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No.71 第22話『献花』-7



傘に当たった雨の雫が、ポタポタと俺の右肩に落ちてくる。

いくらパーカーが濡れようとも、シオンの方へ寄せている傘を自分の方へ戻そうとは思わなかった。


『クライアントからの要望6、俺からの種明かし後に集団リンチで惨殺!客が喜んでくれるかはお前の表情にかかってまーす。どう?これから殺される感想は?どんな気分?カメラに向かってどうぞ』


動画を再生しながら悔しそうに顏を歪め、涙を流し続けているシオンを黙って見守り続ける。

画面の中でジュンイチという男の鬼畜な説明が終わり、八が気絶して、場面が折檻部屋へと移り変わっていく。


『おい!いい加減起きろ!こっちは準備出来てんだからよ』

『ぐッ…う゛……』


いよいよ、八への集団暴行が始まる。

それ以上は見るなという意味を込めて、震える膝の上からカメラを奪い取り、代わりに右腕でシオンの顔面を拭った。


雨で濡れている右肩の部分と同じくらい、右袖は何度も拭ったシオンの涙でひどく濡れている。

冷えていく肩とは対照的に、シオンの両目を拭った袖はまだ熱を持って温かかった。


「彼女は、この後…」

「……お前が実際に、あの場所で見た通りだ」

「ッ…う゛ぅ」


泣き過ぎて腫れた目蓋。充血して真っ赤になった両目。

火傷で大怪我をした包帯でぐるぐる巻きの両手に、1人で逃げる際あちこち傷だらけになった両手足。


シオンの状態を改めて確認した時に、胸の辺りがまた途轍もなく苦しくなる。

これだけ必死になって動いた結果が、これだけ八のことを想って頑張った結果が……


「こんなの…ッ、酷過ぎる」


これなのか。


シオンの声を聞いて、やり場のない感情を抑え込むようにぐっと拳を握り締める。

思い切り力を入れた所為で警備から逃げる時に切られた右手の傷が開いて、適当に巻いた包帯に血が滲み始めていた。


「橘さん、ッ…血が」

「……大丈夫、問題ない」

「でも…」

「……。」


順を追って、詳しくシオンへ説明するべきだと思っていた。

折檻部屋へ移動した後の、あいつらの言動全てを事細かく口頭で伝えなければ、今後の作戦に支障をきたす。


シオンが確認出来ていない動画の部分にも、気になる点はいくつもあった。

早急にシオンへ尋ねるべきだとわかってはいても、そのことについて、一向に言葉が出てこない。


本当に、今ここで真っ先に伝えなくちゃいけない内容はそれなのか…?

傷だらけで涙を流し、悲しみに打ちひしがれているシオンへ、今一番に伝えるべき話は何なのか。


それはたぶん、順序立てて起こったことを全て説明することじゃない。

そんなことは後日、日を改めて、作戦を立てる時に伝えればいい。


今ここで、本当に、伝えるべきことは……


「……お前が、今まで八のためにやってきたことは、何一つ…無駄なんかじゃなかった」


人を恨みながら死んでいった八が、唯一…お前には救われていたという事実だ。


『遊女を逃がした罪人が遊郭から逃走した!!罪人は血まみれの女だ!!花街出る前に捕まえろ!!』


八が暴行を受けている途中、笛の音が鳴り響き、妓夫の怒声が聞こえてきた映像を思い浮かべる。

必死で警備たちをシオンの方へ行かせまいと、ボロボロの身体で暴れまわり、身を挺して戦っていた姿を思い浮かべる。


「こんな…結果に、なったんです。私のやったことなんて…ッ、ぜんぶ…」

「八は暴行を受けている間も、お前が逃げられるように必死になって戦ってた」

「……?!」


シオンが俯いていた顔を上げて、腫れた目蓋を限界まで持ち上げる。

驚き過ぎて思考が追い付いていないのか、しばらく口を開いたまま固まっていた。


「俺も最初見た時、自分の目疑った。お前から聞いてた話で、八って女がそんな行動するわけねェって思ってたから……けど、最期の…死ぬ間際の映像見て、確信持った……あれはシオンを逃がすための行動だったって」

