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No.65 第22話『献花』-1



『……お前の怖ェくらいの慈愛に、救われる奴とか、心変わりする奴は必ずいる』

『ッ……本当に…ッ……本当に、そうでしょうか』


ボタボタと大粒の涙を流しながら掠れた声で尋ねてくるシオンに、出来る限り笑ってみせる。

自信あり気な表情をしてから、精一杯言葉を選んで呟いた。


『保証する。これだけは絶対だって言える。安心しろ』


言い切ってから、自分で剥いた梨を口へ放り込んで、部屋の隅に置いてあった段ボールの箱へと手を伸ばす。

大量に用意されていた、八という女への無償の愛に、胸を締め付けられるような感覚がした。


一体何個食わす気だったんだよお前…と呆れたように笑って、無念を表す梨を次々と処分していく。


『保証するって……どうして、ッ…絶対…って、思うん、ですか……?』

『……目の前にあんだろ。保証出来るもの』


一向に泣く気配が収まらないシオンへ右腕を伸ばして、少し乱暴にパーカーで顔を擦る。

拭っても拭っても溢れてくる涙に、どうか止まってくれと…強く強く願いながらはっきりと口にした。


『俺が証拠だ』


再び自信たっぷりに、挑発的な表情で微笑んでみせる。

もうお前は1人じゃないと、死んでしまった女の分まで俺がお前を支えてやると…励ます気持ちで言葉を選んだ。


『……さて、次はどうする先生?勉強か?』


一瞬また顔をクシャクシャにして、泣くのを堪えるように俯かれる。

火傷しているシオンの代わりにもう一度涙を拭おうと腕を伸ばせば、震える声で途切れ途切れに問いかけられた。


『たち、ばな…さ、は……どうして、そんなに、優しい……良い人、なんです…か?』

『……。』


本当にそう思うのか。

本当に心から、優しくて、良い人間で、正しいことをする奴だと、そう思ってんのか。


『橘さんに、出会えて…本当に、よかったです』

『……ああ、そうかよ』


だとしたらお前は、見る目が無さ過ぎる。

俺はお前が思うような、純粋で、優しい人間なんかじゃない。


『本当に、本当に…ッ、ありがとうございました』

『……。』


決して正しい人間なんかじゃないと……この時のシオンには、伝えられなかった。




第22話『献花』




昨夜から今朝方に起こったことを薄っすらと夢に見ながら、転寝から目を覚ます。

シオンの家を出てからはすぐに仕事へ戻っていたから、正直睡眠は全く足りていなかった。


夜に配給されたパンを口に含んだまま一瞬眠っていたらしい。

気付いて辺りを見回せば、いつも傍で飯を食っているはずの藤と南が見当たらなかった。


「…?谷さん、藤と南は」

「お前が寝てんの見て、何かイタズラ出来る道具はねェかって探しに行った」

「は…?どこまで」

「南が相当張り切ってたからな…外まで行ったんだろ」


2人だけで出歩いてんのか?こんな夜遅くに?

危険な目に合ったらどう対処する気なんだよ藤は…


はあっと大きく溜息をついて、重だるい身体に力を入れる。

途中まで食っていたパンをそのまま床に置いて立ち上がり、2人を探しに行こうとした時だった。


「…お前に巻き込まれた今回の件よりも、危険なことなんて起きねェだろうよ」

「ッ…!」


谷さんに背中を向けて歩き出した瞬間、後ろから低く呟かれる。

振り向いて谷さんの方へ視線を向ければ、俺が置いていったパンを手に、座って食えと床に指を差していた。


「…藤は俺とお前を2人にするために出て行ったんだろ。そう遠くへは行かねェで施設の近くで南を見てるはずだ」

「……。」

「何かあったら助けを求められる距離にはいんだろうよ。藤も馬鹿じゃねェんだ。わかったら座れ」


食べかけのパンを投げられて、軽くそれを受け止める。

黙って元の位置に戻り腰を下ろしたが、しばらく沈黙は続いた。


藤が南を連れて外に出たのは、俺と谷さんを2人にさせるため。それにどういう意図があるのかくらいはすぐに想像がつく。


今回の件について、南抜きで洗いざらい全部話せと説明を求めているんだろう。

そうなればシオンのことについても、最初から話さなくちゃいけなくなる。


あいつの目的も、これから俺があいつに協力しようとしていることも、全て、話さなくちゃいけなくなる。


「……。」

「…橘」

「……。」

「…何も話したくねェってか。ったく、思春期か?お前は…」


谷さんが俺の頭へ腕を伸ばしてきて、乱暴にグシャグシャと撫でてくる。

眉間に皺を寄せてやめろと腕を払いのければ、珍しく真剣な表情で視線を合わせて呟かれた。


「……全員死んでた可能性もあったんだ」

「…!」

「お前が死んでた可能性はもっと高かっただろ。俺たちが気付いて助けてなかったら、たぶんお前は終わってた」


眉尻を下げて、辛そうな表情で肩に触れられる。

谷さんの震える腕の感覚が身体に伝わってきて、今度は払いのけようなんて思えなかった。


「…お前があの子を抱えて走ってたのを見た時、助けようとしてんだなってことだけはわかった。けどな、それ以外に関しては全く状況がわからねェ。遊郭の警備に拘束されてたってリュウマから聞いた時は肝が冷えた」

