「……すごい」
あまりの人の多さに、思わず立ち止る。以前参加した音楽フェスの会場の熱気と、同じくらいかそれ以上にすら感じられた。雰囲気に当てられ、期待で胸が高鳴っていく。あれだけの熱量を、ここにいる人達は皆化粧品や技術、美容関連の事業につぎ込んでいるのだ。
「まずはこの原料メーカーの所に行くわよ。付いてきて」
「はい!」
相変わらず真中さんは冷静だ。菊野さんも何回か行っていると言っていたし、真中さんも慣れているのかな……と思ったが、よくよく横顔を見るといつになく頬が上気している。お使いもとい仕事で来ているとはいえ、やっぱり真中さん自身も楽しみにしていたのだろうか。
「いつもお世話になっております。キクノコーポレーション企画課の真中です」
「新人の有谷です! 宜しくお願いします!」
真中さんに続いて挨拶し、腰からしっかりと曲げてお辞儀をする。ブース担当者らしい眼鏡の男性は、微笑みながら会釈してくれた。
「お世話になっております。わざわざ来て下さったんですか? ありがとうございます」
「はい。日頃のお礼と、今回展示される予定の原料について詳しくお伺いしたいと思いまして」
「かしこまりました。資料をお持ちしますね」
男性が資料を準備している間、ぐるっとブースの中を見回してみた。見掛けた事のある原料から初めて見る原料まで、様々な物が展示してある。後で改めてじっくりと見てみたい。
その後、持って来てもらった資料を見ながら真中さんと共に説明を聞いていった。適宜質疑応答の時間を取ってくれたため、気になった事を遠慮なく質問する。彼はそんな私や真中さんの質問にも笑顔で答えてくれたので、実に有意義な時間を過ごす事が出来た。
「次はこちらの原料メーカーとあちらの機械メーカー、その次は容器メーカーよ」
「いっぱいあるんですね」
「化粧品の中身自体は自社工場で作ってるとはいえ、化粧品を作るための原料は買ってくる必要があるし、容器、パッケージやラベルなんかは外注だからね。製造工程でも、他社と協力してる部分は色々あるし」
「全てを自社でってなると中々大変ですもんね。他社と取引したり提携したり契約したりして協力していくからこそ、安定してうちの商品が作られているんですね」
「そうよ。だから、商品を買って下さるお客様と同じくらい、製造に関わる取引先にも感謝と敬意を忘れずにいないといけないわ」
「肝に銘じておきます」
拳を握りながら返事をする。見えてきたわよという言葉が聞こえてきたので、お腹の辺りに力を込めて背筋を正した。
***
「出店している取引先には全部挨拶出来たから、一旦休憩しましょう」
「分かりました」
そう言った真中さんに連れられてきたのは、会場の真ん中辺りの軽食販売ブースだった。展示会自体は午前からやっているので、こうした昼食を取る場所や食べ物を販売している場所もあるらしい。
それぞれ飲み物を買い、近くのテーブルに腰かける。自費ならお菓子も買って良いとの事だったので、カラフルで美味しそうなクッキーも買ってみた。真中さんはチョコチップが沢山乗ったカップケーキを買ったらしい。
「この後はどうするんですか?」
「課長に頼まれている会社のサンプルを貰ったり商品を買ったりするのがあるけど……そちらは私一人でもどうにかなりそうだから、貴女は暫く会場を好きに見てきて良いわよ」
「良いんですか!?」
ちょっと食い気味に返事をしてしまったので、真中さんが驚いたように体を引いた。すみませんと謝りつつ、脳内では事前にチェックしてきた会社の名前が次々と浮かんでくる。
「今は仕事中で遊びに来ている訳では無いから……あくまでもキクノの一員であるという自覚を忘れずに、トラブルを起こさないように注意する事。あと、貴女が商談に応じるのはまだ早いから、もし何かあれば名刺だけ貰って上司に報告しますで終わらせて。それで、貰った名刺は後で私に頂戴」
商談という言葉が出てきて、ふとこの前の菊野さんの言葉を思い出した。菊野さんは、真中さんとあまり離れずにいた方が良いと思うって言っていたから……こんな風に別行動して、大丈夫だろうか。
「あの、真中さん」
「何?」
「この前、展示会に行けるって話を菊野さんにしたんです。その時に、基本商談の場だから一人にはならない方が良いと思うって言われたんですけど……別行動で大丈夫ですかね?」
「……」
私の言葉を聞いた真中さんが、きょとんとした顔になった。次いで、しかめっ面になった後で溜め息をつかれる。
「菊野君の懸念は分からなくもないけど、それは流石に心配し過ぎじゃないかしらね。貴女をいくつだと思っているのかしら」
「そうですか?」
「展示会にも色々あるから一概には言えないけど、少なくともこの展示会はそこまで極端ではないと思うわよ。研究所の人も多いみたいだし、大学生とか大学院生とかも見掛けたし」
「えっ……学生も来られるんですか?」
「可能な展示会もあるわね。多分、農学部とか薬学部とか、理工系の学部の人達じゃないかしら。化粧品の原料はそういった学部で研究対象になる事が多いし、工場で使う機械とか技術とか、そういうのを扱う会社の出店もそれなりにあるし」
それは知らなかった。それなら、もっとしっかり探せば学生時代に参加出来た展示会もあったかもしれない。やっぱり、興味ある内容はひとまず調べてみるに限るのか。実に勿体ない事をした。
「だから、新人である、後学のために来たって伝えておけば良いんじゃないかしら。後は、一般的なマナーとかビジネスマナーに気を付けていれば大事にはならないと思うわよ」
「分かりました! 各社の方々に失礼にならないように、出来る限り沢山の興味あるブースを回って勉強してきます!」
「張り切るのは良いけど……夢中になり過ぎて相手を拘束し過ぎないようにね。参加者は他にもいるんだから」
「はい!」
返事をして、カップの中身を飲み干す。潰してゴミ箱に捨てた後で、意気揚々と会場に戻った。