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No.72 第22話『献花』-8



尋ねられた内容に、一瞬ドクッと大きく心臓が脈打つ。

八たち遊女を惨たらしく殺し、ゴミ収集作業員を惨殺しようとして捕らえられた奴ら。


奴らが俺から聴取を受けた後、どうなったのか……

当然何も知らないシオンが、これからの行動を考える際真っ先に解決すべき点で浮かぶのは奴らの身柄だろう。


シオンの部屋でカメラの相談をした時も、そのことについては一切触れなかった。

触れたところで結果を変えることなんか出来ないからだ。


「橘、さん…?」

「……。」


シオンから遊郭で起こった出来事を説明された、昨日の明け方。

震える声で途切れ途切れに問いかけられた、あの時の言葉が脳裏を過ぎる。


『たち、ばな…さ、は……どうして、そんなに、優しい……良い人、なんです…か?』


……本当にそう思っているのかと耳を疑った。

本当に心から、俺が優しくて良い人間で正しいことをする奴だと思っているのなら、見る目が無さ過ぎるとさえ思った。


『橘さんに、出会えて…本当に、よかったです』

『……ああ、そうかよ』

『本当に、本当に…ッ、ありがとうございました』

『……。』


俺が優しい人間じゃないと知った時、シオンはどんな反応を見せる…?

決して良い人間なんかじゃないと知った時、シオンは…怖がって、軽蔑して、俺と手を組むのはやめると言い出すんだろうか。


そう思って、あの時は本当のことを何一つ言えなかった。

言おうとした口が自然と閉じていって、シオンから拒絶されることを恐れて何も言えなかった。


でも今は……


『必ず…今回の件に関わった悪人たちを突き止めて…ッ、亡くなった…彼女たちの仇をとります。それが例え、組織だろうと、上の階級の人間だろうと…関係ありません。必ず…必ず突き止めて……』


これから行っていくことを明確にすべき今だけは……


『橘さんが情報を聞き出した後、下流階級の施設に侵入した人たちは……どうなったんですか?』


俺がさっき行ったことを、俺の隠していた本性を……


全てシオンに、曝け出すべきだ。



「……俺は、お前が思うような…優しくて良い人間なんかじゃない」



一見繋がりの無い俺の返事を聞いて、シオンが困惑するような表情を見せる。

けど数秒後、すぐに俺の伝えたかったことを察したみたいで、施設に侵入してきた奴らがどうなったのかを理解したようだった。


「ッ……」


目を見開いたかと思ったら、また大量の涙を頬へ伝わせて眉尻を下げる。

辛い。悲しい。苦しい。そんな感情を隠すことなく存分に表現していて、顏をひどく歪ませながらこっちを見つめていた。


「……俺は消す必要があると思えば、迷いもせず相手の息の根を止められるし、死んだ人間を跡形もなく処分出来る」


突き放すなら今だぞという思いを込めて、シオンの肩から手を離す。

より明確に自分の残忍さを説明しようとした瞬間、俺の右手に止まったままだった赤い蝶が、ヒラヒラと飛んで俺の右肩へと移動してきた。


まるで慰めるように止まった赤い蝶の動きに、不思議と喉の奥が締め付けられて胸が苦しくなってくる。

辛い気持ちはよくわかるとでも言うように蝶が俺の目の前をもう一度飛んで、また離れるわけでもなく俺の左肩へと止まった。


「……俺は数日置きに死んだ子どもの身体を薬剤で溶かして、ゴミ収集車に突っ込んでバラバラにしてる。……泣きながら遺体を処理するような優しい奴でもない、冷たい人間なんだよ。お前が思ってるような良い人間なんかじゃない」

