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貴方をもっと知りたい(7)

「この前の展示会は楽しめたかな?」

 目の前のパスタを頬張っていると、菊野さんからそんな質問をされた。むぐむぐと咀嚼して口の中を空にした後で、楽しかったですと笑顔で返事をする。

「普段はメールや電話でのやり取りが多い取引先の方々と直接お話出来ましたし、気になっていた原料とか技術とか、そういうのを扱っている会社の方に色々お話を聞けたので。まだまだ勉強しなきゃなと思う事も多かったですけど、楽しかったです」

「そうか、それは良かった。どんな会社のブースに行ったの?」

「色々です。取引先以外の原料メーカーも行きましたし、試作する時に便利そうな機械を開発している企業にも行きましたし、容器メーカーとか販促ツール制作会社とかマーケティングソフト開発会社とか。ご興味あるなら今度貰った資料お貸ししますよ」

「興味はあるけど、一旦は真中とか大和とかに見せてやってくれ。それを期待して有谷さんに資料や名刺を渡した企業もあるだろうからね」

「確かに、是非ご検討をって言っていた企業もありましたね。でも、それもそこまで押しつけがましい感じでは無かったですし、他の企業だと名刺渡して終わりってところも多かったです。カタログやパンフレットは次から次に下さいましたけど、名刺を下さらなかった企業もありましたし。パンフレットに載ってるから大丈夫って事なんですかね?」

「商談的には微妙だけど、まぁ、いわば自慢の商品を持ち寄っての発表会だからね。純粋にお披露目したいってタイプの企業が多かったのかな」

「商談的には微妙なんですか?」

「そりゃあね。パンフレットに載せてる連絡先はあくまでも会社全体の窓口でしょ。是非取引したいって思うなら、やっぱり自分の名刺を渡して意欲を見せるものだと思うよ」

「そういうものですか……」

「そうだね。有谷さんだって、うちに入るためにインターンで一生懸命頑張ってくれただろう? あれも一種の売り込みだ、本気だからこそ自分の事を知って欲しい、見極めてほしい、興味を示してほしいって思うものだろう」

「ああ、なるほど」

 そういう風に捉えられていたのか。あまり我を出し過ぎて迷惑になっては本末転倒だから、その辺は弁えていたつもりだが。でも、そう言われると確かに納得である。

「俺の心配は杞憂だったみたいで良かったよ。有谷さんが楽しめたなら何よりだ」

「楽しかったのは間違いないです。可能ならば、今度は全日全時間参加して、同時開催されていたセミナーにも参加してみたいです」

「他の業務に支障が来ない範囲でなら行ってくれて良いよ。業務の一環として行くなら直属の上司である真中と課長の大和の許可はいるけど、休日に行くなら特にそれも必要無いし」

「休日に行く場合でも、キクノの社名使って社員なんですって言って参加登録しても大丈夫ですか?」

「良いよ。給料は出ないし交通費とかも全部自費になるけど、それで良いなら」

「それで大丈夫です! それなら、色々調べて他にも気になった展示会あるので、ちょっと検討してみますね!」

「うん。その時は、予定合わせて一緒に行こうかな」

「……はい!」

 彼が一緒だと気を遣って思うままに回れなさそうだな……とか万が一同じ会社の人達に遭遇した場合部署違うから変に思われないかな……等々の考えが脳裏をよぎって、返事がワンテンポ遅れてしまった。しかし、菊野さんは特に気にならなかったのか、自分の分の料理の続きを食べ始めた。私も再び食べ始めたので、束の間の静寂が訪れる。どちらも食べ終えたのでデザートをお願いし、待っている間にふとある人物達を思い出した。

「あの、菊野さん」

「どうしたの?」

「その展示会で、更に別の会社の方々とも会ったんです。もしかしたら、ご存じかなって思いまして」

「どんな人達だった?」

「一人は東光印刷の東光陽葵さんです。もう一人は、プランタン化粧品の人で、東光さんは和磨さんと呼んでました」

「……その和磨って人、俺と同じくらいの年代で身長も同じくらいで、ガタイが良い男だった?」

「でした。声は菊野さんよりも更に低かったですね」

「……ああ、じゃあ、多分そっちも知ってるな」

「どちらもご存じですか?」

「うん。陽葵さんはあの会社の一人娘だろう。和磨はプランタン化粧品の社長の息子だよ。春咲和磨……確か次男じゃなかったかな」

 道理で。そう思いかけて、ぶんぶんと頭を横に振った。私にも誠がいるが、誠は礼儀正しくて冷静で失礼な物言いをしない、しっかり者だ。弟というだけで一緒にしてはいけない。

「面識はありますか?」

「あるよ。和磨の方は同級生だし、同じような会社の同じような社長令息って事で、会う度に何かと張り合って来られるからね……悪い奴ではないんだけど、正直、相手するのが面倒で」

「そんな感じしました。でも、菊野さんはちっとも同じじゃないので大丈夫ですよ」

「そう? ありがとう」

「陽葵さんは、もう少し年下ですかね?」

「俺と有谷さんの間くらいじゃなかったかな。和磨ともども昔から知ってるし、陽葵さんに関しては企画課にいた時にちょいちょい業務でやりとりしてたけど、基本メールか電話での対応だったから……直接顔を合わせたのは、最近でも大分前だったと思う」

「小さい頃からお知り合い……なんですね」

「向こう同士はそうか知らないけど、俺はそうだね。父さんが東光を重用し出してからの付き合いだから、小学校高学年とかそのくらいかな。和磨はもっと前だったと思うけど」

「……そんな前から」

 何となく、胸の奥がもやもやとする。昔から知り合いで、互いに小さい頃の相手を知っているというのも、まぁ、正直言えば羨ましいけど、それ以上に……。

(彼女の事、名前で呼んでるんだ)

 小さい頃が初対面なら、おかしな話ではないと思う。取引先なら尚更、東光さんだけでは誰を指すか分からないだろうし。 だから、気にする話でもないし気にしていてもしょうがない、筈なのに。

「でも、それきりだよ。俺にとってもそのくらいの相手だし、向こうもそうだろうと思う。だから、そんな顔しなくても大丈夫だよ」

「え?」

 どんな顔だ、と思って自分の頬の辺りをむにむに揉んでいると、菊野さんの手がこちらに伸びてきて、私の頭と髪を撫でた。そして、温かい手の平がゆっくりと私の頬を滑る。

「俺が好きなのは有谷さんだから」

「……」

 突然の告白を受け止めるのに一拍。受け止めて、照れが一気に押し寄せ顔が熱くなるのにもう一拍。彼が触れていた指の感触を思い出して、鼓動も一気に加速する。

「あ、あり、がとう、ございます……」

 それだけ言うので精一杯だった。こういう時に、さらりと、私も貴方が好きですよと答えられたなら、また違うのだろうか。

 いつかはそんなスマートな女性になってみたいと思いつつ、向けられる彼からの視線を受け止めていた。


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