「…う゛……ッ」
後頭部に激痛が走って、気を失っていた状態から目が覚める。
ズキズキと痛む頭に手を持っていこうとしたら、全く身動きが取れないことに気が付いて息を呑んだ。
「ああ…やっと気づいたか?」
「……!」
床に倒れた状態から目線を上に向ければ、あの下流階級の若い男が冷めた目で俺を見下ろしていた。
右手にはあの警察官から奪った銃。左手にも何かを握っているみたいだが、薄暗くてはっきりとは視認出来ない。
恐る恐る視線だけで周りを見渡す。
俺とこの男以外は人の気配を感じられず、シーンと静まり返っていた。
ここはどこだ…?
気絶している間に、下流階級の施設ではない場所へと移動している。
薄暗く、1本のロウソクしか灯っていない、倉庫のような場所だった。
目視で確認は出来ないが両手足は後ろ側で縛られているんだろう。
全く身動きが出来ない状態で地面に転がされている。
「う゛…」
ここに来るまでの記憶を思い出そうとした途端、またズキッと後頭部が激しく痛んだ。
この男に殴られて気絶したのか…?
いや違う。
確か始末しようと俺の身体を引き摺って歩き出したのは、この若い男の方じゃない、中年の男だった。
拘束された状態で引き摺られ、為す術がないと諦めかけた時に…
『谷さん、すみません……その2人、俺に任せてもらえませんか?』
この若い男が、後を追いかけてきて引き留めたんだ。
『任せるってお前……意味わかって言ってんのか?』
『……始末しなくちゃいけねェ状況だってのはよくわかってます。ただその判断は、俺に任せてほしい』
お願いします。
そう真剣な表情で頼み込んだ若い男が、中年の男から引っ手繰るように警察官の襟首を掴む。
暴れ藻掻く警察官へ、大人しくしてた方が生き延びれんぞ、どうする?と囁いて、銃を頭に突き付け静かにさせていた。
『……橘』
『わかってます。でも今回は俺に任せて下さい』
『理由は、聞かせてくれねェんだな?』
『……。』
『また、あの子絡みってわけか』
訳のわからない会話を頭上で繰り広げられて、冷や汗が額から流れ落ちる。
状況的に、おそらく若い男の方へ行った方が助かる見込みがある。
この中年の男は確実に俺たちを始末しようと動いていた。それは今までの言動から間違いない。
こっちの若い男だけなら…金でもチラつかせれば逃げられる隙が出来るかもしれない。
もう一度顔を後ろへ向けて、2人の様子を覗き見る。
その時、視界に入ってきたものにゾワッと鳥肌が立った。
『……今回の件について、吐かせたいことがあります』
若い男の胸ポケットに、俺の落とした小型カメラが見える。
途端、背筋が凍り付く。
訳も分からず身体の震えが止まらなくなった。
薄気味悪い、嫌な感覚。
若い男の方が逃げられると踏んでいた思考が、何故か一気に反転して身体が硬直した。
『全部説明出来ずにすみません。ただ、今回のことだけは俺が……』
この男に連れて行かれれば、確実に俺は…
『……終わらせるべきだ』
終わる。
予感が確信に変わった瞬間、逃れようと全力で暴れる。
縛られたまま思い切り身を翻せば、油断していたのか中年の男が手を離した。
逃げられる。
そう思ったのと同時に、後頭部に激痛が走り意識が薄れていった。
あれは中年の男が油断して手を離したわけじゃない。
運びやすいように、容赦なく俺の頭部を鈍器で殴って気絶させただけだった。
気が付けば薄暗い倉庫のような場所で、若い下流階級の男と2人だけ。
あの中年の男も、警察官の男も、施設へ共に来た奴らも見当たらなかった。
「た、頼む…見逃してくれ!か、金なら必ず用意するから!!」
「今から俺がする質問に答えろ。無駄なことは叫ぶな」
「ッ……」
「お前は警察の奴と違って素直で助かるよ」
「……。」
俺と一緒に捕まったあの警察官の男はどうなったのか。
顔を強張らせて冷や汗を流していると、若い男が察したように首を傾げながら呟く。
「ああ…あの警察官はどこ行ったかって?」
「……。」
「お前が気絶してから7時間経ってんだよ。ちなみに今、夜中の3時な?で、お前が寝てる間に先に質問した…俺が聞きたいこと全部」
「……い、生きてるのか?」
この質問も、男にとっては無駄なやりとりなんだろう。
一瞬眉間に皺を寄せた直後、冷めた無の表情に戻り、俺の前へ屈んで聞き返してきた。
「どうだと思う?」
ゾワゾワと、生まれて初めて感じる恐怖に身震いする。
自然と上下の歯がカタカタと震えだした。
若い男が左手に持っていた物を目の前に置く。
その瞬間、警察官がどうなったのかを嫌でも悟った。
「ッ…ぁ」
まだ乾いていない血と肉片で真っ赤に染まっている警察手帳。
それがあいつの無残な死を物語っていた。
「……下流階級の奴は文字が読めないから騙せると思ったらしい」
「……!」
「俺の知りたいことを答えたら自由にしてやるって言ったら、最初は饒舌に何も考えず答えてた。撮影してたカメラはお前のか?って聞いたら、そうだと…警察の調査で必要なものだったと答えた」
「……。」
「俺が動画を見るためのパスワードは?って問い質せば、冷や汗流しながら固まってた。画面に出てる文字が読めるわけねェって高を括ってたんだろ……当然カメラの持ち主じゃねェあいつはロック解除の方法なんて答えられず嘘だってこともバレる」
俺に見せつけた警察手帳をわざわざ拾い上げて、少し離れた倉庫の入り口の方へと歩みを進めていく。
片方の扉が開いている先に見えたのは、ゴミ収集車の後方部分だった。