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55 呪いの先に

「よ、ここ、ここ! 周作!」


 河川敷で寝そべりながら、新藤は近づいてきた原付に片手を挙げた。すでに日は傾きかけていたが、相手も気づいたようだ。原付を止めると、袈裟の裾を持ち上げるようにして土手を駆け下りてくる。その素早さは、少年の時のままだ。


「お前、ここまで来ているなら、うちへ来ればいいだろう」


 養福寺の跡取りであり、従兄の周作を呼び出そうと決めたのは、ほんの数時間前だ。帰宅ラッシュにも近い込み合った電車に乗り込み、周作の言うとおり、初めは養福寺に行くつもりだった。だが、叔父の優作と善、近藤と藤本という不思議なサークルが見えた今、簡単に寺に行くことが憚られたのだ。


「いや……、うん。この間迷惑かけたし」


 草むらに起き上がった新藤の隣に、従兄も腰かけて笑った。


「何を言っているんだよ、今更」


 そう言ったものの、どこかぎこちない気がするのは思い込みだろうか。新藤は、小さい頃から一緒に遊んで育った従兄の顔を見た。


「この間、俺、夜中に目が覚めて、間違えて納戸に転げ落ちたんだ」


「なんだよ、それ! 怪我しなかったか?」


 新藤の突然の言葉に笑う周作だったが、その笑顔が作られたように盛大だ。


「それで、見つけたんだ。叔父さんが理沙の父親と一緒に写っている写真。お前、なんか知っているか? 理沙、よく寺に来ていたんだろう」


「よくってほどでもないんじゃないか? ほら、うちの嫁と結構話が合うみたいだったし」


 そう言いながらも、周作の視線が泳いだことを、新藤は見逃さなかった。やはり、あの晩。夕食の席で叔父の優作と周作が目くばせした気がしたのは間違いではなかったのだろう。二人は、何かを隠しているのだ。新藤の直感がそう言っていた。


「そうか。お前なら、何か知っていると思ったんだけど」


「健作。理沙ちゃんが死んで悲しいのは分かるよ。晴人だって。でも、お前も前を向いて生きていかなきゃいけないだろう? うちの寺だって、こんなに繁盛しているんだから」


「お前っ! それは坊主丸儲けってやつだろうが!」


 冗談を言えば、冗談で返すのが阿吽の呼吸のようになっている。学生の頃は、よくそうしてふざけあっては、何が面白いのかずっと笑っていた。だが今、二人の顔はあの頃のように笑っていない。ただ、乾いた笑い声が河川敷に響く。


「……悪いことは言わない。健作、深入りするな」


 周作がそう言ったかと思うと、河川敷から立ち上がる。後ろ手に手を振ると、そのまま原付の方へ歩いて行ってしまう。それ以上は聞くな、ということだろう。


「遅いんだよ、ばーかっ!」


 むしゃくしゃした思いを吐き出すように、新藤は叫ぶ。その声は、原付のエンジンと走り去る音にかき消されていった。





「あれ、凜ちゃんは一緒じゃねーの?」


 いつもの焼き鳥屋の扉を開けてカウンターで待っている俊太に近づくと、振り向きざまにそう言われる。隣に腰を下ろして、ビールを注文してから文句を言う。


「なんだよ、それ。凜は今日、カフェのバイトじゃないか? お前、連絡したの?」


「あぁ、今日ここで飯食おうって言ったんだけどな。催促しておくか」


「お、浮気だ」


 すぐに店主がカウンターにジョッキを置いた。スマホをいじる俊太を横目に、勝手に置いてあるグラスで乾杯をする。


「いや、飯奢ろうと思って。この間の事件ではすっかり世話になっちゃって」


 そういえば、凜が俊太と映画館でひどい目にあったと言っていた気がする。詳しく聞いていないと話すと、俊太は目の色を変えて、事細かに事件のことを話し始めた。どうやら、凜が幽霊に聞いたことを俊太に伝え、事件を解決したようだ。ひとしきり笑って話をきくと、俊太も満足したようだ。凜のことを刑事にするべきだと騒ぐので、保母を目指しているのだと釘を刺す。


 そして、俊太が落ち着いたところで、新藤が得た情報も共有することにした。願いが叶う指輪が原因で理沙と晴人が事件に巻き込まれた可能性が高いこと。そして、指輪を狙っていたトレジャーハンターが、藤本達であること。さらに、藤本が事務所に忍び込んで指輪を盗んでいったことなどである。口を挟まずにじっと枝豆をつまみながら話を聞いていた俊太だったが、再び新藤が養福寺の近くを訪れたと知って驚いた。


「また行ったのか! 暇だなぁ、探偵は」


「馬鹿いえ。だって、明らかにおかしいだろう。周作の態度。それに、俺はもう理沙のことを信じられないかもしれない」


 本当に、俊太に打ち明けたかったのはそれかもしれない、と口に出してから気づく。汚いものでも流し込むかのようにビールを大量に口に含む。


「……何があった」


 俊太も落ち着いた声の調子を取り戻す。そこで、新藤はやっとマンションに再び行ったことと、理沙のメモを見つけたことを話した。


「あの子に気を付けて……? 本当に理沙ちゃんの文字なのか?」


「あぁ。でも、なんだよ。晴人はまだ字が書けなかったし、他に枕に隠せる人間なんていないだろう」


「うーん、確かにそうだな」


「それならどうして理沙は俺に直接言わなかったんだ? そりゃ最後のタイミングで喧嘩はしていた。それでも、毎日顔を合わせた家族だよ。しかも、あの子ってなんだ。誰だよ」


