「なるほどなるほど、そういう事ね」
「……おめでとうって言うべきなのかしらね」
直属の上司なので私から伝えたいと思い、チーム会議の後に真中さんと羽柴さんへ話を切り出した。羽柴さんは合点がいったという風な表情で頷いていて、真中さんは難しそうな顔をしている。
「おめでとう。色々大変とは思うけれど、二人の事応援してるわ」
「貴女にはおめでとうって言っておくわ。彼には言ってやらないけど」
「ありがとうございます。二人とも」
何となく面映ゆくて、視線を少しずらしながらお礼を告げる。こっちは纏まったようで何よりだわという羽柴さんの呟きには、真中さんと二人で曖昧に微笑んだ。
「でも、まさか彼がああまで分かりやすく喜ぶとは思っていなかったので驚きました」
「確かにね。私の知ってる菊野君って、基本無表情で何考えてるのか分かんない感じの人だし」
「感情を表に出すタイプではなかったわよね。人間変わるものねぇ」
そんな羽柴さんの言葉に、真中さんが頷いている。しかし、私の知っている菊野さんは、基本穏やかな表情か微笑んでいる表情が中心で、それ以外の表情だと極稀に眉間に皺を寄せているくらい……無表情と言われると、正直しっくり来ない。
「そう言えば、二人の事課長にはお話したの?」
「菊野さんの方からすると仰っていたのでお任せしました。今度二人で飲みに行くらしいです」
「じゃあその時にって事なのかしら。それまでは知らぬ存ぜぬで居た方が良さそうね」
「そうねぇ。とは言え、課長なら菊野君のあの様子を見ていたら何となく気づきそうなものだけど」
「確かに……」
課長は、皆を良く見ている。洞察力があるという事なのだろうか。実際、月城君が何か隠していそうだというのも看破していたし。
「でも、菊野君がずっとああだと課長以外の人にも気づかれるでしょうね。詳細までは分からなくとも、何かあったんだろうなってのは察せるでしょうし」
「それが、彼の評価に関わる事ってあるんですかね?」
「可能性が無い訳じゃないでしょうねぇ。とは言え、特に大きなミスをしなければ問題視はされないでしょうけれど」
「業務や評価上は問題無くても、別のところで変な火種にならないという保証はないわ。彼、一応このまま行けば次期社長だし、あんまり普段と様子が違うと社長辺りが不審がる可能性はあると思う」
社長という言葉が出てきて、じわりと背中が冷たくなった。菊野さんと一緒にいるためには、いつか必ず相対しなければならない相手……入社式の日の印象がどうしても拭えなくて、気は進まないけれど。
「そう考えると、貴女の方から釘を刺しておいても良いんじゃないかしら。貴女の言う事なら聞くでしょう」
「……取り合えず、お話はしてみます」
いずれは向き合わないといけない相手なのだろうが、今すぐにとなると余りにも急すぎる。流石に、何の準備も心構えもしてないうちに相手してどうにかなる相手じゃない。
じわじわと不安が胸の中に広がってきたので、追い出すように軽く叩いた。
***
『そうか。俺はそんなにいつもと違うように見えていたのか』
「そうみたいです。それで、あの……気を付けた方が良いのかもという話になって」
『話になった? 誰と?』
「真中さんと羽柴さんです」
『……』
リズムよく返ってきていたメッセージの返事が、ふっと途切れた。既読にはなっているので、とりあえず待ってみる。
『二人には話したんだね』
「話しました。直属の先輩、上司ですし」
『それはそうか……いや、別に話してもらっても何の問題もないんだけど』
またリズムが崩れた。そう言えば、彼の中で真中さんはどういう人なのだろう。退院祝いをわざわざ渡していたくらいだから、菊野さんの方はそこまで憎からず思っているんだろうけれど。何となく胸の奥がもやもやとしてきたので、ぶんぶんと頭を振った。
『ともかく、社内での態度とか発言とかには気を付けておくよ。取るに足らない事で無用なトラブルを生みたくないし』
「そうですね。私も気をつけます」
『うん』
会話は一区切りついたが、このまま終わるのも何となく寂しい。そんな訳で、何かないかと必死に話題をひねり出す。そうだ、彼に聞いてみたい事があったんだ。
「話は変わるんですけど」
『何かな?』
「この前、菊野さんが作ったっていう資料を見せて頂いたんです。すっきり纏まっていて、見やすくて……だから、資料作りのコツとかを、お聞き出来たらなぁって思っていて」
『何の資料?』
「企画課のプレゼン資料です。確か、今の主力ブランドを立ち上げた際の資料だったと思うんですけど」
そこまで送信した後で、そう言えば菊野さんが企画課にいた事があるというのを知っている、とは伝えた事がなかったなというのを思い出した。いきなり話題に出してしまって、驚かせてしまっただろうか。
『俺が前に企画課にいたって話、知ってたんだ』
「知ってます。真中さんに色々教えて頂いて……きっかけは小柴さんから一方的に告げられた事なんですけど」
『ああ、なるほど。そうだね、それならさぞかし恨み節を聞いたのかな』
「……ええと」
はいともいいえとも言いづらくて、曖昧な表現で逃げる。菊野さんは、真中さんに恨まれているという自覚自体はあるらしい。
『資料作りのコツか。時間外になるけど、今度の休みで良ければ色々教えられるよ』
「私の方は問題無いです。菊野さんの、せっかくの休みをって考えると申し訳ないんですけど」
『気にしないで良いよ。向上心があるのは良い事だし、何であれ二人でいられるなら構わない』
そんな言葉に、思わず赤面してしまう。多分だけど、こういう言葉も、きっと計算とかではなく思ったまま言っているんだろうな。だからこそ、彼の言葉はこんなにも響くのだろうか。
「ありがとうございます! 宜しくお願いします!」
『うん。それじゃあ、詳細を決めたらまた連絡するね』
「はい。おやすみなさい」
『おやすみ』
挨拶をして、アプリを閉じる。こんな風に、彼とやりとり出来るようになった喜びを、暫くの間噛み締めていた。