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3-4【戦う場所】

「天に連れてこられたのは……その、生き残ったのは二人だけなのか?」

「いや。僕とガロさんに、あとはホレスとユーノとガイアさんも連れてこられて……でも、今はもう……僕ら、二人だけです」

 ウェンズの目の奥に、沈痛な色が宿る。

 よく見れば、二人ともエレンが知る姿よりずっと肉が落ち、顔色は土のように生気がない。数日数週間での変化ではないだろう。

 エレンが続く言葉を躊躇っていると、ガロウが沈痛な雰囲気を吹き飛ばすかのように「ハ、ハ」と笑った。

「しかし、あの小僧がよくここまで育ったものだ! 何年ぶりだ、ええ?」

「ええと……俺がアルカに落ち着くまでだから、三年ちょっととかじゃないか」

「三年! それっぽっちで、男らしくなったではないか。ハ、ハ」

 そのまま、わしわしと乱暴に頭を撫でられる。その感触さえもが懐かしい。

「息災そうでなによりだ。だが、レイヴンを捕まえると豪語していた貴様がレイヴンに捕まるとは! 焼きが回ったものだな」

「いや……」

 少し考え、声をひそめる。ガロウの凶悪な人相を警戒してか、周囲の流民は距離を置いていた。

「……俺は、レイヴンに連れてこられたわけじゃなくってさ。ほら」

 ベッドからそっと引っ張り出したのは、光子銃にワイヤーガンに予備バッテリーに食料にロープに……他にも数々の装備が詰まっている大きな鞄である。

 二人が目を見開いた。

「持ち込んだんですか? どうやって。最初に身ぐるみはがされたのに」

「だから、連れてこられたんじゃないんだ。俺の意志で来たんだよ。ええっと――」

 ここに来るまでの流れをざっと話す。

 つまり、軌道エレベーターで上ってきたことと、協力者がいるということの二点だ。ただし、協力者が――アデルがレイヴン、というところは伏せた。あくまで天の知識が豊富な女性である、というところだけ伝えておく。

 しかしどうしてか、二人の――特にガロウの反応が鈍い。

 嘘を吐いていると思われたか、はたまた協力者がレイヴンなことを察されたか、と内心ヒヤヒヤしていると。

「……エレンが、女性と、協力を?」

 重々しい口調のガロウ。

「なんだ……口を開けば妹妹、ララあたりがアピールをかけても気にせぬどころか気づかぬくらいに鈍感だった、貴様に、女性が……協力? ああ……しばらく都市遺跡にいたのだったか? あそこは有毒ガスが溜まりやすかったな……それで目、いや頭が……」

「幻覚じゃねえよ」

 失礼すぎる。

「しかし、財産目当ての詐欺にかかるほどの甲斐性もあるまい」

「ガロさん、もしかして俺のこと嫌い?」

 まさか、とガロウは肩をすくめて拳を掲げる。エレンくらい二発もあればのしてしまえそうな拳だ。

「幻覚や詐欺に侵されていれば殴り起こすくらいには気に入っている」

「やっぱ嫌いだろ?」

「いや。……ただ、死んだと思っていた。少なくとも、二度と会うことはなかろうと。それは摂理ではあるが……」

 ウェンズも軽く頷いた。

「アルカに行商してみれば、なんでも追放されたという話でしたから。まあ生きてはないだろう、と」

「うむ。どのような形であれど再会は喜ばしい! 祝して乾杯、とはいかぬのが残念でならんな」

「……祝杯」

 それを聞いて、エレンは先ほどの装備から銀色のパッケージをみっつ取り出した。

 端を切れば蛍光色が覗くそれは、甘ったるい完全栄養ゼリー。地上から持ち込んだ貴重な食料の一部だが、今は使い時だろうと思った。

 周りに見られないよう、こっそりと三人の体で隠しつつ。

「よければ、これで乾杯しようぜ」

「いいんですか? 予定通りなら、ここを脱出する手はずなんでしょう。装備はいくらあったって困らないはずですが」

「もう開けちまったからな。食わないと」

「……相変わらず行き当たりばったりですね」

「それでよく生き延びたものだ。余程協力者の腕が良いと見える」

 散々な言いようだったが、二人とも嬉しそうにゼリーのパックを受け取った。灰色のここにおける娯楽の少なさときたら、あの地上が楽園に思えるほどである。

 乾杯、の合図に本来続くはずの容器の衝突音はなかったものの、各々はわざとらしくべったりと甘い中身を啜って顔をほころばせる。

「まさかコレを美味しく感じる日が来るとはな……」

 数日の味ナシペースト生活で鈍った舌に、むしろ強烈な甘味の刺激が沁みる。

 食事を終えて、エレンは「さて」と空パックを回収し荷物に詰め直した。

 にやりと笑い。

「――『価値には価値を』、だったよな?」

 キャラバンのキャッチコピー、あるいはアイデンティティ、あるいは理念を持ち出すと、二人は虚を突かれたような顔になる。

「……まさか、都市遺跡をちょっと探せばいくらでも出てくる二束三文の保存食に支払いを求めるんですか?」

「おいおい、場所が変われば価値も変わるなんざ経済のキホンだろ。天じゃあ探しても見つからない貴重品なんだから、それなりのモノ引き換えてくれなきゃ困るぜ」

「ふむ」

 ガロウがまた拳を掲げる。

「踏み倒す、という選択肢をおれが取らぬとでも? 二対一だぞ」

 巨大な体躯をした彼の握りこぶしは、長い天暮らしで弱った今でさえエレンの頭をくらい潰せそうなくらいの力に満ち満ちている、が。

「取らないだろ」

 暴という概念を固めたようなそれを、鼻で笑う。

 なんといっても、彼らはキャラバンのメンバーなのだ。文明と共に死んだ経済の亡霊に取り憑かれた変人どもなのだ。力で脅すなんてつまらない真似をするはずがない。

 予想通り、拳はすっと下ろされた。

「かといって、こちらは身一つです。支払えるものなどありませんが」

「おいおい、俺の目的は知ってるだろ? 攫われた妹を助けにいくんだ。何が待ってるかも分かんねえ。キャラバン一の頭脳とキャラバン一の喧嘩強さ、どっちも役に立つはずだ」

