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貴方の、会社の、ためになるなら(3)

「それじゃあ買ってきますね」

 菊野さんへそう言うと、彼は右手を上げながら一瞬何かを言い掛けた。しかし、軽く目を閉じて何かを考えているような顔になって、彼の右手が不自然に空を切る。どうしたのだろうかと思ってじっと眺めていると、再び彼の目が開いて、いってらっしゃいと送り出された。

 待たせてはいけないので、急いでレジへ向かい会計を済ませる。無事購入できたので、合流しようと彼の姿を探すのだけれども……どこにも見当たらない。暫くきょろきょろと視線を彷徨わせていると、セルフレジの方で会計をしている菊野さんを発見した。

「ああ、ごめんね。お待たせ」

「菊野さんも何か買ったんですか?」

「うん。有谷さんが買っていた分の、通常版の方をね」

 そう言って見せてくれたのは、私が買ったのと同じAタイプの通常版。それでも実質御揃いなので、何だか嬉しくなってくる。

「通常版の方にされたんですね」

「さっきの有谷さんの説明を考えると……ひとまず曲を聞いてみようって感じなら、こっちでも良いのかなって思って」

「良いと思います! もしかして、菊野さんもこの歌手に興味があったんですか?」

 仲間が増えるのは良い事だ。そう思った勢いで聞くと、菊野さんは少しだけ視線を彷徨わせた。興味がないならCDなんて買わないだろうと思うのだが、違うのだろうか。

「興味があるというか……有谷さんが好きな歌手なんでしょ? 有谷さんが好きな曲ってどんな曲だろうって、そういう……」

「……私が、好きな曲だから」

 告げられた内容を反芻して、一拍置いて自分の顔がカッと熱くなった。ああ、そうか、そういう方向の興味か。私が、キャンプの道具を調べてみたりキャンプ場について調べてみたりするような、そういう感じの。

「ありがとうございます。良かったら、是非感想聞かせて下さい」

「うん。帰ったら早速聞いてみるよ」

 そう言って、菊野さんが表情を綻ばせる。釣られるように、私も笑った。


  ***


 昼下がりのおやつ時、という事で併設のカフェでお茶をする事になった。ここは出すよと言ってくれたので、少し迷ったがありがたく頼らせてもらう事にする。彼はコーヒー、私はアイスラテとミニチョコケーキのセットを頼み、商品を受け取って窓側の席に向かい合わせで座った。

「チョコケーキ美味しい?」

「美味しいです。チョコの味が濃いので、このくらいのサイズにして正解でした」

「そっか。それなら良かった」

「コーヒーはどうですか?」

「美味しいよ。酸味よりは苦みの方が強い感じ」

「そうなんですね……それなら、私はミルクと砂糖入れないと飲めないかもしれないです」

「ああ、確かに、カフェオレにしたら丁度良さそうな感じがする」

「良いですね。今度来た時はそっちにしてみます」

 のんびり会話しながら、お互い飲み物を飲み私はケーキをつつく。コーヒーを一口含んで、味と香りを楽しみながらゆっくり飲んでいく菊野さんの姿は、まるで雑誌に出てくるようなモデルみたいだった。近くの席の人達が時折目を輝かせて彼へ視線を向けているので、私の贔屓目ではないだろう。

(……私は、彼の)

 隣にいるのに、相応しい人間になれるだろうか。今はまだ色々足りないと自覚しているけれど、本当に、このまま頑張るだけで、一緒にいても恥ずかしくないだけの人間に……そこまで考えた辺りで、感情を振り払うように軽く首を振った。せっかく二人でいるのに、考え込んでいる曇った表情は見せたくない。只でさえ忙しいだろう彼の負担になるような、余計に疲れてしまいそうな雰囲気にはしたくない。どうしたのかと言って驚いている彼へは、羽虫が近づいてきたからと言って誤魔化す。

 その瞬間、聞き覚えのある曲が流れてきた。私の意識が一気にそちらへ向かい、視線が店内放送を流している店内スピーカーへと向かう。次いで、聞き覚えのあるナレーションが聞こえてきた。ああ、間違いない。

「有谷さん?」

「すみません。聞き覚えのある曲が聞こえてきたので、つい」

「今流れてるラジオCMのBGMかな? 誰の曲なの?」

 当然の疑問だが、答えても大丈夫なものだろうか。いや、でも、肝心さんとしてのSNSアカウントには音楽関連の呟きしかなかったから、多分大丈夫だろう。そもそも社内規定に引っかかってる訳でも無いし……今度会った時に、一応伝えてはおくか。

「肝心って名前の作曲家の曲ですね。最近ネットCMとかラジオCMとかの曲を手掛ける機会が増えたらしくて」

「へぇ……何か楽しそうな曲だね」

「そうですよね。それでいて、少し哀愁漂う感じがCMの内容とマッチしていて良いなと」

「ああ、確かに。あの本、確か悲恋物だったもんね」

「大枠で言えばそうかもしれませんけど……でも、最終的にはちゃんとくっついていたから悲恋かと言われると微妙な感じが……というか、あの本の事知ってらっしゃるんですね」

「タイトルはね。前に入った本屋で特設コーナーがあったから。有谷さんは読んだ?」

「はい。表紙の綺麗さに惹かれて手に取って、タイトルで悩んだんですけど、あらすじ読んで気になったから買ってみて……月並みな表現ですが、何というか、凄いなって思いましたよ。好みははっきり分かれそうだなって思いましたけど、私は好きです」

「ふーん……じゃあ、俺も読んでみようかな」

「それならお貸ししましょうか?」

「いや、せっかくだし今度本屋行った時に買ってみるよ。ありがとう」

 菊野さんがそう言って、にっこり笑ってくれる。眩しい微笑みを真正面から受けて圧倒されかけたが、負けじとこちらも笑顔で返事をした。

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