「……。」

「お前が拘束死刑になるかもしれねェって、そこにいた全員が心配して策を練ったんだ。お前の命助けるために、全員が命懸けで動いたんだ」


あの小さい南さえも命張って、お前を助けたんだぞ。


そう谷さんが口にした瞬間、俺の肩を触っていた手に力が入る。

ぎゅっと握るように掴まれた途端、胸の奥が痛んで苦しくなった。


これ以上ないってくらい申し訳なさと情けなさで、心が悲鳴を上げた。


「橘……あの子は一体何者なんだ?あの時お前らに何が起こってた?」

「……。」


事情を話すべきだとは思った。

あの時起こっていたことも成り行きも全て、巻き込んでしまった谷さん達には話すべきだとは思った。


けどただひとつ、これを話してしまうことで気にかかることがある。

シオンと出会って話をしたあの時のことも、シオンがこれからやりたいと思っていることも、遊郭で行った脱走計画も……全てを話してしまったら、確実に起こってしまうことがある。


「なあ橘、あの子とはもう…」

「……。」


関わるな。そう説得されるに決まっている。

これ以上危険なことに巻き込まれるなら会うのはやめろと、必ず止められる未来が見えている。


事情を話していない段階でさえもこうなのだから、全てを話してしまえば尚更だ。

一体何者だと聞かれても、俺もシオンの全てを把握出来ているわけではない。


ただあいつと共に夢を叶える。

1人では出来ないことでも、2人で協力して支え合って、夢を叶えるために奮闘する。


そう決めただけだ。

そう、約束しただけだ。


「…谷さん、すみません」


みんなが安心して納得できる話なんて…何も持ち合わせていない。

今よりもっと止められる未来が見えているのに…全てを話すことなんて、出来るわけがない。


「…話せることが、限られてます」


真剣な目で真っ直ぐ視線を返しながら、はっきりとそう口にする。

現段階で全ては話さないと決めている俺の固い意志を察したのか、谷さんがしばらく沈黙した後、はあっと大きく溜息をついた。


お前は本当にガキん頃から頑固だったからなあ…と小さく嘆いてその場に寝転び始める。

何回説得したって聞きやしねェんだからもう…と悪態をついてから、それで?話せることは?と寝たまま軽く蹴りを入れられた。


「…あいつの名前はシオンです」

「おお、それで?」

「終わりです」

「ふざけんな」


さっき寝転がったはずの谷さんがすぐに起き上がって俺の身体を掴んでくる。

立ち上がって藤と南を探しに行こうとしたが、パーカーを掴まれて身動きがとれなかった。


「他にもっとないのか?!何で嬢ちゃんが血塗れだったのかとか、何で遊郭の警備に拘束されたのかとか!」


納得してもらえないことは重々承知の上で話を切り上げたから、必死で谷さんを引き摺って出入り口まで歩く。

沈黙を続ける俺に痺れを切らした谷さんが、じゃあこれだけは聞かせろと大きな声で問いかけてきた。


「死ぬ危険冒してまで何であの子を助けた?!」

「俺があいつを助けたいと思ったから助けた!それだけです!」

「橘、お前……」


そんなになるまであの嬢ちゃんのこと、惚れてんだな…


そう感慨深く囁かれた瞬間、ん?と歩みをピタリと止めて振り返る。

俺に縋りついていた谷さんが勢いよく立ち上がり、先ほどと同じように真剣な表情になって肩に手を置かれた。


「わかった。もう何も聞かねェよ」

「谷さん」

「そんなに惚れてんなら全力で守ってやれ。俺はもう止めねェから」

「谷さんあのな」

「橘、お前の恋は全力で応援してやる。もう会うななんて言わねェよ。父が協力してやる。頑張れよ」

「……。」


……もうどうでもいいか。

違ェよと全力で否定したい気持ちを抑えて、眉間に皺を寄せたまま黙り込む。

このまま納得して話を終わらせてくれんなら、もう勘違いされたままでいいやと諦めた。


軽く溜息をついて、再び藤と南を探しに前を向く。

後ろから、橘…と声をかけられて、まだ何かあるんスか?と嫌そうに返して振り向いた。


「……ただな、どうしても困った時は俺を頼れ。今回みたいに、力になってやるからな」


慈しむような表情で微笑まれて、一瞬目を見開いて驚く。

ありがとうと…言いたかった言葉はいつものように喉につっかえて、口から声となって出て行くことはなかった。


「……藤と南、探してきます」


そうお礼の変わりに小さく声を発して、部屋の出入り口まで歩みを進める。

俺が部屋から一歩出たのと、その音と声が聞こえたのは、ほぼ同時だった。


「ぎゃあああああ゛ッ!!!」

「ッ…?!」


施設の建物内から、誰のものかわからない悲鳴と、銃声のような音が聞こえる。

谷さんと視線を合わせて、すぐさま音がした方へと全力で駆け出した。

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