目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

貴方をもっと知りたい(2)

「なるほど。使う色やレイアウトと同じかそれ以上に、情報の取捨選択が大事なんですね」

「そう。せっかく調べたからっていって何でもかんでも詰め込むと、余白がなくなって見づらくなってしまうから」

 メモを片手に、菊野さんの話を聞いていく。確かに、今までの私が作っていた資料は情報を色々詰め込んでいた。道理で、真中さんのチェックを受けた時に毎回削るよう言われていた訳だ。

「でも、情報ってどうやって選んだら良いものですか? 調べれば調べる程、全部大事に思えてきてしまって……載せないといけないように思ってしまうんです」

「まずはそうだな、最初の段階で資料を作る目的とかテーマとかを明確にしておく事が重要だね。方針を決めておく、と言い換えても良い。例えば……今度発売する商品Aについて、店舗に説明するための資料を作るとする。その資料を読むであろう人は誰になる?」

「化粧品の販売を担当している人ですね」

「そうだね。場合によっては他の従業員も読むだろうけど、一番その商品を紹介する可能性があるのは化粧品担当者だろう。さて、店舗で実際に接客をする化粧品担当者は、普段どうやって商品を紹介しているだろう?」

「……困ってる事や悩みを聞いて、それを解決出来るような商品をお勧めする、ですか?」

「そうだろうね。だけど、この悩みにはこれがお勧めですって一言だけで紹介するものだろうか?」

「それじゃ説得力に欠けますよね。何でその商品がお勧めなのかとか、どういう効果があるかとか、そういうのも教えてもらわないと買おうとまでは思わないかもしれません」

「うん。だから、化粧品担当者に最低限伝える必要があるのは、その商品の処方と処方の意図、各成分の働き、期待出来る効果になる。でも、化粧品の成分は沢山あるでしょ。全成分の働きを全部網羅していたら、情報量の多さに埋もれて商品Aの強みが十分に伝わらず、その結果説明の説得力が薄れて販売にはつながらないかもしれない」

「となると……処方の中心になる成分は詳しく、それ以外の添加物は一言くらいに留めた方が良いって事ですか?」

「その通り。そんな風に考えながら、載せるべき情報を選んでいくんだ。それと、お客さんから聞かれそうな事の答えも載せておくと良いかな。使用感とか、香りとか、使い方とか……開発の経緯とかも載せておくと理解を深めやすいとは思うけど、この辺りは最重要って程ではないから簡単に纏めるくらいで大丈夫」

「ありがとうございます! 誰に向けた資料なのか、その人が必要とするであろう情報は何か、その辺りを始めに考えておく事で載せるべき情報がおのずと見えてくるという事ですね!」

