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悪夢再び(2)

 どうにか呼吸が出来るようになった辺りで、インターホンがなった。足に力が入らず動けない私の代わりに、一華ちゃんが出てくれる。開錠して玄関に向かっているので、来てくれたのは味方なのだろう。

「真衣!」

「……そうじさん」

 部屋に入ってきたのは、私の事を真摯に考えてくれて、気遣ってくれて、愛してくれる人だった。私を見て一瞬だけ息を詰めていたけれども、すぐに近づいてきてくれる。

「真衣」

 差し伸べてくれた手を、遠慮なく握った。そのまま引き寄せられたので、彼にぴったりとしがみつく。

「蒼治さん……!!」

 止まっていた涙が、堰を切ったように溢れ出した。私の頬を、彼のシャツを、床を、どんどん濡らしていってしまう。

 彼の腕も私の背に回って、力いっぱい抱き締められた。彼の体温を感じて、ほっとして、更に涙が溢れてくる。


 私がもう一度落ち着くまで、彼はずっと背中を撫でていてくれた。


  ***


 彼の膝の上、腕の中。くるまれて安心していると、視界の端でスマホのランプが点滅した。どうやらメールが来たらしい。

「電話?」

「メールです」

「誰から?」

「……月城君ですね」

 差出人を確認して、ふと、かつての泣き顔が脳裏をよぎった。気に病まないでほしかったのに。貴女は何も悪くなかったのだから。

 何となく、メールを一人で読むのが怖かったので一緒に読んでもらう事にした。快諾してくれた蒼治さんは、私と一緒にスマホの画面を覗き込む。

 最初の方は、私が例の特番を見ていない可能性を考慮しての簡単な番組説明だった。そして、私の事を気遣ってくれる文章もある。

『今回の社長の発言を受けて、SNSや掲示板で色んな情報が飛び交ってた。肝心の伝手経由でも色々探ってみたけど、正直もう特定されるのは時間の問題だと思う』

 続けられたその一文を見て、私の喉がひきつったような音を立てた。一方、蒼治さんは不思議そうな表情をしているので、肝心さんイコール月城君であるという説明をする。蒼治さんなら、不用意にばらさないだろうし変な目で見たりもしないだろう。

『名前とかの明確な個人情報そのものは出てないけど……それでも、あれだけ情報が出ていれば、有谷さんと同じ学部やゼミだった人とかは気づく可能性が十分ある。当時の有谷さん達の演奏を聴いていた人達の中にも、今回のCMの歌とかつての歌を結びつける人がいるかもしれない』

『同じゼミだった人とかは、有谷さんがその後大変だったというのも知っているだろうから不用意に情報をばらさないと思う。でも、歌を聞いただけの人、その後を知らない人、むしろ追い掛けていた人達……人達の一部は、良かれと思ってSNSや掲示板で自分の知っている事を呟いてしまう可能性は十分考えられる』

 歌う事を引き受けた時点で、月城君にはこちらの事情を打ち明けた。それを理由に、私の名前や特定出来そうな情報は出さないで欲しいとお願いした。だからこそ、彼は自分の名前すら出さないでいてくれたのだ。月城君の、肝心の名前は、これからの活動を考えれば出した方が良かっただろうに。

「……正義感が強い人ほど、そういう傾向があるよね。素晴らしいものは広めないといけない、独り占めせずに教えないといけない、知ってもらえるように努力するのは知る者の義務だ……とまで、本気で思っている人すらいる」

「……」

 ありがた迷惑。この言葉が、ここまで綺麗に当てはまる例も珍しいだろう。

「社長にも、そういうきらいがある。だからこそ、東光印刷のかつての窮地を救えたというのはあっただろう。でも、それとこれとは話が別で、前提も状況も全く違う。会社と個人は同じじゃない」

 彼の声が、震え出した。私の体に緩く巻き付いていた彼の腕が、痛いくらいに食い込んでくる。

「ごめん」

 どうして貴方が謝るのだろう。貴方は何も悪くないし、こうやって私の元に駆けつけてくれたのに。

「こんな事にならないようにする、真衣を守るって言ったのに。まさか、身内に足元を掬われるなんて」

「……貴方のせいじゃ」

「どうせ言っても聞きやしない、こちらが折れた方が早い。小さい頃からその積み重ねで、結果こんな事態になってしまった」

「……」

 貴方がそんなに背負い込む必要ないのに。この人は、どこまで真面目で誠実で、優しいのだろう。そう思うと、彼の事がいっそう愛おしく感じて、こちらからも抱き返す。

(……そもそも)

 非力な子供がどこまで大人に抵抗出来るものなんだろうか。あの手のタイプは特に、反抗イコール自身の生命の危機になりかねない相手だろう。これは、自分がそうだったからそう思うのだろうが……親に反抗出来るのは、親への信頼があるからだ。この人達は、そうしても絶対に自分を嫌いにならない、絶対に自分へ危害を加えない、暴力で一方的に解決しようとはしない。そんな信頼があるから、ある家庭が多いから、反抗期なんてものが当たり前のように存在するのだ。

「明日は休みだよね?」

「日曜だから休みですね」

「明日の予定は?」

「一華ちゃんと一緒に、朝はゆっくりして……午後から出掛けようかなって思ってました、けど」

「外出はしない方が良いだろうね。月曜日からも暫く休んで大丈夫、真中達には俺から説明しておくから」

「でも……今忙しいのに」

「会社の周りに、記者とか取材陣が張り込んでるかもしれないよ?」

「……」

 そう言われて押し黙る。確かに、歌っている人間の正体を暴こうとするならば、あの人達は会社で待ち伏せくらいするだろう。

「……在宅勤務用の社内パソコンがあるから、明日持ってくるよ。真衣はそれで月曜から暫く在宅勤務、それなら良い?」

 明らかにしょんぼりした私を見かねたのか、蒼治さんが代替案を出してくれた。在宅勤務だと出来る事に限りはあるが、完全に休むよりは数億倍マシだ。分かりましたと返事して、ありがとうございますとお礼を言う。

「貴方がいてくれて良かった」

 言葉が口から滑り落ちた。蒼治さんの目が私を捉えたので、呟きは届いていたらしい。

「助けになったなら、良かった」

 微妙に視線を逸らされてから、蒼治さんが返事してくれる。耳まで赤くなっているのが、可愛いなと思った。

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