「ど、ういう…こと、ですか?さ、最初から説明を」


火傷している手で縋りついてきそうになったのを、手首を掴んで落ち着けと止めてやる。

わかりやすく説明しようとすればするほど、頭の中に繰り返し再生されるのは、八が必死で戦い守っていた、最期の姿ばかりだった。


「……八への暴行が始まってしばらくした後、笛の音が鳴って、あの妓夫の怒声が聞こえてきた。遊女を逃がした罪人を捕まえろって内容の」

「…!」

「暴行していた警備が、一旦八への行為を止めてお前の方を追いかけようとしたんだ。…けど、急に八が暴れだして、警備の行く手を阻んでいた」

「八さん、が…?」

「最初は逃げる気で暴れたのかと思った……でもそれなら、警備が部屋から出て行った後に動くはずだろ?それに…」


あいつは、お前からもらった財布を必死になって警備から奪い返してた。


そう囁いた俺の一言で、再び肩を震わせて両目からぽろぽろと涙を零す。

百日紅の木の下で雨宿りをしていたのか…どこかから飛んできた赤い蝶が、慰めるようにシオンの髪へと止まった。


「死ぬ間際だったんだと思う……暴行に対してほとんど反応を示さなくなったタイミングで、警備の奴がお前の財布を奪って、中身を覗いて金を数えようとしてた。それに気づいた八が、必死で叫んだ言葉が…」


『返せッ!!!私がもらった大切な物だッ!!今すぐ返せ!!!』


一字一句、間違えることなく八の想いをシオンへ伝える。

最期の力を振り絞って警備の腕へ噛み付き、大切な物をちゃんと自分の手の中に奪い返していたと…カメラの映像をもう一度鮮明に思い浮かべながら説明した。


「お前のやったことは、無駄なんかじゃなかったんだ」

「ッ…う゛……うう゛」

「お前の想いは、ちゃんとあいつに伝わってた。お前の慈愛に、あいつはちゃんと救われてた……そうじゃねェと、ひどい暴行受けてる間にあんな行動取れるわけねェんだよ」


八は、お前に感謝してたんだ。


俺の話した八の最期を聞いて、シオンがベンチに座ったまま泣き崩れる。

上半身に力が入らず倒れそうになったのを、咄嗟に傘を離して両腕で支えた。


かなり降っていたはずの雨はいつの間にか小雨になっていて、ここより少しだけ離れた空からは太陽が見える。

両肩へ触れた数秒後に雨が完全に止んだお陰で、傘は必要なくなりシオンを支えてやることだけに集中出来た。


お前がやったことは無駄なんかじゃなかった。だから自分のことを責めたりするな。

どうか伝わるようにと願いを込めながら、そう何度も何度も同じ言葉を繰り返す。


声にならず、泣きながら必死で頷いているシオンを見て、もうこの世にはいない八へも改めて願った。


お前の想いは代弁してやった。お前の無念は晴らしてやった。

お前のような犠牲者が出ないよう俺も戦うから、だからどうか、安らかに…


「…?」


想いを馳せている途中、シオンの頭に止まり続けていた赤い蝶が羽を広げてふわりと飛んだ。

雨が止み遠くへ行くのかと思いきや、シオンの肩を支えていた俺の右手の甲へと止まって、また羽を休めだす。


真夏に蝶がいることだけでも珍しいのに、見たこともないような色彩。

まるで派手な着物のようだと感じた瞬間、映像の中の、八の纏っていた綺麗な赤を連想した。


「必ず…今回の件に関わった悪人たちを突き止めて…ッ、亡くなった…彼女たちの仇をとります。それが例え、組織だろうと、上の階級の人間だろうと…関係ありません。必ず…必ず突き止めて……」


言葉を詰まらせながら亡き犠牲者たちへ誓っていたシオンが、急に目を見開いて固まる。

思考が止まったように数秒動かなくなった後、パンパンに腫れた目をこちらへ向けて、シオンの肩を支えていた俺の左手に手を重ねてきた。



「橘さんが情報を聞き出した後、下流階級の施設に侵入した人たちは……どうなったんですか?」

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