「ッ……う゛、ぅ」


俺の本性を知ったシオンが、涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら俯く。

もう俺と組むのはやめとくか…?と小さく零せば、火傷しているにも拘わらず勢いよく左腕を掴まれて大声で叫ばれた。


「いいえ゛!!ぐ、うッ…いいえッ!!」


左肩に止まっていた赤い蝶が、綺麗に俺とシオンの間を舞う。

再びシオンの頭へ寄り添いに行って、泣くな泣くなと、必死で慰めているように見えた。


「警察が正常に機能していない今、悪人たちを警察に渡せば、またお金で取引されて同じことの繰り返し!野放しにすれば、橘さんたち下流階級の方々がひどい目に合うのが目に見えています!!現状これ以外の方法なんてなかったッ!!」

「……そうだな」

「わ゛たしが!…ッ、私が!今一番許せないのはッ!!」


全部全部、橘さんに背負わせてしまった…私自身です…


そう泣き崩れながら言われたことで、少しだけ胸の痛みが和らいでいく。

拒絶されなかったことと、本当にシオンが背負おうとしていたものを俺が背負えたんだという安堵感で、ほっと息を吐き出せた。


「不甲斐ないです……本当に私は、情けないです」

「……幼い遺体も処分出来るような…冷たい人間でもいいのかよ」

「下流階級のゴミ収集作業員に、それらを強制しているのは政府です。上の階級の人間です。拒否権のない橘さんたちに、何の罪がありますか…」


再びゆっくりと顔を上げて、俺の目を見つめてくる。

優し気な表情で、慈しむような視線を向けられて……何故か喉の奥が、締め付けられるみたいに苦しくなった。


「橘さん…私に言って下さったの覚えてますか?私の夢に対する覚悟はすごいって、命懸けで…下流階級の人たちを救おうとしてて、私はすごいって」

「……ああ、言った」

「橘さんは、自分の覚悟の甘さも思い知ったって…言ってましたよね」

「……ああ、そうだな…言った」

「でもね……今、覚悟の甘さを思い知ってるのは私の方です」


涙を頬へ伝わせたまま、眉尻を限界まで下げたまま、無理やり口角を上げている姿を見つめる。

シオンが覚悟を決めるように身体へ力を込めて姿勢を伸ばした後、はっきりと本音を口にした。


「私は、自分の命を懸ける覚悟はあっても……人の命を奪う覚悟までは、出来ていませんでした」


強い眼差し。凛とした姿勢。

目が腫れて涙を流していても、思わずこちらが息を呑むような気迫。


「けど私も、橘さんを見て気付けました。考えを改めました」


見たこともないシオンの表情に、いつの間にか視線を全て奪われていた。

俺を見て気付けた内容。考えを改めた内容。そのことについては明確な言葉では表現せず、覚悟を決めた戦う目だけではっきりと今後の行動を示される。


奴らの仲間を突き止めて、探し出した後、シオンは……


ハッと我に返った瞬間、曇っていた空が完全に晴れて、辺りが明るくなっていることに気が付いた。


「橘さんがいなかったら……きっと私は何もかも中途半端で、覚悟も決まらず…1人で挫けていたと思います。だから本当に、橘さんに出会えて良かったです」

「……出会えて良かったとか……前も聞いたって…それ……」

「何度でも言います。橘さんが自分のことを蔑みだしたら、何度だって言いますからね。……冷たい人間だなんて、思うわけないじゃないですか。私を助けて、八さんの仇をとって、想いを繋いでくれた人ですよ?」


私と八さんの心を救って下さって、本当に本当に、ありがとうございました…


そう泣き笑いながら言われた瞬間、シオンの頭に止まっていた赤い蝶が、薄っすらと消えて見えなくなった。


シオンを照らす日差しが眩しくて目を細める。

とうとう視界までおかしくなってきたかと息を吐いて、力が入らなくなってきた身体を前へと傾けた。


「ごめん…シオン」


ちょっと寝て良いか?


俺がそう呟いたのと同時に、上半身が倒れてシオンの膝へと崩れ落ちる。

連日命懸けのやり取りでまともに寝ていなかった身体が、安心と共に限界を迎えて理性すら吹っ飛ばしていた。


「……お疲れさまでした、橘さん」


遠退いていく意識の中で、最後にシオンの優しい声が聞こえた。



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