谷坂綾斗と伏見姉妹がリムジンに揺られて早十分。
車内ではリムジンの内装に心躍らせながら写真を撮りまくる綾斗とそれを見て我慢できず大笑いしているライトグレーの髪を肩まで伸ばした伏見の三女――秋蘭によってとても賑やかになっていた。その中でもライトグレーの髪を腰の辺りまで伸ばした五女――新葉は「やかましい」と言わんばかりに不機嫌そうな顔をして窓から外を眺めていた。
そんな五女を気に掛けるライトグレーの短髪の長女――春菜と考え事をしているのか顎に手を当てて蹲っているライトグレーのポニーテールが特徴的な次女――夏目。そして、明後日の方向を無表情で永遠と見つめている冬香という混沌とした車内はそれでも成立していた。
綾斗は車内から見える景色にどこに向かっているのか薄々勘付いてきたのか大きく溜息をつく。窓の外にはいつしか家屋の姿がなくなり、代わりに木々が溢れる自然とその隙間から見えるどこまでも続く苔色の海が目に入った。
到着したのは常盤市にある大規模な港区だった。そこにはすでに綾斗たちが乗船するのであろう船がすでに停泊しているのか、伏見姉妹は港に着くやせっせと下車していく。一人車内でぼうっとしていた綾斗は冬香に促されるまま下車し、ほぼ無理矢理乗船させられた。
そう。今から始まるのは綾斗と五つ子の親睦を深めるための海水浴。ではなく、伏見家が所有するクルーザーで仲良く楽しい船旅でもない。列記としたタロット戦争をしに行くのだ。
船の大きさは海水浴でよく使われているゴムボートしか乗ったことがない綾斗にとって、自宅とほとんど変わらなかった。
「この船、まるで家みたいだな」
左腕を三角巾で吊るした綾斗が豪華客船とは言わないものの、クルーザーという庶民には道の乗り物に呆気に取られていた。
その背後で一際憤怒の炎を燃やしている少女がいた。
「馬鹿なこと言ってないで早く中に入りなさいよ!」
いつにも増して不機嫌な新葉は綾斗を後ろから怒鳴りつけ半強制的に少年をクルーザーの船室に入室させる。いや、押し込む。
綾斗は新葉の機嫌を損ねてしまったことに申し訳なさを感じ、少女の背中を押す手に抵抗することなく船室に入った。瞬間、綾斗はまるで目玉が飛び出すんじゃないかと思うくらいに目を見開いていた。
船室内には壁と一体化している巨大なソファーと大型液晶テレビがあり、冷蔵庫も備えられている。船特有の丸い形をした窓からは海がちらつき、窓の枠は金色でどこかの家の家門のような模倣が装飾されているせいで目線に困る。ちなみに船室の広さは魔法によって倍以上に広げられているため一般家庭のリビングよりも遥かに広い。そのため綾斗はソファーとテレビと冷蔵庫にも驚いたが、一番驚いたのはその船室の広さだった。
そんな綾斗の新鮮な反応に秋蘭はひまわりのような満面の笑みを浮かべて手を引き、ソファーに座らせて落ち着かせる。すでに他の姉妹たちはソファーに座り、大型液晶テレビに視線を向けている。
「映画でも見るのか?」
「違いますよ。今からこのテレビでお父さんとビデオ通話するんです」
「え、そんなことまで出来るのか⁉ ここ本当は家なんじゃないのか。ほら、車輪つけた船みたいな。泳ぐ家的な」
「車輪がついた船って……それは多分車で運ばれてる時だけだと思いますけど」
秋蘭はクスクスと笑いながら机の上に置いてあるリモコンに手を伸ばす。おそらく、そのリモコンによってテレビを選局したり、テレビ通話をしたりできるのだろう。
しかし、秋蘭の手がリモコンを掴むことはなかった。不意に横から伸びた姉妹の誰かの手によってリモコンは奪われてしまった。
綾斗と秋蘭がその手を追うとそこには眉間に皺を寄せた長髪の姉妹がいた。もちろん秋蘭にはその長髪の姉妹が五女の新葉だと分かっている。だが、隣に座る綾斗からすれば「誰だ。こんな感じ悪いことをする姉妹は」と心の中で思うだけで本当に誰だか分かっていなかった。
「どうしたの、新葉?」
秋蘭がきょとんとした表情を浮かべながら問う。そのおかげで綾斗はリモコンを取ったのが新葉だと分かった。
――最近ようやく見分けがつくようになったのは冬香くらいだからな。今だって俺のために新葉に問い掛けてくれている。
