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貴方をもっと知りたい(3)

「化粧品の展示会、ですか」

 昼休憩が終わって、さぁ午後からも頑張るぞと気合を入れたタイミングで真中さんに声を掛けられた。化粧品の展示会……見本市があるというのは知っているが、商談や買い付けの場だから一般客はまず入れないし、何の権限もない新人の自分がそうそう気軽に行ける場所ではなさそうだから、敢えて詳しくは調べていなかった。詳しく知ったら、絶対に行きたくなるので。

「ええ。私達が作っているスキンケア用品やメイクアップ用品は勿論、ヘアケア用品とか美容器具とか……ともかく、美容に関わるトレンドが一堂に会する場所よ。知ってる?」

「知ってます。興味はあるんですけど」

「そこにね、懇意にしている取引先が複数出店するらしくて。ご挨拶に向かうよう課長に指示されたのよ」

「お使いみたいなものですか?」

「そうね。本当は課長ご自身が行きたかったそうだけど、その日は外せない商談があるとかで……課長がピックアップなさった企業の商品の購入も承ったから、まさにお使いね」

「……行けるのは真中さんだけですか? 私も付いて行ったらダメですかね?」

 胸元で手を合わせつつダメ元で聞いてみると、真中さんの瞳がぱちぱちと何度も瞬いた。呆気に取られているような表情だ……やっぱり、無理だろうか。

「何言ってるの。貴女も行くのよ」

「やっぱり平の新入社員はダメですかね……え?」

「貴女も連れて行くつもりだから話したのよ。来週三日間開催なんだけど、中日の水曜日に行くからそのつもりでね」

「ありがとうございます!!」

 声を張り上げ万歳した後で、真中さんの手をぎゅっと握りぶんぶん振る。真中さんは驚いたような表情だったが、特に突っ込まずにいてくれた。


  ***


『そうか、それは良かったね』

「はい!」

 大きな声で返事をすると、スマホ越しからふふっと笑う声が聞こえてきた。電話口の向こう側で、彼はいつも通り穏やかに笑っているのだろうか。それだったら嬉しいが。

『俺も何回か行った事があるけど、色々勉強になるし流行も学べるし、良い刺激になったよ』

「そうなんですね。何か気を付けた方が良い事ってありますか?」

『一般的なビジネスマナーが出来ていれば問題ないと思うよ。だけど、基本商談の場だから真中とはあまり離れずにいた方が良いかなとは思う。まだ有谷さん一人で営業とか打ち合わせとか、そういうのはしてないだろう?』

「してないですね。真中さんや羽柴さんが打ち合わせてる場に同席しているだけで」

『展示会の本来の目的を考えれば、例え取引の決定権が無い相手であっても無下にするとは思えないけど……まぁ、中には、直接的な取引に繋がりそうにない相手はお断りって場合もあるかも分からないし。逆に、言葉巧みに丸め込んで有利に話を進めようとする奴もいるかも分からないし』

「……そういうものですか?」

『何事も警戒しておくに越した事はないという話だ。基本的には、自社の商品に興味を示した相手には親切な事が多いよ。展示会なんだから自社商品や技術を売り込みたくて参加している筈だし……例え直接的な取引にはならなさそうでも、いつどこの縁がきっかけで飛躍するかなんて分からないからね。種まきは重要だ』

「なるほど……」

『俺も一緒に行ければ良かったけど、その日は銀行との打ち合わせがあってね。まぁ、一緒に行くのが真中なら大丈夫だろうから、そこは安心ではあるかな』

「……」

 何となく胸の奥がもやっとしてきたので、少しだけスマホを離して息を吐く。会話出来るだけでも幸せだった筈なのに、今は両想いでお付き合いだってしている、正に恵まれた状況にあるのに。うっすらでも嫉妬を覚えてしまった自分が、まるで貪欲なモンスターになったみたいで恐ろしくなってくる。

『企画課を離れてそれなりに経つから、純粋に今の流行にも興味はあったんだけどね。年に数回やってるから、どこか機会があれば行ってみようかな』

 ぽつりと続いた言葉にはっとする。そうだ、彼は元々企画課にいたのだ。興味ない筈がない。

「それなら、今度お会いした際に色々お伝えします。どんな商品に、企業に出会ったのか、どんな話をしたのか」

『ありがとう。楽しみにしているよ』

 優しい声が感謝を紡ぐ。それを聞いただけでモヤモヤが霧散して嬉しくなってしまうのだから、ほとほと自分は現金だ。

「それじゃあ明日も仕事ですし。お休みなさい」

『うん。お休み』

 挨拶をして、会話を締めくくる。少しだけ彼の声を脳内で反芻して余韻に浸った後で、今度行く展示会について調べるためスマホで検索を開始した。


  ***


「先に来場者バッチを渡しておくわね。会場の入り口で専用のホルダーに入れて使うから、出しやすい場所に入れておいて」

「来場者バッチって紙に印刷されてるんですね……分かりました! 他に準備しておく物はありますか?」

「特別必要な物は無いわね。貴重品の管理に気を付けてねってくらいかしら」

「はい!」

 昼休みが終わったと同時に、会場へ向かう準備をする。真中さんから受け取った来場者バッチをクリアファイルに入れて鞄に仕舞っていると、何となくいつもよりもニヤニヤしている課長がこっちに近寄ってきた。私を少し通り過ぎて真中さんの正面で立ち止まったので、念のため注意して見ておく事にする。

「今から行くのかい?」

「はい」

「一応先程確認したけど、リストの変更は無しだ。挨拶と情報収集、宜しく頼むよ」

「お任せ下さい」

 少しだけ顔が綻んでいる真中さんと、相変わらずニヤッとしている課長。課長の腕が微かに動いた気配と真中さんが少しだけ狼狽えたような気配がしたので、とっさに二人の間に割って入った。

「準備終わりました! いつでも出発出来ます!」

「あ……ええ、分かったわ。それじゃあ行きましょうか」

 明らかにほっとしたような真中さんの視線と、いささか温度が低くなった課長の視線が同時に向けられる。しかし、こちらからも課長に目線を向けると、再び表情がニヤついたものになった。

「有谷君は、展示会は初めてだったか」

「はい。BtoBの展示会ですから、今までは興味があっても参加出来ませんでしたし」

「そうかそうか。それなら、新人ならではの目線で色々見聞きしておいで。色よい収穫がある事を楽しみにしているよ」

「……分かりました」

 返事をすると、課長はさっさと自分の席に戻っていった。何か言いたげというか、何か言われるんじゃないかと思えるような表情だったので拍子抜けだが、何もないならそれに越した事は無い。彼から突っ込まれる話題の心当たりなら、十二分にあったので。

「行ってきます!」

「行ってきます」

 真中さんと二人で企画課の他メンバーに挨拶し、真中さんの運転する車で会場へと向かった。


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