 実際、味方が欲しいのは事実だ。二人では行動に限界がある。

 けれど、見知らぬ流民に助けてもらう、というのは難しい。

 仮にここからの脱出を対価としてちらつかせたとしても、ここにいる人たちは逃げたがっているのだ。エレンの目的が地上への帰還ではない以上、どこかで不和が生じることは間違いない。背中を預けられる相手というのは限られている。

 けれど、エレンは二年もの時をキャラバンで過ごした。それに、彼らが重要視する商売というやつは、つまり物と物の交換による契約で、契約というのは約束のことだ。一度取り決めさえすれば、彼らが裏切ることはない。

 そういう点で、エレンは彼らにシンパシーを感じている。

「ほう……二人も雇うか」

 ガロウは愉快そうに目を細める。

「甲斐性なし、というのは訂正だな。とんだ富豪だ」

「そいつはどーも。で、返事は」

「おれは構わん。おれにできるのは殴ることだけだが、それが役に立つというならば引き受けようとも。ウェンズはどうする」

「いや、どうも何も、ゼリー食べちゃいましたからね。借金は嫌いです」

 二人からの了承に、エレンは顔をほころばせる。

 それは三年前と変わらぬ二人の態度のためでもあるし、心強さのためでもあるし、他にも理由がある気がした。

 ガロウとウェンズも笑う。

「……とと」

 と、ウェンズが足の力を失ったようによろける。

「すみません、ちょっと【労役】疲れみたいです」

「ああ、長々と悪いな。あと四日以内に迎えが来るはずだから、そのときは頼むぜ」

「はい。それでは、おやすみなさい」

 ウェンズが自分のベッドに去っていったが、ガロウはそのままエレンを見下ろし何が面白いのかにやにや笑っている、

「……なんだよ」

「いや。貴様、随分と良い顔をするようになった」

「顔?」

 三年でそこまで変わるものか、と頬をつまむ。

 ガロウはかぶりを振った。

「顔つきの話だ。夢見がちな少年ではない、男の顔になったな。すなわち、戦士の顔だ」

「……そんなことねえよ」

 目を伏せる。

 鮮血が頭の片隅にちらつく。

「今日の【労役】で一緒だったやつが、暴れる機械に潰されて死んだ……俺は、逃げてるだけだった。三年前のまんま、弱いまんまだ」

「しかし貴様は立っているし、目的を達するためにおれとウェンズを謀りもした」

 ガロウが服の裾をめくる。そこにざっくりと刻まれた傷をエレンは昔にも見せてもらったことがあって、曰く『名誉の傷』なのだという。

「肉体、誇り、精神、仲間――どれが傷つこうとも、どれだけを失おうとも、熾きた火を絶やさぬかぎりそこは戦場であり、戦場に身を置くのは戦士だ。一人前の男だ」

 服からぱっと手を離す。

 エレンは自分よりはるかに高い位置にある凶悪な人相を見上げて曖昧に笑った。

「ガロさんに言われると身に余る」

「ハ、ハ。おれは殴ることしかできぬが、案外ここでは殴るものに事足りぬ。むしろウェンズのことだな」

「何がだ?」

「彼奴の火はおれのものより複雑だ。思考と推測が彼奴の本懐だが、あれはあくまで確率を上げるものであって、いくら変異生物モンスターを避けようともはぐれ都市犬ブラックドック一匹分の不運で終わる。だからこそ不利を補えるキャラバンは、彼奴にとってこの上ない戦場であった」

 しかし、キャラバンはレイヴンの手によって壊滅した。

「考えてもみろ、貴様ごときの目論見にウェンズが気づかぬはずがない」

「……乗っかった、ってことか?」

「どうだろうな。しかし、天などという未知の場所で尋ね人を求むるならば、必ずウェンズの先読みは役に立つ。彼奴は戦うことができる。戦士は戦場に身を置かねば戦士ではない」

 ハ、ハ、と笑って。

「まあ、おれも囚われて気の立った流民どもを殴って黙らせるのには飽きてきたところだ。天人をブン殴れるというのなら、ウム、申し分ない戦場だとも」

「……それならよかった」

 エレンは先ほどの喜びの正体を掴む。

 ここまでずっと、失うばかりだった。別れるばかりだった。手を繋いだままでいられたのはアデルくらいのもので、その彼女とも現状離れた場所にいる。連絡を取る手段はない。

 だから心細かったし、そんな中での旧友との再会は素直に嬉しい。

 そういうことだった。

「頼りにしてるぜ、用心棒。……まあ、アデル――協力してくれてる女性ヒトのがもっと強いけど」

「何? そ、それは本当か?」

砂呑蛇アンフィスを殴り飛ばしてた」

 飛ばしてた、は消し飛ばしてた、の略である。

「それは……是が非でも決闘タイマンを申し込まねばならんな!」

「やめてくれ」

 レイヴンであるアデルを二人が受け入れてくれるかの心配はあるが、当人を見ればなんとかなるだろう。

 数日後の再会を思い、胸の内に広がっていた焦燥感がいくらか引いていった。


 ――けれど。

 それから一週間が経っても、アデルが迎えに来ることはなかった。

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