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No.62 第21話『蕾』-4



「…な、に?それ…ジュンイチ、さん……」


今まで見たことないような表情で微笑むジュンイチさんに、身体がビクッと反応する。

不気味に口角が上がっている様子がどこかあの白無垢の少女に似ていて、本当に目の前にいるのはジュンイチさんなんだろうかと、自分の目を疑いたくなった。


「ん?何って、カメラだよ。隠してた方のやつな。小さ過ぎて気付かなかったろ?」

「な、に…言って……」


どうか薬の影響で見ている幻覚であってほしい。

そう願うほど、いつもの彼とは表情も話し方も大違いだった。


まるで別人と話しているように錯覚して、身体の震えが先ほどとは別の意味で止まらなくなる。

目の前にいるこの人は一体誰なんだと、困惑する感情の所為で、一向に頭が働かなかった。


「……8年」

「ジュンイチ、さ…?」

「…クライアントから8年ってオーダー来た時はマジかよこの客…って悪態ついたけど、まあここまで最高の形で終わるんなら遣り甲斐あったわ」

「な、に…?オーダー?遣り甲斐?8、年…?」

「これ以上ないってくらい騙されてくれたし、完成度高い動画になったから満足してもらえんだろ……ありがとなー、俺のために脱走まで考えて死ぬ覚悟してきてくれて。そんなに俺のこと好きだった?」


利用されてるとも知らずに。


そう目の前まで来て呟かれた瞬間、頭の中が真っ白になる。

私の表情を捉えるよう向けられた小型カメラのレンズが、愛し合っている時に撮られたカメラのレンズを思い出させた。


『データが流出する恐れのあるこの世の中で、彼はあなたの裸を撮った。そいつがあなたを愛していない証拠です』


あの子の言っていたことが、一瞬脳裏を過ぎる。

そんなわけがない、信じたくないと、必死に抗っていた心が、ここに来てやっと現実と向き合い始めた。


「あれ…?だんまり?もうちょっと良い反応見せてくれよ。クライアント喜ばねェじゃん激しいのでなきゃ……ほら、ヒステリック起こせよ、騙してたの8年も!って」

「ッ……私、の、裸も…撮って、たのは……くらいあんと?の…ため?」

「おっ、いいねいいね。どんどん質問しちゃって?答えてやるよ全部。そんで絶望した顔もっとちょうだい八ちゃん」


ゲラゲラと下品な笑い声を響かせながら、目線を合わせるように屈まれる。

ぐるぐると頭の中を掻き混ぜられているような感覚に、胃の中のものがひどく暴れ出した。


「う゛ッ…お゛ぇ」

「おっ!吐?く吐く?いいよいいよ!そうなってくれんだろうなって思ってあの時お前に決めたんだから」

「ッ?!!」


信じられないような彼の発言に自分の耳を疑う。

全ては自分が飲んだ薬の影響で幻なのだとそう信じたかった。そう思わないと精神が崩壊しそうだった。


私と同じ目線になるよう屈んでいるジュンイチさんが、出会った時と同じように私の顔を覗き込んでくる。

涙でグチャグチャになっている顔をじっと凝視されて、あの時言ってくれた言葉がまたフラッシュバックした。


『……大丈夫か?』

『ッ……う゛……』

『おら!!ちゃんと答えねェか!!』

『う゛ぅッ……ダイ、じょうぶ…です……ッ!』

『……。この子は今から俺が指名する』


あの時私を指名してくれたのは、助けたいと想ってくれたからなのだと思っていた。

傷ついて悲しんでいる私を見て、救ってやりたい守ってやりたい愛してやりたいと…そう想ってくれたのだとばかり思っていた。


「あん時のお前の顔、傑作だったよなー。涙でぐっちゃぐちゃでゲロ塗れでさー。絶対8年後の終わる日も良い表情してくれんだろうなって確信したわ」

「終わ、る…日……?」

「この子以上の逸材いないってビビッときたね。吐くの我慢してる時の顔とか、すんげェ歪んだ表情してたもんお前。最高だったよ」


次から次へと打ち明けられる真実に、どんどん訳がわからなくなって息が出来なくなる。

何が起こっているのかと考えれば考えるほど、冷静になんてなれなかった。


「あ、なた…は!ジュンイチさ…じゃないッ!!」

「おっ!良い感じに頭狂ってきた?いいねいいねー」

「ジュンイチさ…は、優しく…て、こんな…こんなこと!絶対!しな、い…ッ!!」

「俺だって8年も芝居してお前に優しくしてやりたくなんかなかったよ。面倒臭ェしイラつくし。でも仕方ねェじゃん。大金支払ってくれるクライアントの要望なんだから」


また出てきたクライアントという言葉に意味がわからず困惑する。

そんな私の様子を察したのか、お前ら下流階級ってほんと知能レベル低いよな…と吐き捨てて彼が続けだした。


「クライアントってのは依頼人って意味。俺たちは特殊性癖のお客様方のために動画撮って提供すんの。それが仕事」

「し、ごと…?」

「特に今回の客はすっげェ大金支払ってくれんだよ。そん代わり縛りは厳しかったし大変だったけど、成功して良かったわ。ぜーんぶ八ちゃんのお陰。ありがとな、ほんとに俺のために馬鹿みたいに騙されてくれて」


騙す。芝居。依頼人。仕事。動画。特殊性癖。大金。

伝えられた単語を必死に繋ぎ合わせて、何度も何度も頭の中で繰り返す。


必死に理解しようと頑張っても、目の前で起こっていることがどうしても受け入れられなかった。

カメラを回しながら笑っている彼のことが、本当にジュンイチさん本人だとは思えなかった。

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