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第九章

悪夢再び(1)

『注目の新コスメ紹介! 早速使ってみました!』

 夕食後にスマホでネットサーフィンしていたら、何やら興味を惹かれるブログ記事を発見した。ちょっと読んでみようかと思って、記事をスクロールしながら読み進めていく。

『次はこちらの導入美容液! キクノコーポレーションから新発売された商品です!』

 何個か他社製品が紹介された後で、見慣れたボトルの写真が現れた。途端に何だか嬉しくなって、にまにまと口元が緩んでいく。記事内では、敏感肌向けの商品であるとか成分の事とかにも触れつつ、お値段や使用感についても所感を分かりやすく伝えてくれていた。お値段に関しては、成分の割に手頃な部類と言ってくれているので心の中でお礼を言う。

『そう言えば、こちらの商品はネットCMも話題になっていますね。商品イメージにピッタリの動画で、BGMもマッチしていて素敵な仕上がりのCMです』

 そんな文章が視界に飛び込んで来て、思わずスクロールする指が止まった。体感温度がいきなり低くなった気がして、思わずぎゅっと自分の体を抱き締める。震えそうになる指で、スクロールを再開した。

『放映中のCM動画は公式サイトにアップされていたので、ご興味ある方は是非チェックしてみて下さいね』

「……」

『それではお次はこの商品! これからの時期に嬉しい乾燥ケアクリームです!』

「……あれ、終わり?」

 存外あっさり次の商品の紹介が始まったので、体に入っていた力が抜けていった。まだ心臓がばくばく言っているので、落ち着かせるために深呼吸する。

 結局、ネットCM……もっと言えば動画のBGMに関しては、一文しか触れられなかった。ともすれば社交辞令くらいの触れ方で、歌っているのが誰とか作ったのが誰とか、そんな話は一切出てきていない。それなのに、ネットCM、話題、BGM……それらの単語を見ただけで、ここまで焦ってしまうなんて。

 そう思って落ち込む一方で、過去に怖い思いをしたのだから、まだ傷が癒えている訳では無いのだから、そうそう克服出来る訳がないだろうという感情も湧き上がる。付きまとっていた人達も、警察が捕まえてくれたとかではなく、いつの間にかいなくなっていたという感じだったので……もしかしたら、何かのきっかけで再び現れるんじゃないかという恐怖は未だ拭えないままなのだ。だからと言って、決別するためにまた対峙したいかと言われたら真っ平御免なので、ずっと抱えていかないといけない感情なのかもしれない。

「……」

 何とも複雑な心地のまま、記事の続きをスクロールして読み進めていく。ひとまず明日辺り真中さんへ報告しておこうかと思って、記事そのものはブックマークしておいた。


  ***


「例の動画見たわよ。良い出来だったじゃない」

 部屋に入るや否や、一華ちゃんがそう褒めてくれた。ありがとうと返しつつ、一華ちゃん担当分の唐揚げをテーブルに並べていく。ご飯と付け合わせも並べたら準備は完了。今日は二人で唐揚げ持ち寄りパーティーなのだ。

「ナレーションの方はしなかったの?」

「そこはプロに任せました。歌と朗読は違うからね」

「それもそうか。いつぞやに子供向けに朗読劇をした時、真衣だけ声を震わせて何言ってるか分かんなかったもんね」

「学生時代の話を蒸し返すの止めてくれる?」

 私が所属していた文学部には、定期的に近所の保育園で朗読劇をしているサークルがあった。たまたま欠員が出たとかで手伝ってほしいと言われて参加したのだけれども、役に感情移入してしまって気持ちが昂ってしまい、台詞が聞き取りづらい事この上なかったらしい。

「一華ちゃんは仕事どう?」

「楽しくやってるわよ。もうすぐ検定受けるから、それに向かっての勉強もしつつだけど」

「検定? 何の?」

「パーソナルカラー検定。まだ初級の分だけどね」

「ふーん」

 そんな感じでお喋りしつつ唐揚げを楽しみ、食事が一段落した辺りでテレビをつけてみた。画面の向こうでは、着飾った小父さん達がテーブルを囲んで何事かを話し合っている。

「何? この番組」

「特番みたい。ええと……今話題の社長さんをお呼びして、そのビジネスについて深掘りしていきます! だって」

「じゃあ、今映ってる人達は皆社長なんだ」

「そうだと思う……あれ?」

 順に小父さん達を眺めていると、一人見覚えのある人がいた。あれ、あの人、もしかしてうちの社長じゃないだろうか。

「ねぇ、キクノの社長がいるわよね?」

「そうだよね。見覚えあると思ったら」

「出るって知らなかったの?」

「知らなかったね……」

 テレビの内容を全部網羅するなんて流石に無理だし、社内報とかでも特に連絡は無かった。蒼治さんも、そんな話はしていなかった筈だ。

 せっかくなのでそのまま番組を見ていると、各人の個別インタビューに切り替わった。飲食チェーン、製造業、流通……色んなところの社長さんが、各々自社について語っている。

 五人くらい出てきた後で、キクノの社長が現れた。美人なアナウンサーさんを前に、入社式の時みたいに朗々と答えている。テレビを通してだからなのか何なのかは分からないが、あの時よりも声が高めな気がした。

「……何というか、昔気質って感じね」

「一華ちゃんもそう思う?」

「ええ。精神論とか根性論とか、そういう次元で話をしているじゃない? 当時はそれでどうにかなったかもしれないけど、今それ言ったらパワハラにならないかしら」

「……」

 何とも的確な意見に黙り込む。先日正にそれらしい事をしていたので、庇いようがない。

『キクノコーポレーションと言えば、先日発売された新商品が話題になっていますね』

『ああ、あの美容液の事ですかね』

『その商品です! 商品もさる事ながら、ネット広告も話題だと!』

『今回から始めてみたのですけど、中々評判のようですね。ええ、ありがたい事です』

『商品のイメージがしやすい良い広告だと思います。BGMも良いですよね、透明感のある歌声が商品にピッタリです!』

 冷や汗が背筋を伝っていった気がした。無意識の内に空を切った手を、一華ちゃんが握ってくれる。

「社長は、あのBGMを歌っているのが真衣だって知ってるの?」

「社員だって話はしてるらしいって蒼治さん言ってた。何があるか分からないから、個人名は伝えないように秘書にも伝えてるとは言ってたけど……」

 呼吸が浅くなってくる。握った手に力を込めてしまったが、一華ちゃんは何も言わないでいてくれた。

『誰の曲なのか、誰が歌っているのか、世間はその話で持ち切りです! 社長、ズバリその辺りは如何でしょうか!?』

 美人だと思った画面の向こうの彼女の顔が、醜く歪んだように見えた。

『曲を作ったのは、そういった専門の事務所の方ですよ。歌っているのは、うちの社員ですがね』

『社員さんなんですか!?』

『ええ、ええ。今年入ったばかりの女性社員で』

『新入社員の方!?』

『そうです。去年初めて行なったインターン選考で採用した社員でして。学生時代から歌が上手くて、大学時代にバンドのボーカルをした事もあるそうで。その時も大層盛り上がったとか……SNSの動画を見せてもらいましたが、確かに上手かったですねぇ』

 テレビの声が悲鳴でかき消される。真衣、真衣、と私を呼んでくれる声が遠く遠くで響いていた。

『そんな風に、キクノならばやる気と実力があれば新人から活躍出来ますのでね。もし、この番組を見ている就活生の方々がいらっしゃるならば、是非弊社を候補に……』

 テレビが音を発しなくなった。代わりに、スマホの着信音が鳴り響いている気配がする。

 もう、何も分からなかった。

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