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貴方をもっと知りたい(9)

「お待たせしました」

「大丈夫だよ」

 少し駆け足で待ち合わせ場所についた私を、菊野さんは笑顔で迎えてくれた。シンプルな半袖シャツにジーパンというラフな格好なのだけど、元が良いからやはり様になっている。

「今日はキャンプ用品を買いにいくんでしたよね?」

「うん。付き合わせて申し訳ないかなって思ったんだけど、来週までに必要でね」

「大丈夫ですよ。今度はどこの山に行かれるんですか?」

「隣の県にある山だよ。その山自体は登った事あるんだけど、キャンプ場は最近出来たばかりみたいで興味があってさ。色々見てくるから、今度は一緒に行こうね」

「はい!」

 本当は、来週の日帰りキャンプに一緒に行こうと誘われていたのだけど、既に家族皆で祖父母の家に行く予定が入っていた。そこで、今週の彼の買い出しに付いて行く事にしたのだ。一緒にキャンプに行く機会が増えるなら、私も色々準備しておいた方が良いだろうし。事前に調整してきたから、軍資金もばっちりだ。

「まずはこっちのアウトドア用品店に行こうと思うんだ。で、一旦昼ご飯を食べた後に、今度は別の専門店に行きたいなって」

「わざわざ二か所行くんですか?」

「商品の取り扱いが違うからね。最初の店でウェアとか洋服関係を見繕って、午後に行く店で備品を揃えるつもり」

「なるほど」

 カテゴリー的には同じアウトドア用品店でも、得意分野が違うという事か。音楽ショップだって特色があるのだから、キャンプ用品店にだってあるだろう。

「どうしても嵩張る物が多いから車で行こうと思うんだけど、大丈夫?」

「大丈夫です。ペーパーなので運転は出来ないと思いますけど……」

「運転は勿論俺がするから大丈夫だよ。それじゃ、駐車場まで行こうか」

「はい」

 彼が歩き出したので、隣に並んで一緒に歩く。互いの手の甲が触れる度にどきどきと落ち着かない心地になったけれど、勇気が出なくてついぞ手は繋げないままだった。


  ***


 無事に午前中の買い出しが終わったので、お昼ご飯に繰り出す事になった。この前は道路沿いのパスタ屋さんだったが、今回はファミレスらしい。貴重品を入れたバッグだけ持って店内へと向かい、案内されたテーブルに座った。

「遠慮しなくても良かったのに」

 座るや否や、菊野さんの口からそんな言葉が飛び出した。先程の店で、私がウェアを自分で買っていたからだろう。丁度手頃でサイズもデザインも良かったから、菊野さんが自身の分の会計をしている隙に買ったのだ。そうしないと、また彼は私の分まで買おうとするんじゃないかと思ったので。

「そんな訳にはいきませんよ。お昼だって毎回奢ってもらっているのに」

「そりゃあそのくらいはね……するでしょ」

「私にとっては、それで十分なんですよ」

「相変わらず欲がないね」

「……そういう訳でもないですよ」

 物欲とは別の欲だから、彼にはそう見えるだけだろう。こうやってもっと話していたいとか一緒に居たいとか、陽葵さんと同じように名前を呼んでほしいとか手を繋いでみたいとか……そういうのなら、いくらでもある。そういう事を言って重いって思われたり、面倒とかはしたないとかって思われたりしたら嫌だから、言えないでいるけれど。

 何となく重苦しい気持ちのまま、逃げるようにドリンクバーへ向かった。ウーロン茶を入れて戻ってきたところで、入れ替わるように菊野さんが自分の分を取りに立ち上がる。そして、何気なく外を向いた彼が、あれ? と呟いて動きを止めた。

「どうかされましたか?」

「あれ、もしかしてこの前の展示会で見た奴じゃない?」

 そう言われたので確認すると、確かにあのシルエットには見覚えがあった。間違いない、陽葵さんに和磨と言われていた、あのふてぶてしい男だ。

「そうです。この辺に住んでるんですかね?」

「いや、家自体はもっと別のとこだったような気がするけど……ん? もう一人いる?」

「え?」

 もう一度目を凝らして確認すると、確かに傍らに誰かがいるように見えた。あの男よりも小柄で、長い黒髪を下ろして白っぽいワンピースを着ている……女性?

 菊野さんと一緒に首を捻っていると、窓の外の二人の横顔がはっきり見えた。女性の方の正体にも気づいて、変な声を上げかける。しかし、外の二人は私達に気づく様子もなく、何やら話し込んでいた……男が、女性の肩をしっかりと抱きながら。女性の方も傍らの男を愛おし気に見上げていて、話が終わったらしい二人はそのまま並んで立ち去っていった。

「え、あれ、あの二人って、つまり」

「そんな話は知らなかったな……正直、話とか合うのか?って感じだけど」

「でも、言われてみれば……お互い名前で呼んでましたね。陽葵、和磨さんって」

 名前を呼んで、遠慮なく陽葵さんの腕を掴んで。陽葵さんの方も、遠慮なく和磨の方を嗜めるような発言をしていた。二人が恋人同士だと言うのならば、納得の距離感ではある。見た事実に対しての納得はまだ出来そうにないが。

「まぁ驚いたけど、別に悪い事してる訳じゃないもんね」

「隠すつもりもないんでしょうね。白昼堂々、こんな町中であんなにくっついて歩いてるんですから」

 一瞬だけ羨ましいと思ってしまったが、私は十中八九羞恥で耐えられないだろう。そもそも、今私達が目撃したみたいに、会社の他の人達に見られる可能性もある。

「……そう言えば、有谷さんは、さ」

「はい」

「俺と付き合ってるって事は、秘密にしておきたい?」

 そう尋ねられて、言葉に詰まった。インターン時の嫌な視線や、かつての真中さんへの不快な言葉が脳裏を過ぎる。

「……いずれ知られる事になるとは思うんですけど」

「うん」

「それで仕事に支障が出たり贔屓されてるって思われたり、変な注目を浴びるようになってしまったりすると……ちょっと、怖いなと思うんです。なので、出来るならば、まだ秘密にしておきたいって、思います」

「そうだよね。単なる同チームの真中でさえ、色々面倒に巻き込まれていたんだ。更に近い距離になった有谷さんが、もっとややこしい事に巻き込まれるのは御免だ」

「……すみません」

「謝る事はないよ。今はまだその時じゃないってだけの話でしょ。だから、それまではあくまでも別部署の部長と新人、それで行こう」

 労わるような声で告げられ、よしよしと頭を撫でられる。ありがとうございますと言いながら、いつぞやの時みたいにその手をぎゅっと握ったら……菊野さんからも握り返してくれた。

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