「そうだね。後は経験かな。その辺りを意識しながら作って、都度確認してもらってってやっていくと良いよ。途中途中で見せに来るようにって言われているだろう?」

「はい。そうしないと軌道修正が大変だからって仰ってました」

「真中らしいね。相変わらずリスク回避の鬼だ」

「何手先まで考えてらっしゃるんだろうって思う事あります。ご本人は、予め想定しておけばいざという時も困らないでしょって言って涼しい顔されてましたけど」

「とは言え、流石に入った当初は想定外の事態に慌ててる姿も見たけどね。その辺も、まぁ、経験なのかな」

「経験……」

 それだけで、ああまでしっかり出来るものだろうか。正直、私があと数年同じように仕事をしていったとしても、あのレベルに達せるのかは自信がない。

「有谷さんは、インターンもしていたとはいえまだ半年も経ってない一年目の新人だ。今は真中や羽柴さんについて、目の前の事を頑張っていれば大丈夫だよ」

 しょげているのが伝わってしまったのだろうか。菊野さんから、そんな言葉を告げられぽんぽんと頭を撫でられた。それを大人しく享受しつつ、じっと彼の顔を見上げる。

「また何かあったら質問しても良いですか?」

「勿論だよ。君の力になれるなら本望だ」

「……ありがとうございます」

 真正面からまともに彼の微笑みを浴びてしまい、何だかいっぱいいっぱいになってしまった。辛うじてそれだけ答え、グラスに残っていたアイスティーを飲み干す。

 すかさずお代わりはどうするかと聞かれたので、冷たいお茶をお願いした。


  ***


「着いたよ、ここだ」

 資料作り講義が終わったので、次は彼の用事に付き合う事になった。彼の横を並んで歩き、辿り着いたのは古風な見た目の鞄屋さん。

「棚の商品とか、自由に見てて大丈夫だよ。ちょっと待っててね」

「はい」

 菊野さんはそう言い残して、近くにいた店員さんに声を掛けた。書類らしきものを受け取った店員さんが、少々お待ち下さいませと言ってバックヤードの方へと駆けていく。戻ってきた店員さんが抱えていたのは、落ち着いた色合いの革のビジネスバッグだった。修理にでも出していたのだろうか。

 二人が話し始めたので、私の方は少し離れて棚の上の商品を眺めていく。等間隔の縫い目が綺麗な革製の鞄や、厚みのある布で作られた丈夫そうなリュック……お弁当を入れるようなミニトートもある。ふと、目の前の鞄についている値札が目に入ったので、興味本位で確認してみたが……書かれている値段を見て悲鳴を上げかけた。この前私が買ったビジネストートの、軽く十倍はある。

「お待たせ」

 ミニトートも五倍……と慄いていると、菊野さんが戻ってきた。どうしたのか聞いてみたが、思った通り、普段使っている鞄の取っ手が壊れてしまったから修理に出していたらしい。此処なんだけどね、分からないだろう、凄いよねと嬉しそうに語ってくれる菊野さんは可愛いが、間近で見た彼の鞄は如何にも高価そうでちょっと言葉が出てこない。

「あの、もしかして」

「うん?」

「以前仰っていた鞄屋さんが此処ですか?」

「そうだよ。この前買った鞄はこれの色違い」

「……いくつかもってらっしゃるんですか?」

「うん。そんな沢山はないけど、一つだけだと壊れた時に困るからね。元々二つ三つはストックしているんだ。気分で変えられるし」

「それは、まぁ、そうですね……」

 この前自分用のビジネストートを買った時でさえ、私はドキドキしながら支払いしたのに。その際に、予備としてもう一つ買っておく……というのも考えなくは無かったが、貯金を崩してまで買わなくても大丈夫かなと思って見送ったのだ。改めて、現状の彼との差を思い知る。

「もしかして気に入ったのがあった? 良いよ、持っておいで」

「……いえ、大丈夫です。このお店の名刺とかパンフレットだけ頂けますか? 家に帰って、改めてじっくりラインナップを見てみたいので。決めるならそれからが良いです」

「そう? それなら貰ってくるよ。ああ、すいません」

 再び菊野さんが店員さんに声を掛ける。良いよ、とは……つまり……いや、この場を収めるためにああ言ったが、こんな高級品、恋人だったとしてもそんな気軽にねだれる訳がない。公園のアイスとは違うのだ。

「何かいっぱいくれたよ。重くないかな?」

「ありがとうございます! 大丈夫です!」

 三センチくらいはありそうな分厚いカタログや季節品の小冊子を複数受け取り、背負っていたリュックの中に仕舞う。なるほど、こういう高級店は買わない客にもこんな親切に色々してくれるのか。流石である。

(……ああいう鞄が似合う人になりたいな)

 丁寧に作られたここの鞄は、菊野さんにとても良く似合っている。そんな彼の隣にいるならば同じような人間になりたいし、ならないと釣り合わないとも思う。

 まずは、しっかり目の前の事を頑張って、様々色々覚えていくのが良いのだろう。頑張って頑張って成長していったその先で、こういう鞄が似合うような、相応しいような、そういう素敵な人になれると信じて。

 そんな事を考えながら、目の前の菊野さんを見上げる。目が合った彼は、にっこりと微笑んでくれた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?