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1-3【液状になるのは嫌だ】

 内核部と外殻部の相対速度は、秒速で十キロメートルほど違う。

 つまり、その間を移動するための乗り物は、一秒あたり十キロの距離を駆け抜けられないといけない。

 そこで、かつてこの巨大な円環型宇宙ステーションを建設した旧人類は何を血迷ったのか、一秒で秒速十キロメートルまで超加速する小型シャトルを作成したのだという。

 それだけの加速度を身に受ければ、当然、脆い人体など弾けてぐちゃぐちゃになる。液状になる、というのは、つまりそういう意味だ。

 アデルに案内されて辿り着いたシャトル内部、軌道エレベーターのものに似た操作パネルといくつかの椅子が並ぶ狭い空間で、エレンは過去の超文明を呪っていた。

「もっと……こう、ゆっくり加速したらいいんじゃねえのかな。百秒、いや千秒くらいかければ」

「防衛システムも兼ねている、かも。権限がない者が密航しようとしても、死ぬ」

「死にたくねえ……」

 エレンの体には、ベルトのような形状をした機械が額、胸元、腰と背中、腕、足首と様々な位置に装着されている。

 人間用のリィングラビティ、だという。あの、レイヴンが空を飛ぶための翼状の装置と同じもの。

「完了した。これで出航可能」

「本当か? 俺、流石にちょっと液体にはなりたくねえんだけど……っていうか、アデルは立ったままでいいのか?」

「問題ない。自前のリィングラビティがある、から」

 アデルは広げた双翼を軽く上下させた。

命令コマンド。目的地設定」

『第三種権限を確認、受領しました。目的地設定を受け付けます』

 アデルが操作パネルに声を掛けると、よくある機械音声がそれに応じる。浮かび上がったホロディスプレイをぴろぴろと操作してしばらく、

『目的地、設定完了しました。これより離陸に移ります。搭乗者の方は、反重力機構がきちんと装着されているか、今一度確認をお願いします』

「大丈夫なんだよな? 俺、液体にならないよな? ほ、本当に平気なんだよな??」

「問題ない」

 シャトルに窓はない。内核部と外殻部の間はただ数キロの空隙でしかなく、外の様子を見る必要がないためだという。なにせ、全自動操縦だ。

 ナノマシン製だろう、やけに重苦しい灰色の壁に囲まれた狭い空間は、まるで棺桶のようだった。

「な、なあ……やっぱ、もう一回確認しないか? なんか、腰のとこのベルトが緩い気がするんだが……」

「重ねて、問題ない。強く締めればいい、という仕組みではない」

「でも、ミスってたら液状なんだろ!? キャラバンにいたとき、トリプルチェックしろってよく言われたし!」

「あまりに過剰な確認は、むしろ前に気付くはずだろう、あるいは後から気付くはずだろう、という気の緩みを誘発し、ささいなケアレスミスに繋がる」

 エレンにも覚えのある話だった。

 が、命が懸かっているときに、『じゃあやめておくか』なんてさらっと言えるほどエレンの肝は太くない。

「じゃあせめてもう一回! 足のやつも、左右で感触が違う気がするし!」

「不要。エレンは一たす一を間違うことがあるのか、と質問する。自分の計算処理能力であれば、ケアレスミスが発生することはない。それに――」

 アデルがエレンの手を握った。それと同時に、操作パネルのうちで一番目立つランプがぴかりと点灯した。

「もう、離陸する」

「っ、ちょ、待、え、液状になるのは――――!!」

 もはや声にならないエレンの絶叫までもを秒速十キロメートルまで加速させ、シャトルはRaSS内核部――天人が、アンが、【γ】がいるはずの終着点へ向かって飛び立った。


 幸い、数分経って内核部の埠頭なるシャトルの発着場に辿り着いてなお、エレンは固体のままだった。

「い、生きてる……」

 のっぺりとした黒の硬い床を足が踏みしめる感触に、エレンはこれ以上ないまでに感動していた。外殻部ではアデル曰く地上の六割しかなかったらしい重力が、ここにはしっかりと十割存在している、というのもあった。

