「ストップ、アデル!」
反射だった。
アデルがあの、
でも、この個体は、壊したら――殺したら、いけない気がする。
アデルは拳を握り締めたままで立ち止まった。接近してきたロボットのスパークをエレンは後方にステップを踏むことで避け、どうにかワイヤーガンで動きだけを止められないかと思案する。
が。
うぃぃぃいいいん、と駆動音を立て、行動不能に陥っていたロボットたちが再び立ち上がる。閃光のダメージから復活したらしい。
「っ、こっち!」
エレンはアデルの腕をひっ掴んで、十字に交差する横の通路へと飛び込む。しかし、そちらからも同じロボットの群れが接近してきていた。
挟み撃ちになる。
閃光弾の予備は残り二発。それだけでここを脱することができるか、できたとて増援が来たらどうするのか、とエレンは歯噛みする。
せめて地形でも利用できないか、と左右を見回しても、ただひたすらに真っ直ぐな通路が続いているだけだ。等間隔で配置されている扉を開けないものかと試してみはしたものの、当然と言うべきかしっかりロックが掛かっている。
どうするべきか。
ばちばち、と一瞬で意識を刈り取る電撃を放つケーブルがエレンのほうへ向けられる。あれを喰らったら一体どうなるのか、少なくともお客様として丁寧にもてなされる――ということにはならないだろう。エレンは流民で、侵入者だ。
先の戦闘で、かなり体力を削られている。背後にもたれながら、エレンは戦うための気力を湧かせようとする。
ぐ、と銃を握る手に力をこめた、そのタイミングで。
ふっと、体重を預けていた壁が、消えた。
「うわあっ!?」
「エレン!」
情けない悲鳴とともに、エレンは後方へとひっくり返る。
慌てて伸ばされたアデルの手は辛うじてエレンの手先を握ったが、その勢いを止めることはできず、むしろ、巻き込まれる形で一緒に消失した壁のほうへと転がり込んだ。
いや、壁ではない。ロックが掛かっていたはずの、スライド式の扉。それが急に開いたのだ。
ロボットたちも殺到してきたが、どうやら入ってくる気はないらしい。ゆっくり閉じていく扉を止めようともせず、すぐにその姿は見えなくなった。
「いでで……助かった、のか?」
「おー。喋った。へえ、本当に人だ」
後ろから、声が掛けられる。
エレンは弾かれたように立ち上がり、素早く銃を持ち上げる。体に染みついた警戒態勢。アデルの方も、油断なくリィングラビティを広げている。
相手はのろのろと両腕を上げた。
「わあ、待った待った。ほら、同胞だよ、どーほー、ね。【はじまりの声】さまの元にてみな同胞」
「……同胞?」
「まあ、ぼくはお役目も名前もない、ただの一般天人だけどね。きみたちは、あれだろ。ほら、“ネームド”」
少年、だと思う。
ただ、はっきりと確信が持てなかった。
というのも、彼はやけに手足が細くて、全身の色素が薄かったからだ。黒髪と黒瞳のほかはやけに青白くって、まるで病人のようだ。まだ声変わり前の高い声音も相まって、少し見た目を整えれば少女と言っても違和感がないだろう。部屋と同じ、真っ白で薄手のガウンのようなものを着ていた。
ひょろりとした細腕を上げていた少年は、「もういいかい」と言うなりそれを下ろしてしまった。
つられて、エレンも銃を下ろす。たとえ目の前の彼がこちらに敵意を持っていたとして、簡単に組み伏せられそうだった。
しかし、アデルのほうは警戒を解かないままで、ずいっとエレンを守るように前へ進み出てきた。開きっぱなしの竜翼が腕を撫でていく。
「質問する。扉を開け、エレンを招き入れたのは、あなた?」
「エレン? ……ああ、彼の。ほら、やっぱりネームドだ」
「質問に答えて」
「そうだよ、ぼくがやった。外に不審人物アリって警告が出てたからさあ、気になっちゃってね」
「何のために?」
少年は困ったように眉根を寄せる。
「理由……ううん。気になっちゃって、ってだけだよ」
ほら、と部屋の中を示す。
そこは正方形をしていて、広くも狭くもない。床も壁も真っ白で、天井全体が仄かに発光することによって明るさが担保されている。
