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No.64 第21話『蕾』-6



私が中流階級の人間に生まれていたら、どんな人生を歩んでいたんだろう。

上の階級に虐げられることもなく、命の危険に晒されることもなく、幸せに生きていられたんだろうか。


「おい!いい加減起きろ!こっちは準備出来てんだからよ」

「ぐッ…う゛……」


母親や家族に愛されて、好きな人とも共に生きられて、幸せな人生を歩めたんだろうか。


「ジュンイチさん、どうします?なんか殺り方とか指定ありますか?」

「俺は良い映像残すために撮り専だから。お前らで好きに甚振っていいよ。クライアントからの指定は刃物を使わず暴行だから、他は何でもありだ」

「なんか謎めいた指定ッスねー。一々要望が細かいっつーか何つーか……変な性癖」

「おい一応撮ってんだから。大金支払ってくれるクライアントの悪口やめてくんない?……まあ後でお前らの声は消すけど」

「はは!そうして下さい。俺らも警備の仕事は続けたいんで!内緒で頼みますねー」


例え生まれ変わって中流階級になれたとしても、私はきっと…自ら命を絶つ。

こんなクズ達と同じ階級に生まれてしまうなら、こんな醜い人間達と同じに生まれてしまうなら、もう私は何度だって、自ら死を選ぶ。


「あ、起きましたね。そいじゃ始めますか!」


思い切り顔を殴られて、痛みと共に目が覚める。

上半身を起こして気付いたのは、場所が折檻部屋に変わっていたことと、ジュンイチさんの他に警備の男が3人私を見下ろしていたこと。


気絶する前に電話で話していた、警備に金を握らせ取引したというのは、私を秘密裏に嬲り殺すための取引だったんだろう。


気付いたところで何も出来ず、思い切り腹を蹴られて胃の中のものを吐き出す。

暴行した相手ではなくジュンイチさんを恨めしい目で見上げれば、嬉しそうに口角を上げてレンズ越しに囁かれた。


「ああ、なるほど……クライアントの要望した意味がわかった」

「んー?何ですかー?ジュンイチさん」

「ぐっ…げほッ……う゛」

「この表情を堪らなく欲してたってわけだ、この客は……歪んだ性癖してんなー、ハハ」


まあ俺は大金稼げんならいくら恨まれても構わねェけど。


そう言ってのけたジュンイチさんが、カメラを私の顔の前へ近づけてくる。


殺してやりたい。憎い。殺してやりたい。

そう確かに思うのに、何故か私のことを助けてくれたあの時のジュンイチさんが蘇ってきて涙が溢れ出してくる。


「クッ……ハハ!複雑な表情してんなー。悲しいのか憎いのか……まあほぼ憎悪の塊って感じだな」

「……。」


地獄に落ちろ。

そう口を開きかけた瞬間、遠くから笛の音が聞こえた。


その場にいた全員が一瞬固まり、扉の方へと視線を向ける。

直後に響いてきたのは、あの乱暴な妓夫の遠くまで響く怒鳴り声だった。


「遊女を逃がした罪人が遊郭から逃走した!!罪人は血まみれの女だ!!花街出る前に捕まえろ!!」


叫ばれている内容を耳にして、状況を理解したのと同時に、あの子の顔が脳裏を過ぎる。

目をキラキラさせて、嬉しそうな顔で、私に向かって微笑んできたあの子の顏が鮮明に蘇ってくる。


『…あなたが、この花街から出て幸せになる、1人目の遊女です』



ああ、本当に……


本当に本当に、ごめんなさい。



「チッ、あーあ良いところで…俺らも一旦捕まえに行きますか」

「顔出さねェと後からあいつうるせェしな」

「ジュンイチさん、捕まえたらすぐ戻ってきますんで…よろしいですか?」

「はあ…ったく……仕方ねェか。すぐ戻れよ」

「ッ……」


行かせるもんかッ!!


出て行こうと立ち上がった1人に、後ろから体当たりをして転がす。

先ほど蹴られたお腹の辺り…肋骨が軋んで激痛を伴っても、歯を食い縛って堪えた。


すぐさま体勢を立て直して、他の2人に向かって足と腕を振り回す。

すぐに往なされて押さえつけられても、渾身の力で暴れ回って行く手を阻んだ。


少しでもいい。

あの子が逃げられる隙を作れるなら、あの子が花街から出られる可能性が上がるなら、私はもうどうなっても構わない。


どうせこいつらに殺される運命なら、今死のうが後から死のうが同じことだ。

こいつらをこのままここに止まらせる。


どんなに殴られても痛い目に合わされても、私が息絶えるまで絶対に、行かせてなんかやるもんか。


「!…なんだ?急に暴れ出しやがった」

「痛ッ!!噛み付きやがったこいつ!!クソ女がッ!!」

「ぐッ…う゛ッ!!」

「急に逃げられるとでも思ったのか?面倒だな…また戻ってくるまで気絶させとくか」


警備の男に再び思い切り顔を殴られ、首を絞めるように圧迫される。

呼吸が出来ずにもがいていると、ジュンイチさんのスマホが大きく鳴り響いた。


すぐさま耳に当てて誰かと会話をし始めた彼が、眉間に皺を寄せて怪訝そうに呟く。


「……その情報、デマじゃないだろうな。こっちは今8年分かけて頑張った仕事の仕上げ中なんだよ」


しばらく相手の話を黙って聞いた後に、わかった…と一言だけ返事をして電話を切る。

切羽詰まったように右手に持っていたカメラを警備の1人に渡して、早口で説明をし始めた。


「悪い。お前ら3人はここで残って続けてくれ。撮影はお前に任せる。最後まで商品になる映像が撮れたら報酬はさっきの5倍は出す。警備仲間の奴らには、悪いが後で怒られてくれ」

