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貴方の、会社の、ためになるなら(5)

「それじゃあ絵コンテはこれで通しておくね」

「ありがとう。SNS広告で使う写真はどうなった?」

「昨日第一案が来たから、社内メールで送っておくね」

「分かった。確認してから折り返すね」

「うん。宜しく」

 月城君はそう言って、それじゃあまたと自分の席に戻っていった。入れ替わるように、真中さんに声を掛けられる。

「確認してほしいって言われてた台本チェックしたわよ」

「ありがとうございます! どうでしたか?」

「法令に引っ掛かりそうな表現は無かったわ。でも、動画の長さが十五秒程度なら、文章そのものが少々多いかもしれないわね」

「となると、どこか削った方が良いって事ですよね……削れるところあるかな……」

「全部文章で説明しようとするから長くなっちゃうんじゃない? いっその事、キャッチコピーみたいな感じで考えてみても良いんじゃないかしら」

「なるほど……とてもセンスが問われそうですね……」

「羽柴さんがそういうの得意だから、相談してみると良いわよ」

「そうですか。それなら、戻ってこられたら話してみます」

「ええ。それまではこっちの作業進めててくれる?」

「分かりました」

 真中さんから書類を受け取り、作業を開始する。当然、動画作業以外の業務も沢山あるので正にてんてこ舞いだ。マルチタスクは得意でないのでしんどい部分もあるが、それを承知でやると言ったのだから泣き言は言っていられない。

(……ここを乗り越えられれば、もっと成長出来る筈)

 出来る事が増えれば……あの時の私と同じように困っている人の助けになりたい、という願いをより叶えやすくなる筈だ。そして、きっと……彼の隣に相応しいような、そんな自立した女性にも近づける筈。

『有谷さんが頑張っているっていう話は、大和からよく聞くよ。何かあれば俺も力になるから、無理しないように頑張って』

 昨日聞いた言葉が、労わりの声が、脳裏に響く。少しの間だけ反芻した後で、もう一度気合いを入れ直して資料へと向かった。


 ***


「わざわざ呼び立ててごめんね」

「それは大丈夫だけど……企画課の中じゃ話しづらい話って事?」

 動画広告に関しての相談があるから、会議室で話がしたい。そんな連絡が月城君から来たのが、昨日の夜の事。勤務中だと時間を取るのが難しそうだったから昼休みでも良いかと確認したら、大丈夫との事だったので……食堂に行く前に会う事にした。

「一応ね。用心するに越した事はないのかなって思ったから」

「……一体、何を」

「簡単に言うと、有谷さんにお願いしたい事があって」

「私にお願いしたい事?」

 何だろうか。そう思っていると、月城君はおもむろにスマホを取り出して曲を再生し始めた。アップテンポではあるがキーが高くないので、比較的落ち着いた印象の曲である。

「この曲をね、動画広告のBGMにしようと思っているんだけど」

「良い曲だと思う……もしかして、月城君が作った曲?」

「うん。歌唱パートは仮だから歌声合成ソフトで当ててるんだけど、メロディや伴奏、歌詞はこのままいくつもり。課長と真中さん、羽柴さんにも了承は取ってる」

 仮歌の音源。用心して会議室で相談。もしかして、まさか。

「俺は、この曲を有谷さんに歌ってほしいんだ」

 会議室の空気が、ひりついた気配がした。予想通りの相談に、何も言えず押し黙る。

「以前話した時、歌手としての活動をするつもりは無いって言っていたから、止めた方が良いのかなとは思ったんだけど……それなら猶更、今回しか機会が無いのかもって思って。それなら、この千載一遇のチャンスを逃したくない、あの時聞き惚れた君の歌を、君に俺が作った曲を歌ってほしい、君が歌った分を完成版として動画広告に使いたいと、そう思ったんだ」

「……」

「勿論、無理強いはしないし出来ないと思っている。でも、どうか検討だけでもしてもらえないだろうか」

 一生懸命な瞳に、かつてのあの子の姿を見た。キラキラと屈託ない表情で、私の歌を聞いて感動したと、だから一緒に演奏したいと、そう言って私を文化祭のステージに立たせてくれた、今だって私は友達だと思っている、あの子。

「……分かった。いつまでに決めたら良い?」

「そうだね、急で申し訳ないけど来週末までには」

「そのデモ音源、貰っても良い?」

「もちろんだよ。データで送るのと媒体で渡すのどっちが良い?」

「送ってもらった方が良いかな……転送サービスか何か使ってもらって、URL教えてくれる?」

「うん。ありがとう」

 今から戻って早速送っておくね、と言って去って行った月城君の背中を見送る。

 彼の姿が見えなくなった後も、暫く動けないでいた。


 ***


 部屋のスピーカーから流れ終わった歌を、もう一度繰り返す。歌声は機械のものだけど、それでもこの曲が良い曲なのは十二分に伝わってきた。歌詞の内容も新商品のコンセプトにぴったりで前向きな内容だし、テーマソングとして最上だろう。

 今度はインストゥルメンタル版を流して、楽譜を眺めながらメロディを口ずさんでいった。人が歌う事を……私が歌う事を想定して作ってくれたのだろう、音域も問題ない範囲だ。

(……多分、歌うだけなら何の問題も無い)

 もっと聞いて、歌詞を読み込んで、何度も練習すれば歌えるだろう。事情を抜いても普通に良い曲だと思うし、歌いたいか歌いたくないかで言えば、正直歌いたい。今回は動画広告のBGMだから表に出るのは私の声だけだし、私が歌う事は秘密にしてもらって、クレジットも社名だけにしてもらえば良い。単発の声だけなら、それも、あの時から数年経った、作り込んだ歌声だけなら……騒動になったり、個人を特定されたりする心配は低いんじゃないだろうか。

 とはいえ、可能性はゼロじゃない。ゼロじゃなくなった時に、また前と同じように周りに迷惑をかけてしまったり、また怖い思いをしたとしたら? そうなった時に、私はちゃんと耐えられるのだろうか。今までと変わらず、働き続けられるだろうか。

 歌いたい気持ちと不安な気持ち。どちらも同じくらいで平行線。今日が日曜だから、実質あと数日で答えを出さないといけないのだけど……未だ、決め切れないでいる。

 そうこうしている内に、時刻は十五時になってしまった。夕方からは雨が降ると言っていたし、もうそろそろ夕飯の買い物に行かないと。スピーカーとパソコンの電源を落として、買い物メモを作ってから出発した。

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