調度、と言えそうなものは、都市遺跡で見かけたことのあるものより綺麗なジェルベッドと、小さな机と、その上に投影型端末と、四角形をした籠と、椅子。随分と殺風景だ。
少年は椅子に座ってにっこり笑う。
「そりゃ、ライブラリは一生かかっても見切れないほどあるし、基礎教育プログラムだってまだ山ほど残っているけどね。毎日おんなじだから、おんなじじゃないきみたちが気になっちゃったんだ。本当に、それだけだよ」
「……敵対の意志はない?」
「まさか!」
心底驚いたように、少年は目をまん丸にした。
「むしろ逆、逆だよ。あの見張り番くんたちにきみたちが連れていかれたら、今日もまた昨日とおんなじ日だ。もったいない」
言っている内容に理解できないところはあっても、嘘を吐いている様子はない。
同胞、というのがどういう枠組みかは分からないけれど、味方だと思いこんでいるのであれば、それに乗じるのがよさそうだ。
「アデル。大丈夫だ、それもしまっていい」
「……エレンが言うなら」
頷き、アデルはシャトルからずっと展開しっぱなしだったリィングラビティを背中に収納した。
「あー、俺はエレン。こっちは連れのアデル。まずは、あのロボットたちから匿ってくれてありがとうな。助かった」
「……自分も、感謝を表明する」
「うん、どういたしまして」
「それで、そっちの名前は?」
エレンのなんでもない問いに、少年は首を傾げた。
「だから、ぼくはネームドじゃないんだってば。名前はないよ」
「……ない?」
「うん。だって、名前っていうのは、【声】さまにお役目を貰った人だけのものだろう? ぼくにはお役目なんてないもの。ただの、三百七十番の百五十六号だよ」
「さ……三百……?」
いきなり羅列された数字二つにエレンが目を白黒させていると、「あ」と少年は微笑む。
「百五十六なんて、おっきい数字だと思っただろ。実はぼく、気管支が弱い遺伝子らしくって。だから、あんまり長持ちしないんだよねえ」
「……そ、そうなのか。そりゃ大変だな、ええと」
「三百七十の、百五十六」
「…………」
初めてアデルと会話したときのことを思い出した。
しかし、アデルはあくまでレイヴンで、レイヴンというのは(表面上は)兵器であるのだから、彼女が【α-delta】という名乗りをあげたことにも驚くというほどのことはなかった。ただ、呼びにくいな、というくらいで。
しかし、目の前の少年は、はっきり天人、つまり人間であると名乗ったのだ。
「天人は……一部以外、名前がない?」
「? うん。そりゃそうだ」
「そうか。……長くて呼びにくそうだな」
「呼びにくい? ふうん、やっぱり会話用AIと人って違うんだなあ」
少年はまた首を傾げて、面白そうにエレンをじろりと眺めまわした。
ちょいちょい、エレンは隣のアデルの脇腹を肘でつつく。
小声で、
「なあ。天人の文化ってのはどうなってんだ? 都市遺跡の荒くれにだって名前はあるぜ」
「不明……自分達、レイヴンの指揮を執っていた天人には名前があった。が、指揮という役目があったことを考えると、彼の言う【ネームド】なのだろう」
「そりゃまたけったいな……つうか、アデルも知らなかったんだな」
「肯定する。レイヴンのデータベースもあくまで地上で活動する上でのものであり、RaSSについての記載はあっても天人についての情報はほとんどない。必要ない、から」
「なるほど……」
内緒話終了。
しかし、エレンは少年へといったい何を言えばいいのかを考えあぐねていた。
なにしろ、初めて邂逅した天人である。地上では神様だとか悪魔だとか実体がない精神体だとか頭が四つに口が七つあって火を吹くだとか、そういうふうに好き勝手言われていた相手なのだ。
どうやら実体のある人間で、顔も口も一つずつしかないようだけれど、敵として扱うべきか味方とみなすべきかも分からない。アンを攫った連中のうちの一人だけれど、今、自分達を助けてくれたというのも本当だ。