「え…?!ジュンイチさんはどうするんですか?」

「俺は今逃げたっていう女を見つけて映像に残す」

「…?またどうして」

「どっから情報仕入れてんのかはわかんねェけど、同じ客から急遽依頼が入ったらしい。今逃げた女を撮れたらこの報酬の10倍は出すんだとよ。8年分の依頼を、たったの一映しで10倍とか……マジでふざけんじゃねェよ」


絶対に俺が映す。


そう宣言したジュンイチさんが、勢いよく障子扉を開けて部屋を出て行く。

私を嬲り殺せと命令して、一切私のことを見ることなく別れも告げず、折檻部屋からいなくなった。


「…あーあ、首謀者いなくなっちゃった。どうする?続けるか?」

「まあさっきくれた金の5倍出すって言ってくれてっからなー。後で他の奴らには謝るか」

「どうせあいつも罪人捕まえたら地下牢で拷問して楽しむんだろ。俺らも発散しようぜ」

「う゛ッ……ゲホ、ッ!ゲホ……はあ…はあ…」


絞められていた首を離されて咳き込み、酸素を吸うことに必死になる。

苦しい中で聞こえてきた会話を、朦朧とする意識の中で何とか繋ぎ合わせて考えようとした。


けれどその努力も空しく、続け様に殴る蹴るの暴行を加えられて、しっかりと頭が働かなくなってくる。

傍でずっと泣き続けている蕾が、やめてやめてと必死に男たちへ縋りついていた。


最早、現実よりも幻覚の方が私にとって優しい世界になっている。

こんな鬼畜しかいない世界なら、早く消えてしまいたい。


私に心から優しく接してくれた人なんて、誰一人いなかったんだ。

光だと思っていた人間は、誰よりも真っ暗で最低なクズ野郎だった。


大量の涙が自然と頬を伝う中、男の1人が私の着物を剥ぎ取っていく。

その際に落ちたあの子の財布をもう1人の男が拾い上げて、中の金を数えている姿が目に入った。


身体の痛みで真っ白になっていた頭の中に、昔読んだ絵本の物語が流れていく。

柔らかい、優しい雰囲気で描かれていた絵が、走馬灯のように駆け巡っていく。


『昔々あるところに、それはそれは可愛い赤ん坊と優しい母親がおりました』


母というものは愛情で満ち溢れていて、子どものためなら自分の身を呈してでも守り、慈しむものなのだと言う。


絵本に描かれていた母親は、子どもがどんなに反抗的な態度をとっても、危険なものから身を呈して守り、いつも一番に子どものことを気遣っていた。


いつも一番に、子どものことを想っていた。



『……明日、あなたをこの花街から逃がします』



優しく包み込むように私を抱き締めてくれた、あの子の姿を思い出す。

私を一番に想って慰めてくれた、あの子の優しい姿を思い出す。



『あ…た、を……たすけ、たい。行って、は…だめ』



どんなにひどい仕打ちをされても、決して諦めずに、私を守ろうとしてくれた、あの子のことを思い出す。

どんなに傷つけられても、自分のことより私のことを想って、必死で助けようとしてくれた、あの子のことを思い出す。



『ま…って、お、……かね。出られ…たら、ひつよ…う』



「ッ…ああ、馬鹿だ……ッ、私は……大馬鹿だ」



私にもちゃんと……


優しくしてくれた人が、いるじゃないか。



「返せッ!!!私がもらった大切な物だッ!!今すぐ返せ!!!」



思い切り男の腕へと噛み付いて、あの子からもらった大切な物を奪い返す。

どうかこれだけは奪われないでと、泣きじゃくっている蕾に託せば、ぎゅっと抱きしめて何度も何度も頷いてくれた。


私たちにもちゃんといた。

大切に想ってくれた人が、大事に包み込んでくれた人が……


自分が傷ついても愛を与えてくれた人が、ちゃんといたんだ。


気付くのが遅すぎると、蕾に泣きながら責められる。

ごめんねと泣き笑いながら、殴られても痛みを感じなくなってきた身体に力を入れて、口を小さく動かした。


「蕾…ごめ、ね……ッ、幸せに…出来、なく…て……」



今まで止めてくれて、教えてくれて、本当にありがとう……



そう心の中で呟いた瞬間、蕾が切なげに笑った。


最期に気付けてよかったと、呼吸が止まる前に優しく微笑んで、ぎゅっと手を握ってくれた。

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