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56 呪いの先に

「悪いな」


 凜が探偵事務所から走り出ようとすると、新藤がそう言いながら階段を上がってくる。背後には、腰に手を当てている俊太がいる。


「お前のせいで、肝心のポンじりを食い損ねたじゃないかよ。なんでわざわざ、俺を椅子から蹴落とすんだよ。ガキ」


「殴るのはダメだって思ったら、ついだよ。お前だって、相当言っていたぞ」


 二人でご飯を食べている店に合流しようと思ったが、ちょうどいい。凜は二人を見下ろして声を掛ける。


「ねぇ、早く上がってきて! 大変なの」


 顔を見合わせた二人が、すぐに階段を駆け上がったのは言うまでもない。


「文太が、いないの」


 三人がソファに腰を下ろし、開口一番凜が告げた内容に驚いたのは、もちろん新藤だけだった。俊太は一瞬眉間に皺を寄せた後、「なに、ここになんかいたの?」と気味悪そうに呟く。


「猫だよ、幽霊の。俺たちの愛くるしい……」


と言ってから、新藤は思いついたような顔で悪態をつく。


「いやー、そうはいっても意地悪な奴だから、ベルも今夜は静かに眠れていいかもなぁ」


 そう言ってから、数秒待つものの何も起こらない。凜が肩を落として続けた。


「それ、私も試した。文ちゃんだったら聞きつけて、意地悪してくるって」


「なんだそれ。どんな性悪な猫だよ」


 俊太の突っ込みを、新藤も凜も無視して続ける。


「ベルもね、夕方から何か感じているのか寂しそうで。この子、利口だから」


「え? その犬が利口? そんなに涎を垂らして眠っているのに?」


 さすがの言葉に、凜が俊太を思い切り睨む。そして、新藤に向き直った。


「メールに書いてあったけど、指輪も盗まれた。文太もいなくなった。何かがおかしいと思わない? 幽霊がこの世に残るには、理由があるんでしょう? それなら、文太が消えたにも何かあるんじゃないかな」


「そうだな。よし、俊太。凜もいるから、ちょうどいい。さっきの店の続きをしよう」


 三十分後、テーブルの上に並べられたのは大きな宅配ピザが数枚と、ビール、日本酒、ジュースなど。まるでパーティのような雰囲気だが、これも俊太の口を割るためである。


「いいか。俺は、酔っぱらっている。これがばれたら俺の刑事生命終わりだからな。よく覚えておけよ」


 真面目に話す俊太の脇で、新藤と凜がピザの箱を楽しそうに開ける。まずは、形だけでも整えるつもりである。文太がいなくなったことは心配だが、理由があると二人には分かっていた。そして、きちんと迎えに行くつもりでもある。そのための、俊太の情報収集だ。


「俺が刑事課に配属になって少しした時、ある事件が起きたんだ」


 シーフードピザの具が零れ落ちそうになったのを拾い、口に運びながら凜は耳を澄ませた。新藤は、すでに食べ物から完全に手が離れている。凜は、ここまでの事情は分からないけれど、重要な話だと理解して口を挟むのをためらった。


「男が一人、駅のベンチで死んだんだ。最初は、ホームレスが腹を空かせて死んだのかと思った。でも、すぐに捜査本部がたった。男は、指名手配をされていた海賊団の一人だったんだ」


「海賊? ちょっと待てよ。日本にそんなのがいるのか?」


「いや、男は日本人で、外国で海賊の一味みたいなことをしていたというのが分かったんだ。首に、サソリのタトウーを入れていて」


「おいおい。俺の叔父さんや善さん、理沙の父親もその仲間だっていうんじゃないよな」


「もちろん、それが違うのは確認済だ。でも、当時は同じトレジャーハンターとして活動していたのが分かって、事情聴取もしている」


 そんなこと、養福寺の誰も教えてはくれなかった。事件化されていないのであれば当然だろうが、つくづく親戚なんてそんなものだ、と虚しくなる。とはいえ、無駄に伝える必要があるものではないと思いなおし、先を促す。


「その中で、唯一聴取がとれなかったのが、理沙ちゃんの父親だよ。俺らの捜査で居場所が分かって、アパートで張っていたら理沙ちゃんが来たんだ」


「え……」


 新藤が、凜の隣で息を飲む。どうやらその事実を、どちらからも聞かされていなかったようだ。写真でしか見たことのない新藤の妻は、凜にとっては遠い存在であり、かつ身勝手なようにも思われた。


「もちろん、俺が事情を聞いたよ。そうしたら、さっき言ったように父親に大切なものを奪われたままだからって。俺は友達として、そして刑事として一緒に行動していたんだ」


「でも、それは晴人の生まれる前だろう? お前たちが画廊に行ったのとかなんてずっと後じゃないか。理沙は父親にずっと会えなかったってことか?」


「いや、実はその後に、藤本は俺たちで見つけたんだ。海賊団の一因の殺しとは、無関係だって分かったのさ。犯人は、その後捕まったよ。同じようなホームレスで一緒に酒を飲んでいて喧嘩になったらしい。理沙ちゃんもその後、二人で会っていたみたいだ」


「じゃあ、理沙が追っていた『事件』っていうのは、その駅で死んだ男のことじゃないのか?」


「……理沙ちゃんが高校生の頃に、父親が失踪しているだろ。その頃の仲間が一人、殺されていたんだよ」


「じゃあ、理沙はその犯人が父親だって、後から何か気づいたってことか?」


 隣で聞いているだけの凜にとっては、物凄く混乱する内容だった。だが、整理してみるとこうだ。理沙が高校生の頃に父親は失踪し、その頃に仲間のトレジャーハンタ―が死んでいる。その犯人は、捕まっていないのだろう。数年後、大学生の時に理沙はサークルで近藤から指輪をもらい、それが世界でも秘宝とされるものだと知る。失踪した父親を見つけて会ってみると、指輪を奪われる。


 新藤と結婚をした頃に、父親のアパートで俊太と遭遇する。その時に殺された人は、別の怨恨によるもので無関係だった。凜は、再び父親と会い続ける。数年後、晴人が幼児になった頃、父親の昔の仲間が殺されていることを知る。俊太と事件を追う。こういうことになる。そのすべてを、新藤は聞いていなかったようだ。


「いや、犯人だとまでは言っていない。だが、違うという証拠もないから、確かめたかったんじゃないかな」


「でも、父親が理沙に会っていた目的って、また再び指輪を奪うことだったかもしれないぞ」


 新藤の言葉に、凜の胸が苦しくなる。親子が会い続けているというのに、目的は純粋な愛情ではなかったとでもいうのか。凜は、どうしても飲み込む気になれないピザの半ピースをさらに戻すと言う。


「そんな……。ねぇ、やっぱりこのままじゃ終われないよ。どうして今、藤本さんは指輪をまた奪ったの? 何かしようとしているの? そんなに誘惑の多い指輪なんて必要なのかな。しかも、昔殺されたっている人の犯人は、捕まっていないんでしょう。それなら、今度こそ私たちで……」


 もしかしたら、新藤にとっては何か悲しい事実も見つかるかもしれない。それでも、ここで立ち止まってしまったら、すべてが終わってしまう。文太も見つけられない気がした。

 凜の言葉に、新藤も俊太も頷いた。


「とりあえず、ピザが冷めないうちに食おうぜ?」


 俊太がそういうと、新藤もつられたように手を伸ばす。そんな三人を眺めながら、ベルが寝言でもいうように、ひと鳴きした。文太が笑いながらする空中毛玉吐きの幻影が、凜の視界にぼんやりと映っては静かに消えていった。

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