「谷さんごめん。今日僕が運転するけど、収集もやっていい?」
運転席からわざわざ下りてきた藤が、施設の外で待っていた谷さんに首を傾げて尋ねる。
カツラを奪って遊ぼうとする南を無事に仕事場まで送り届けて来たんだろう。
正しい位置へ戻そうと頭の上でカツラを回転させている谷さんが、途中で諦めて帽子のように剥ぎ取り藤の方へ向き直った。
「そりゃ構わねェが、何でまた」
「諸事情で左足挫いちゃって後ろ立ってらんなくてさ。仕方ないから運転する」
「ん?諸事情??」
「そう諸事情。ただ下流階級の収集はちゃんと今回もやりたいんだ。谷さん仕事なくて暇になるだろうけど……いい?」
可愛げのある口調で尋ねてはいるが、流れるように谷さんの手からカツラを奪い取って脅している。
返してくれと何度も手を伸ばす谷さんに向かってヒョイヒョイと躱しながら、南に遊ばれるだけなんだからいい加減これ捨てなよ、と諭していた。
「ねえ、いいだろ?」
「諸事情ってのはお前と橘がさっきから目合わせねェことに何か関係あんのか?」
「……!」
谷さんの察しの良さに驚く半面、余計なことに目ざとく気付くなよ…と表情を歪ませる。
気まずくなって2人から視線を逸らしていると、ふんっとワザとらしく俺を煽る藤の声が聞こえた。
「すっっっごく関係ある!もう僕は橘と口利かないって決めたから!谷さんも協力してね!」
「えー?なんだそりゃあ」
困ったように眉を歪ませて、谷さんが後頭部を掻きながら俺と藤を交互に見つめてくる。
身体ごと顔を背けて黙り込んでいると、はあっと大きく溜息をついた谷さんに、橘も藤も思春期かあ?と呆れた様子で笑われた。
「本当に仕事出来んのかあ?そんな状態で……」
「左足は平気だよ」
「いや2人の険悪さのこと言ってんだけどな俺は」
仲良くしろよー?家族だろー?と、ふざけた様子で軽く左肩を叩かれる。
家族だと言われた内容には一切触れず、早く仕事行きましょうと谷さんに返せば、困ったように眉尻を下げて収集車の後方へと移動してくれた。
谷さんへカツラを返した後、べーっと藤が舌を出して目を瞑り、俺に喧嘩を売ってから運転席へと戻っていく。
いつもなら喧嘩を売られれば軽く買っていたが、今回のことに関してだけは一切何も言い返さなかった。
どう考えても全面的に俺が悪い。
悪いとはわかっていても、藤へ全てを話してやろうとは思えない。
巻き込みたくない。けどシオンのことは助けてやりたい。
下流階級の現状を変えて、藤や南が安心して生きられる環境を作りたい。
八のような犠牲者が再び出る前に、奴らの所属してた組織を止めて、それから…
「守るもんがいっぱいあって、大変そうだなあ……橘は」
収集車が発進して、藤が完全に聞き取れないタイミングでしみじみと呟かれる。
俺のいる右方向は見ずに道路へ視線を向けたまま、南を愛でる時のような優しい表情で微笑まれた。
「いつでも手伝う準備は出来てるぞー」
「……。」
何も事情を知らないはずなのに、全て受け入れて俺の味方でいてくれようとする。
俺が5歳の時に初めて出会った時と、全く変わらない谷さんの表情と態度。
感謝の気持ちでいっぱいになる反面、未だ子ども扱いされてる悔しさも多少出てくる。
「…俺も今度からカツラ奪い取ります」
「何でだよ」
なんか気に障ること言ったか?!俺今良いこと言っただけだよな?!と、必死に頭を押さえて叫び出す。
朝から南と藤に奪い取られた所為で、ぐしゃぐしゃになっているそれは最早髪の毛に擬態出来ていなかった。
何でそこまで気に入ってるんですか?似合ってないですよ。と初めて自分の口からはっきりと否定して笑ってみせる。
話の流れを変えて誤魔化せるかと思ったのに、意外な言葉が返ってきて一瞬目を見開かされた。
「気に入ってる理由はなー、言いたくねェんだよなー……照れ臭くて」
「え…?」
