ヤマトさんが下された以上ヨハネ側の勝利は殆ど零になったと言って良いだろう
なぜならヤマトさんは倒されたわけではなくこちらへと寝返ったのだから
「……」
だがアカネさんの使った言葉と同じ言葉に私は黙り込むしかなかった
どれだけ筆舌に尽くそうと、そう、どちらかが死ぬまで、続くのだ
それ事態は、ちゃんと覚悟していた筈なのに
もしかしたらにすがってしまったのはいつまで経っても治らない私の弱いところだ
「まぁ、ただ私もこのまま簡単にやられてはいおしまいは性に合わないわ、ここは……取引しない?」
「取引、ですか……」
ヨハネは私と会話するよりもソラちゃんと話したほうがことの進みが早いと考えたのか、ヒカリさんからさらに距離を取らせたいのか、会話相手をソラちゃんに絞る
「そう、私にウミさんの細胞のサンプルを提供して頂戴、それから……ヒカリからも手を引いて、そうすれば私ももうあなた達から手を引くわ、もう干渉もしないし刺客も送らない、ユートピアだろうと何だろうと探しにいけば良い、それで私達の関係もお仕舞いになる」
言いながら自分の気持ちを示すため、というように私の首からナイフを引くと少しだけ距離を取る
「……あなたは、手に入れたサンプルからまた薬を作る、と」
「ええ悪い? 何時どんな時だって人は薬を待っている、そもそも知的欲求というのは決してなくならないし世界も薬の完成を待ち望んでいる、その間に何か、犠牲があったとしてもそれは尊い犠牲に他ならない、実際に犠牲は世界がこうなる前からあった、研究施設の出のあなた達ならこんな長々と話さなくても理解してくれるでしょうけど」
ソラちゃんの問いかけにヨハネは当たり前のようにそう答える
「……あなたは、ヒカリさんも尊い犠牲として切り捨てられますか?」
「ヒカリはっ! 第一人者になるのよ、これから、ゾンビから完全に人間へと戻った初の人類として崇められる存在になる、だから、犠牲じゃないわ……!」
そんなヨハネにソラちゃんはさらに問いかける
そうすれば先ほどまでの余裕は一瞬で消え失せて、狂乱したようにヨハネは怒鳴る
「それが、ウミさんの細胞を使えば出来ると、考えているんですね」
やはり、あの日誌にあったように、ヨハネの心はもうとっくに破綻しているのだろう
「理論は完成してるの、ヨルさんの特殊な細胞でゾンビ化した子にウミさんの細胞で作った抗体を用いればきっと、デメリットだけを削除した新生のワクチンが完成する、そうすれば少しずつ世界は平和を取り戻す、あなたのお姉さんが起こした事件も終息に向かうでしょう、だから、私達の利害は一致してる筈よ」
ヨハネは余裕がないのかヨルさんの一件を話題にあげる
ゾンビのいない平和な世界
確かに、それだけ聞けば私達の利害は一致しているかもしれない
それでも、ソラちゃんの表情が晴れないことから何かがまだ、あることを理解するのは難しくなかった
「……確かに、そうかもしれません、ですが、もし……ウミさんの細胞を使っても薬が完成しなかった時は、どうするんですか?」
「そ、そのときは……また新しい方法を考えるわ!」
そう、私の細胞を使ったからといってオメガウイルスに対するワクチンが完成するとは確定していない
むしろそう簡単に作れるならばもっと早くに、それこそヨルさんの時にだって完成していてもおかしくない
「ヨハネ、私達は……悲しいことに長く敵対してしまった、だから、私はあなたではなく、アカネさんの研究に賭けます、意図的にゾンビの強化薬を作って、希望者にとはいえ接種してまで私達を追いかけたあなたよりも」
ソラちゃんはただ冷静にそう言いながら自身の刀を優しく、構え直す
「……そう、分かったわ、私に恨みがあるのは当然よね、じゃあ私は殺せばいい、代わりに、ヒカリだけは……!」
そんなソラちゃんを見てヨハネは諦めたようにそう言って手に持っているナイフを捨てた
だが、ソラちゃんが自分に対する恨みや辛みだけでそういうことを押し通す人ではないことを私はよく知っている
だからこそ、この後にソラちゃんが何を言うのかが、ただ気になった
「私達の間は拗れに拗れました、それでも、もしかしたら……また手を取り合う未来もあったかもしれません、一人より二人のほうが研究も捗るかもしれませんし、でも、ヒカリさんのことがあるからこそ、私はあなたの手を取れない」
ヒカリ、という名前が出てきたことで私は悟る
私は日誌を見た、ソラちゃんはヒカリさん本人を見た
そして、この結論に至った
つまりは、そういうことだ
「……どういうこと……? ああ、アカネにヒカリを殺すように頼まれたのね……だからここを目指していたんでしょ、でも、あの人だってヒカリのことを愛してたから……きっとまた分かり会え――」
「違います……!」
そして、日誌を書いた本人で、ヒカリさんのことを一番よく、近くで見ている人……ヨハネが、気付かないわけがなくて
それでも道化を演じるヨハネにソラちゃんは耐えられないというように声を粗げた
「ソラ……ちゃん……」
私はそんなソラちゃんを見ながらただ名前を呼ぶことしか出来ない
「ヨハネ、あなたがこの現状に気付いていないわけないでしょう……?」
ついに、ソラちゃんは本命の話を切り出す
「な、何の、話を……あ、止め、て……」
ソラちゃんがその言葉を発した途端にヨハネの顔色が悪くなり、言葉の切れがなくなる
ガシャン!!
だがソラちゃんは止まることなくヒカリさんの収容されている部屋の大きなガラス窓を刀で叩いて破壊する
そこで、やっと私にもヒカリさんの現状をこの目で見ることが出来て、日誌の内容以上に酷いその状態に目を反らしそうになる
「ちゃんと、見てください、ヒカリさんは……もう、どうにもならない、身体の殆どは栄養不足でやつれ、腐敗して、こうしてガラスを砕いても立ち上がることも出来ずただ小さな声で呻くことしか出来ない、そんな彼女を治すなんて、それこそ神でもないと不可能です」
「っ……」
動くことすら敵わないヒカリさんに視線を落としながらソラちゃんは躊躇うことなく全てを、言いきった
そして、ヨハネはソラちゃんの言葉にただ、言葉を失う
「やっぱり、気付いていたんですね、それでも、気付いていても、それを認められなかった」
「止めて……」
ソラちゃんの語るその内容にヨハネは狂ったように頭をかきむしる
「確かに私はアカネさんにヒカリさんの時を正常に戻すことを頼まれましたが、この現状を見て、もし頼まれていなかったとしても……私は彼女を、このまま苦しませ続ける気は、欠片もありません、だから、全てヒカリさんを優先するあなたとは……手を取りあえない」
そしてソラちゃんは、言いながらそのまま刀をヒカリさんに向かって大きく振り上げる
「止めなさいっ!!」
ヨハネは、そんなソラちゃんを見て必死に手を伸ばしながら、ただただ絶叫した