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第八章

貴方の、会社の、ためになるなら(1)

 ベッドの上に寝転がり、ぼんやりとスマホの画面を眺める。ネット広告で見つけた漫画が面白そうだったので、電子書籍配信サイトで購入して読んでいるのだけれども……確かに中々面白い。ネット広告の漫画って結構過激なものも多いのでなるべく広告自体を見ないようにしているのだが、たまにこういった当たりがあるから中々ブロック出来ないでいる。

「!」

 物語が佳境に入ってきたところで、思わずスマホを握りしめて画面を伏せてしまった。ばくばくと煩い心臓を、どうにか宥めようと思いながら胸元をさする。何とか落ち着いてきた……と思ったタイミングで菊野さんからメッセージが来てしまい、文字通り飛び上がった。

「ええと、はい、来週の日曜の午後は一応空いてます」

『一応って事は、出掛けようかな……とは考えてた?』

「最近気になっているアーティストの最新CDが出るので、それを買いに行こうかと」

『それ、俺も付いて行って良い?』

「大丈夫ですよ」

 そんな会話を続け、日曜の昼前に駅で待ち合わせする事に決まった。その後も二言三言やり取りしてから会話を終える。いつもよりは短いが、今の私には丁度良かったので正直ほっとしてしまった。

「……」

 スマホをサイドテーブルの上に置いてもう一度寝転がり、何となく天井を見上げる。ふと、先程読んでいた漫画のシーンが蘇り、あの日の最後に菊野さんからされた事を思い出して、再び顔が熱くなってどきどきと心臓がせわしなくなってきた。

(……そうだよね、付き合い始めたんだから、そういう事をする可能性は十二分にある訳で)

 未だに残る額の熱。彼が触れた感触を、鮮明に思い出す事が出来る。額でさえこんな調子なのに……こ、このまま、いけば……つまり……。

「っうわああああああ!!」

 自分の想像に耐えられなくて、絶叫しながらジタバタする。漫画の中とか、アニメの中とか、ドラマの中とか……歌の中でやるものだと思っていた事を、私と、彼が……あんな格好良い人と、私が……?

「し、信じられない……そんな事して……良いの……許されるの……?」

 呟いた自分の声が、情けないくらい掠れていた。え、皆、こんな……勿論嫌とかではないんだけど、こんな……恥ずかしいと言うか照れると言うか……そんな事を……するの……?

 一旦意識してしまうと駄目だった。とても漫画の続きを読む気になれず、しおりだけ付けてアプリを閉じる。まだ熱い頬をぺちぺちと叩きながら、冷たいものでも飲もうとキッチンへ向かった。


 ***


「いつも以上に挙動不審じゃない。何かあったの?」

「私が変人みたいな言い方しないでくれる?」

「猪突猛進なのに変わりは無いでしょ」

「突っ走るのは変人でなくてもやるじゃん……」

 力なく反論し、アイスティーをズズッと啜る。目の前の一華ちゃんも、アイスコーヒーを飲み干してお代わりを注文していた。

「何? 菊野さんに何かされた?」

「っぶふ!?」

 いきなり図星を突かれて、盛大にむせた。察しが良すぎるのも考えものだ……げほごほと咳き込みながら、そんな事を考える。

「真衣は分かり易くて良いわね。どこぞの誰かにも見習ってほしいわ」

「酷い……容赦ない……」

「褒めてるのに。真衣は素直な良い子ねって事よ」

「微塵もそんな感じしない……」

 恨みがましい気持ちを視線に込めつつ一華ちゃんを見ると、一華ちゃんはこちらを一瞥しただけでまたスマホに視線を戻した。まぁ、一華ちゃんのそんな物言いは今に始まった事ではないので、それは別に良いのだが。

「どこぞの誰かさんと喧嘩でもしたの?」

「そういう訳じゃないけど……最近既読スルー増えてきたからどうしたものかなって思ってたら、先週いきなり顔が見たくなったって言ってうちに来て……相変わらず振り回されてるわよ」

「何だかんだ愛されてるんじゃん」

「そうかしらね……?」

 一華ちゃんは半信半疑のようだが、間違いないと思う。気持ちが離れた相手に、わざわざ労力使って会いに行こうとは思わないだろう。

「……一華ちゃん達はさ、その」

「何?」

「手を繋いだりとか抱き合ったりとか……あとは更にもっと恋人らしい事……って言うの? そういう事、する?」

 気恥ずかしさが勝って中途半端な物言いになったが、とりあえず聞いてみる。すると、一華ちゃんの顔にはっきりと赤みが差した。

「……まぁ、そりゃ……私達は学生時代からの付き合いだし……まぁそれなりには……」

「高校の頃から?」

「年相応によ」

「年相応……」

 こちとら今が初恋真っ盛り初恋人なので、その相応というのが良く分からない。調べたら分かるものなのだろうか。

「今まで縁が無かった事だからさぁ……そりゃ漫画とかドラマとか歌の中に出てくるから知識はあるけど、現実どういうものかが良く分かんなくてさ……自分なりに調べたり準備したりした方が良い事とかあるのかなって……」

「気になるなら調べるくらいはしても良いと思うけど、ネットの情報なんて玉石混合だし雑誌とかだと読者層に合わせた回答になってそうだから、あくまでも参考程度にしておいた方が良いわよ」

「偏った意見も多いって事?」

「そういうのもあるし、平均の話とか一般論とか……大多数には当てはるかもねって感じの内容だから、鵜呑みにして個々に当てはめるのは危険だと思うわ。ややこしい事になるわよ」

「そっか……」

 ややこしい事になると、はっきり断言しておられる……何かあったんだろうか。それとなく促してみたけど、まぁ色々よと言って誤魔化されてしまった。話したくないならば無理に聞くのも失礼なので、それ以上は突っ込まないでおく。

「そう言えば、向こうの方が年上でしょ? 経験ありそうだし任せておいたら良いんじゃないの?」

「経験あるかは知らない……というか、考えたら嫌になってきたから考えないようにしてる」

「ああ、それはそうよね。御免なさいね」

「大丈夫……」

 一華ちゃんと彼は高校時代の同級生で、どっちも付き合いは初めてだという話は聞いている。けど、菊野さんは私よりも五つ年上な訳で……正直、あんな優しくてイケメンで有能な人を周りがほっとかないと思うから、あってもおかしくはないと思うのだ。思うけど、やっぱり、面白くないと言うか考えるとモヤモヤするというか……はっきり言うなら、あるとはっきりしてしまったら嫌だから知りたくない。

 そう思う一方で、そんな狭量で良いのかとも思うし、彼の過去まで色々気にするのも失礼なのかなとも思う。それこそ、過去の積み重ねで今の彼がいる訳だから、過去を否定したり嫌に思ったりするのは彼自身を否定する事に繋がりかねないし……難しいところだ。

「結局は二人の足並みが揃っているのが一番と思うわよ。だから、まぁ、参考程度に調べるのは良いと思うけれど互いの意識のすり合わせは必要だわ。恥ずかしがってないで、ちゃんと話し合いなさいね」

「はぁいママ」

 人生の先輩へ、敬意を込めてそう言ったのだが。一華ちゃんは一気にしかめっ面になり、誰がママよと一蹴されてしまった。

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