「橘がシオンちゃんのこと気に入ってる理由言えないのと同じだな。詮索すんのは野暮ってやつだ」
あっはっは!と大声で笑い始める谷さんへ、意味わかんねェ…と顔を歪めて本音を隠さず口から零す。
連日少ししか眠れていないことも相俟って、変な谷さんの話に頭痛がした。
楽しそうに笑う谷さんを面倒臭くて無視していると、今日の主な収集場所…俺たちの住んでいるエリアからはそう遠く離れていない隣の下流階級エリアに到着する。
一般的にはヘドロ地区とも呼ばれている第5エリア。
下流階級の人間が住む中でも1・2を争うレベルの治安の悪さと街並みの汚さ。
俺たちが住んでいる第6エリアとは違う空気に、いつも通り門を潜った瞬間から谷さんの笑顔が消える。
ここの奴らは厄介だと心得ているからこそ、警戒した状態で眼光を鋭くして辺りを睨んでいた。
「本当に藤は収集やるつもりなのか…?ここの死体の多さ知らねェだろ」
「治安が悪いのは理解してるっぽいんで…たぶんどうなってんのかは予想ついてると思いますよ」
「ほんとかあ?心配だな」
「やるって言いだしたら聞かないんで」
「はあ……誰に似たんだかなあ、もう」
なあ、橘?とわざとらしく問いかけられて、ばつが悪くなり顏を谷さんから反対側へと背ける。
汚い景色を無理やり視界に入れて観察していると、言い表しようのない違和感を覚えた。
「なあ、谷さん。なんか……」
「んー?」
「……。いや、何でもない」
いつもと違う気がしたが…谷さんがそう思っていないのなら気のせいなんだろう。
何が変だと明確に表すことが出来ず、しばらく押し黙った後に気のせいだと判断した。
谷さんの危機察知能力はズバ抜けてる。谷さんが反応していないのなら問題はない。
連日命のやり取りをし過ぎた所為で、俺の神経が敏感になり過ぎてただけだろう。
スッと汚い空気を吸い込んで、神経を落ち着かせるようにハアッと息を吐き出す。
1か所目の仕事場に収集車が止まり、間髪入れずに車の鍵を持った藤が運転席から下りてくる。
はいじゃあ約束通り!と谷さんの胸ポケットに無理やり車の鍵を捻じ込み、ゴミ捨て場の方へ速足で進んでいく。
谷さんからまた止められる前に収集を始めようと思ったのか、死体処理用の薄いビニール手袋すら持たずに背を向けていた。
「おい手袋!準備くらいしてけよ!」
「ふん!」
「素手でやってみろ!手洗ったって数日腐敗臭取れねェからな!」
「藤!やっすいペラペラの奴でも無いよりはマシだ!な?付けて作業しろ!な?わかったか?」
「……わかったよ谷さん」
「俺は薬剤準備すっから、その間にこっちへゴミ袋運…」
「ふん!」
「お前な」
谷さんの言うことだけは素直に応じて、俺の言うことは悉く無視しようとしてくる。
ガキかよ、と内心呟きながら眉間に皺を寄せると、まあまあと宥めるように谷さんから肩を叩かれた。
言い返しても時間の無駄だと判断して、黙って薬剤を車から下ろす。
谷さんは車戻ってて下さいと声をかけたのと同時に、藤が再び背を向けてゴミ捨て場の方へと駆け出して行った。
困ったら声かけろよ、と複雑な表情で微笑んで、谷さんが運転席に入って行く。
わかりました…と素直に返事はしたものの、困っても助けを呼ぼうとは思えなかった。
下流階級のゴミ収集処理は、俺が黙々と作業を進めた方が早く終わる。
藤に腹の立つことをされようとも、自分が悪かったんだと我慢して飲み込んだ方が丸く収まる。
「ね、ねえ……橘」
睡眠不足で欠伸をしながら薬剤を手にした途端、先にゴミ捨て場へ向かっていたはずの藤が声をかけてくる。
あれだけ口を利かないと言っていたはずが縋るような声色に、すぐ違和感を覚えて振り返った。
俺の後ろで顔面蒼白になりながら、ゴミ捨て場を指差して困惑気味に震えている。
「なんか…なんか…」
ここ、様子がおかしい。
そう冷や汗を流しながら藤が呟いた瞬間、薬剤のタンクを手放してゴミ捨て場の方へと駆け出していた。