「……もう少し、自分の機能を信用してくれていい、かも」

「ぅ」

 不満げなアデルの口ぶりに、エレンは返す言葉がない。

 アデルは兵器でも道具でもなく、一人のアデルとして進むことを決めてくれた。けれどそれは、彼女が持つ数々の機能に対する誇りを喪失した、という意味ではない。

 つまり、そのアデルが安全を保障したにも関わらずエレンが怯えるというのは、彼女に対して非常に失礼な態度であった。

「……悪かった。ちょっとビビっちまった」

「大丈夫だ、と言ったのにか」

「ごめんって。ほら、機嫌直してくれよ、な?」

 ぽんぽん、と自分よりもいくらか低い位置にあるアデルの頭を撫でると、「むぅ」と小さな唸り声が返ってきた。

 RaSSに辿り着いて以降――といってもまだ数時間しか経っていないが、その短い間のなかで、エレンはアデルの変化をひとつ感じ取っていた。

 どうも、スキンシップを好むようになっているらしい。

 やけに手を握ってくるし、こうして頭を触ってみても嫌がる様子がない。どころか、いつもより上機嫌に見える。

 しかし、考えてみればアデルの年齢は一歳なわけで――そこを差し引いても、精神年齢は見た目相応の十代半ば程度であると窺えるわけで、人間であればまだ親に甘えているような齢だろう。そういう人間的な本能がここに来て萌芽したのかな、とエレンは捉えておいた。

「とにかく……ええと、どっちに行ったらいいんだ……?」

 埠頭区画、とシャトル内の機械音声に説明されたそこは、何台かの――非常に乗り物らしくないフォルムである――綺麗な円筒形をしたシャトルが整然と並んでいるばかりで、あとは壁、壁、壁、壁、床、天井、いくつかの配管、ランプ、エーテル補充のパネル、以上。どこかに行けそうな構造には見えない。ついでに言えば、どこもかしこも無駄に真っ白なのでアルカを思い出して気分が悪くなってくる。

 アデルが向かったのは、そのうち唯一灰色をした壁だった。

「こっち……命令コマンド。この先の【区画スクエア】の情報を要求する」

『命令を認証。この先は一般天人の居住区画です。大気圧は正常、有害物質の検出もありません』

「開門を要請する」

『要請を認証』

 ゴゴゴゴ、と唸るような低い音がして、灰色の壁に亀裂が走った。壁ではなく、シャッターのようなものだったらしい。

 エレンは「おお」と感嘆した。長らく住処にしていた旧都市遺跡には時折生き残っている設備があったけれど、それとは比にならない規模だ。というのも、壁はただ開くのではなく、無数のパーツに分解されてパズルのように折り畳まれていったのだ。

 そして、その先に広がっていたのは。

「……えっと、また壁?」

 また、灰色の壁だった。ほんの二メートル程度奥に、がっしりと聳え立っている。

 アデルは迷いなく、その目の前まで歩みを進めた。振り向き、エレンにも着いてくるよう促す。

 素直に従うと、また機械音声。

『スキャンを実施……完了、問題ありません。開門します』

「か、壁が!?」

 音声の内容とは裏腹に、通り抜けたばかりの壁がまたゴゴゴゴと唸って、今度は展開されていく。ものの数秒で、それは元通りの堅牢な壁になった。

 すわ閉じ込められたか、と焦りかけたエレンは、しかし隣のアデルが少しも動揺していないことにようやく気が付いた。ただ、何かを待っているだけ。

(なら、大丈夫か)

 さっきのやり取りを思い出し、エレンは落ち着きを取り戻した。なぜなら、エレンは誰よりもアデルを信用しているし、信頼している。

 ほどなくして、今度は前方の壁が展開されていった。どうやら、片方を閉じてから片方を開く仕組みらしい。

「――RaSSは、区画スクエアと呼称される無数の正方形モジュールの連結によって構成されている」

 エレンの疑問を汲み取ったように、アデルが説明を始めた。

「しかし、先のとおり大部分が未完成であるため、真空であるなど人の生存に適さない区画も数多い。この二重隔壁は、気密性や安全性を保つためのもの」

「なるほど……」

 万が一この先が真空だとしても、背後の埠頭区画まで真空になることを防げる、ということだ。その場合エレンは死ぬが、そういえばアデルがちゃんと安全な場所であることを機械音声に確認していた。

 壁が開ききる。


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