 新藤がいらだつようにグラスをカウンターに置くと、大きな音が鳴った。一瞬、店内の時間が止まるが、すぐに元の喧騒が戻ってくる。俊太は考えるように言った。


「あの子っていうの、もしかして名前が分からなかった可能性はないか?」


「分からない? 道端で晴人を狙っていたっていうのか? 知らない奴ってことか。晴人の友達か? それとも……、俺らの知り合い」


 新藤の脳裏に、共通の友人が数人思い浮かんでは消える。恐らく、男性のことは「あの子」とは呼ばないだろう。そうなると、さゆりの顔が思い浮かび、そして消える。


「理沙ちゃんは、すぐに伝える必要はないけど、何かあった時に知って欲しいと思っていたのかもしれないな。でも、それを見つけられる可能性を恐れていた。家に侵入してくる恐れのある……」


 新藤が俊太の顔をまっすぐに指さす。その先端をぎゅっと握りながら、俊太が続ける。


「俺、じゃなくて。お前、事務所に盗人が入ったんだよな」


「……藤本。そうか、理沙は自分の父親が指輪を狙っていて、マンションに乗り込んでくると思ったのか。いや、それなら『あの人』って書かないか? それに、父でいいだろう」


「だって、お前は理沙ちゃんのオヤジさんが生きていたの、知らなかっただろう。「あの子」という言い方には違和感があるけど、父とは書かないと思うぜ」


 俊太の的確な物言いに、新藤は頭を抱えた。


「俺、思うんだよ。もし、あの鳥島で指輪を手にした理沙が、何らかのきっかけでその効力を知ったとするだろう。あいつ、もしかして指輪の力を使ったんじゃないかって」


「……新藤、理沙ちゃんが自分の欲のために誰かを犠牲にしたって疑っているのか」


「そんなこと考えたくないさ。でも、実際に晴人は消えちまった。たった二つの目玉を残して! 俺は、あんなの普通の人間ができることじゃないって思っているんだ。そうなると、呪いとか不可思議現象とかで」


 どんっと鈍い音がする。初めは皿がぶつかる音かと思った。しかし、新藤が顔を上げた時、俊太が拳でテーブルを殴っていたのだと分かる。それも、怒りの形相で。


「お前、いい加減にしろよ。理沙ちゃんが、あんなに大事にしていた晴人をそんな目に遭わせると思うか? それに、理沙ちゃんの願いなんて、お前たち家族の平和だったに決まっているだろう。他に、何があるんだよ」


 それを言われて、新藤もぐうの音が出ない。確かに、それは否定できないほど分かっている。それなら、どうして分かち合えなかったのだと同じ疑問にたどり着く。すると、急に落ち着いたトーンで俊太が話始める。


「お前、理沙ちゃんに告白した時、三年くらい待たされたって言っていただろ」


「一年半な!」


「ま、そこはどうでもいいんだけどさ」


「いいのかよ」


「理沙ちゃん、その頃に一回、オヤジさんに会っているはずなんだ。っていっても、俺も後から聞いた話なんだけど」


 新藤が真顔で横の俊太を見つめる。どうして、こんな告白を急に始めるのだ。


「俺も理沙ちゃんは天涯孤独だって思っていたから。ある場面で、理沙ちゃんが藤本の娘だって知った時はびっくりしたよ。それで、ある物を探しているって、父親に昔取られたものなんだって必死になっていたんだ。それで、俺も付き合える時に、理沙ちゃんと一緒に収集していたんだ。もちろん、俺は事件の情報を」


「……っお前、人の嫁捕まえて、危ない思いをさせていたのかっ!」


 言葉だけは攻撃的だったが、実際の新藤の言葉はため息交じりだった。恐らく、二人が共に行動していたのは、理沙の希望でもあったのだろうと気づいていた。刑事がいると、話しが早いことも多い。それに、理沙が俊太に思い入れを持つことは確実にない。それなら、逆に誘うなら理沙の方があり得る。実際、俊太が一緒にいない時に理沙は死んだ。そこに指輪が関連していることは分かっている。願わくば、身内が関わっていないことを祈るばかりだ。


「多分、何らかの理由で理沙ちゃんは昔取られた指輪を取り返そうとしていたんだ。むしろ、願いができたからじゃないのか? それが、家族に関係あったとか」


「なんだよ。俺との仲直りにでも使おうとしていたって言いたいのか」


 新藤の言葉に、俊太が肩を竦める。そのまるで馬鹿にしたような仕草が悔しくて、思い切り肩を殴る。店主が、カウンターの奥から「喧嘩なら外でやれよ」と、投げてくる。


「そんなこと言っていないだろう。いちいちイキるなよ。でも、そんなんじゃ仲直りひとつうまくできなかっただろうな」


 そう言ってにやりと笑った俊太の顔を見た時、我慢できなかった。新藤は立ち上がると、思い切り俊太の肩を押した。立ち上がろうとしてバランスを崩した俊太が床に尻もちを搗く様にして勢いよく倒れ込む。酔っ払いでにぎわう店内が、一気に煽る様な声で埋め尽くされたのだった。


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