と心の中で歓喜している綾斗だが、船内に入ってからずっと話しているのは秋蘭であって冬香ではない。つまるところ綾斗は秋蘭を冬香だと勘違いしているのだ。そして、それはすぐに新葉によって気付かされることになる。
「そこの馬鹿のせいでパパを待たせちゃ悪いからよ、秋蘭」
綾斗は目が点になる。
新葉に暴言を吐かれたからではない。むしろ普段から言われ慣れているせいで、太陽のタロット『サン』を封印した時のようにお礼を言われる方が心配になってしまう。
「ごめんなさい。私がいっぱい話しちゃったからですね」
秋蘭が申し訳なさそうに言うと、新葉はフンッとテレビ画面に向き直りリモコンを操作する。
テレビが起動してすぐに伏見康臣が映し出される。書斎にいるのか見慣れた椅子と本棚が背景に見える。
『やあやあ諸君。さっきぶりだね。冬香くんと綾斗くんには急な用件で駆り出させてしまって申し訳ないと思っている』
「いえ。おかげで友達と連絡先を交換できたんで、お気になさらず」
綾斗は本当に嬉しそうにズボンのポケットからスマートフォンを取り出し、電話帳に登録された龍鬼の連絡先を見せる。
「私も特に大丈夫」
綾斗と二つ隣に座っている紫色のヘッドホンを掛けた姉妹が覇気のない声で言う。
――そこにいたのか、冬香!
ちなみに座席順は右から春菜、冬香、夏目、綾斗、秋蘭、新葉である。
『今回集まってもらったのは他でもないタロット戦争の件についてだ。今君達が向かっている島に新たなタロットカードの反応が出た。それも半月前に。そう。丁度冬香くんと新葉くん、そして綾斗くんがタロットカードと対峙した日だ』
「だからあの時町にいなかったんですね」
『いや、それは別件でね』
テレビ画面が康臣からタロットが潜んでいるのであろう島を真上から撮影した衛星写真に切り替わる。
『この島から反応が出たというだけで島のどこにタロットカードがあるのか分かっていない。この写真は一時間前に撮影されたものなのだが、とてもタロットの魔獣が潜んでいるようには見えない。とても穏やかな自然に満ち溢れた島だ。このことについてタロットたちに意見をもらいたいのだが、いいかな?』
康臣の問い掛けに応えるように綾斗と新葉の懐から一枚ずつタロットカードが飛び出し、机の上を浮遊する。
『んー実際見な分らんけど。この島自体がタロットっちゅう場合もあるな。もしそうなら強いて挙げるなら皇帝・エンペラーか世界・ワールドやな。まあでもワールドは争い事を好まん奴やから多分最後まで出て来んわ。となるとエンペラーの可能性が高いな。前提として島そのものがタロットの場合の話やけどな』
太陽・サンは青年の声で流暢な関西弁を話す。そして、特に何も話そうとしない塔・タワー。
「全部言われた感凄いな」
綾斗が茶化すように言うと、
『うるさい、この阿呆。まだ左腕治ってないし!』
とタワーはまるで子どもが怒ったように綾斗に暴言を吐く。
「そんな、俺にあたるなよ。仕方ないだろ。やっと骨がくっついたんだから」
タワーはそれを聞いて一層機嫌が悪くなったのかどこについているのか舌打ちをしてサンに問う。
『そっちはまだ真名解放できないの?』
「あ、忘れとった」
憤怒を露わにしているタワーとは対照的にケタケタと笑い始めるサン。そうして何事もなかったかのように二枚は主の下へ戻っていった。
『なるほど。しかし、この島は以前から日本に存在している。この島そのものがタロットの魔獣という線は少ないだろうが、警戒は怠らないように』
康臣の言葉に一同返答する。
すると島が近付いてきたのか船内に甲高い音が鳴り響く。
『そろそろか。皆、これだけは約束してくれ。無事に帰ってくるように』
康臣が言うとテレビ通話が終了した。
綾斗は軽く溜息をつく。スマートフォンでビデオ通話をしたことはあるが、テレビで通話するとなるとなぜだか緊張してしまう。康臣が相手となると割増しで緊張する。五つ子達も同様なのかはたまた全員同じ顔だからか、そう見えてしまうだけかもしれないが、いささか表情が硬くなっているように見える。
次の瞬間、妙な気配がした。
胸の奥底がざわつく。
全身の産毛が逆立つ。
『綾斗!』
綾斗はタワーに促されるままに塔のタロットカードを解放する。
次の瞬間、閃光が辺りの海面をクルーザーを襲った。