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貴方の、会社の、ためになるなら(10)

「先日お伝えしました、例の動画です」

 そんな前置きをしてから、ノートパソコンを取り出しUSBメモリを挿す。パスワードを打ち込んでロックを解除してから、件の動画データを表示した。横にいる蒼治さんにイヤホンを手渡して、彼が耳に装着したのを確認してから再生を開始する。

「……良いね。商品のイメージにぴったりだ」

「本当ですか?」

「うん。映像部分も商品に合っているし、ナレーションの文も分かりやすいし。何と言っても、あり……真衣の歌声が商品の雰囲気にぴったりだ」

「ありがとうございます!」

 彼に呼ばれた私の名前を、反芻して噛み締める。好きな相手に呼ばれた自分の名前……何度聞いても良いものだ。

「どんな風に広告入れるとかは決まってるの?」

「予定しているのはSNS広告とこの動画広告です。どちらも公式サイトの商品特設ページに誘導するような形で考えていて、掲載媒体や頻度はもう少し精査する予定です」

「そうなんだ。その辺りは、大和とかとも話しているのかな?」

「主導はうちのチームなので、真中さんや羽柴さんと一緒に考えてます。課長には結果だけ伝えてますね」

「ああ、まぁそれで良いよ。あいつも何だかんだ忙しいし、チームの責任でやる方がやりがいもあるでしょ?」

「はい!」

 拳を握りながら返事すると、彼がふっと微笑んだ。ぐっと肩を引き寄せられたので、逆らわずにもたれ掛かる。

「クレジットはキクノの名前だけなんだね」

「他社のCMも基本的には社名かブランド名と商品名だけで、出演者がいる場合はその人の名前を公式サイトや動画サイトの概要欄に載せるだけのようでしたから。楽曲に関しての情報は特に出さなくても大丈夫なのかなと」

「出してるところもなかったっけ?」

「他の業種だとありましたけど、化粧品関連は見当たらなかったですね」

「そうなんだね。それなら、無理に出さなくても良いか」

「はい。出さないで済むならそれに越した事ありませんし」

 正直、作詞作曲者は出してもらっても大丈夫では……と思ったが、そうなると肝心さんもとい月城君に迷惑が掛かる可能性が無きにしも非ずである。それならば、彼がそれで良いと言ってくれるなら全部伏せていた方が安心だろう。

「後は実際に広告を開始してからどうなるか、か」

「そうですね。広告の閲覧数や再生回数はもちろん、特設ページへの流入や店頭への影響とかもチェックしていかないといけないですし」

「その辺りの分析も真衣がするの?」

「はい、言い出しっぺですから」

「一人じゃ大変じゃない?」

「簡単ではなさそうですけど、頑張りどころですし。参考にしようと思って、先日レビューが良かった関連書籍を本屋で買って来て勉強しているところです」

「そっか。俺もその辺のデータ分析とかは齧ってるから、何かあれば頼って」

「ありがとうございます」

 じっと隣の彼を見上げてお礼を言った。今のところは本の内容を理解しながら読み進められているが、後半は難しそうだったので……その時は彼に聞いてみよう。

「それじゃ乾杯しようか。料理が冷めてもいけないし」

「そうですね」

 返事をしてパソコンの電源を落とし、向かいの席に戻る。パソコンを鞄に仕舞ってから、少し汗をかいているグラスを手に取った。

「ネット広告作業、お疲れさま」

「お疲れさまです。乾杯!」

 各々のグラスを持ち上げて、かちゃんと合わせる。扉の外の賑わいに耳を傾けながら、二人きりでお酒と料理を楽しんだ。


 ***


『疲れで、ストレスで、揺らいでしまったその肌に』

『頑張るあなたと肌を労わり、整える』

『キクノコーポレーションが贈る、毎日でも使える導入美容液』

 販売開始と同時に、ネット広告も公開された。会社のパソコンでも自分のパソコンやスマホでもひたすら掲載媒体をチェックして、頻度等に問題がないか等を日々確認しているが……今のところは、こちらの意図通りに表示されているようだ。

「あ、最近ネットで見掛けるのってこれ?」

「そうじゃない? ほんとだ、ベタベタしない」

 訪店作業中にそんな会話が聞こえてきたので、別の商品をチェックするふりをして彼女達の会話に聞き耳を立てる。残念ながら購入には至らなかったが、商品そのものは概ね好感触のようだ。値段に関しては……この手の商品の中なら手頃な方だと思うのだが、価値観の違いもあるのだろう。コストカットの努力は続けていく必要があるだろうが、お値段だけあるんだよという方向での打ち出し方も考えるべきかもしれない。

 見聞きした内容や思いついた事をメモしていると、更に別の女性グループが現れた。彼女達も、これじゃない? と言ってうちの新商品を手に取ってくれる。再び気配を消して空気になっていると、彼女達の話題が商品からCM動画に変わった。

「そう言えばさ、あれって誰の歌なのかな?」

「それなー。検索しても楽曲名すら出てこないんだよね」

「歌ってるの一人だよね。ソロで活動してる人って事?」

「聞きやすいし、良さそうな曲だよね。CDなんて贅沢は言わないから、DL販売とかでフル尺版売ってくれないかなぁ」

「あー欲しい! あの癒しボイス、買って毎日聴く!」

 そんな会話をしつつ商品のテスターを試していた彼女達の内、二人が商品を手に取って持っていってくれた。レジで会計しているそれぞれへ向かって心の中で拝みつつ、先程の会話の内容を思い出す。

(……嬉しくないと言えば嘘になるけども)

 私が歌った曲を、買ってでも毎日聴きたいと言ってくれるのは。勿論、月城君が作った曲そのものが素晴らしいからなのは重々承知だけども、それでも、楽曲が与える印象において歌声は比重が大きい。そして、その部分を気に入ってくれる人も、確かに存在するのだ。

「やっぱり、歌っているのが誰かっていうのは話題になってるみたいだね。特定までは至ってなさそうだけど」

「そうなんだ」

 別の日、夕方前の空いている時間にセルフカフェへ行ったら、丁度月城君しかいなかったので話を振ってみた。しかし、歌唱担当は謎のままの一方、彼と交流のあるクリエイターや熱心なファンの中には……あの曲を作ったのは肝心ではないかと言っている人もいるらしい。そのため、歌っているのは彼と交流のある歌い手や事務所の歌手の誰かでは、という推測は出ているそうだ。

「分かる人には分かるんだね」

「それだけ俺の曲を聞いてくれているという事だから、こちらとしては有難い話だけどね。でも、今回に限らず実績非公開の依頼は割とあるから、あんまり特徴的なのもいけないのかな……とは悩みどころ」

「でも、そういう個性の部分を気に入ったから肝心さんに依頼してくれるんじゃないの? そう考えると、無理に個性を消す必要はないと思うよ」

「そうだね……消そうと思っても消せないのが個性だって話もある訳だし。それなら、のらりくらりと追及をかわせるようなメンタルを身に着ける方が良いのかな」

「そうかもね。ああいう業界って守秘義務とかも多そうだし」

「かと思えば、ばんばん宣伝してくれって言う企業もあるんだけどねぇ」

「それはそれで、どこまで宣伝たくさんすれば良いか迷いそう」

「それはあるね」

 月城君が神妙な顔で頷いたところで、他の人がセルフカフェに入ってきた。それじゃあ俺は行くねと言われたので、返事をして彼の背中を見送る。残っていたコーヒーを飲み干して、私も企画課の部屋へ戻った。

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