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第55話

 背中を岩で強打したのか目が覚めてから不規則的に鈍痛がする。それでも背負っている姉の豊満な二つの脂肪のおかげで痛みは和らいでいる。


――世の男子高校生よ。これが伏見夏目の包容力だ。


 岩場に打ち上げられた三女――秋蘭はそんなことを思いながら、同じく岩場に打ち上げられ気絶したままの夏目を背負って現状把握に思考を巡らせていた。


 まずは島のどの辺りに打ち上げられたかだ。丁度、目の前には灯台のようにそびえ立つ大きな丘がある。それを登り切れば、今いる位置から海辺をかなりの距離まで見渡すことができるだろう。幸いして、秋蘭の得意分野は身体を動かすことである。さらに得意とする魔法は身体強化だ。そう。丘を登ることなんて秋蘭からすれば朝飯前だ。


「――『身体能力強化フィジカルブースト』――」


 一呼吸おいて秋蘭はその場で大きく跳躍する。まるで電車にでも乗っているかのように丘の岩壁が視界の端から端へ過ぎ去っていく。上昇する勢いが凄まじく、風で髪がなびく。後ろで気絶している夏目の髪ですら視界の端に捉えられるほどだ。少々勢いを付け過ぎたか、と思う頃には段々と上昇する速度が落ちていた。そこで簡単な足場を見つけ、再度そこで跳躍する。


 その時、風鳴り音とは別に不意に翼がはためく音が耳に入った。


 次の瞬間、秋蘭の野生の勘と本能が身体を突き動かし、反射的に首だけ振り返らせる。運悪く姉の気絶した顔が視界いっぱいに広がっているが、その端であるものを捉えた。異形の存在にして彼等彼女等が討伐しなければならない存在。


 魔獣だ。まるで大きな嘴を持ったカモメのような怪鳥の魔獣が目にも止まらぬ速さで向かってきていたのだ。


 タロットの魔獣なのか定かではないが、秋蘭は空中で身を翻し、突進してくる怪鳥の魔獣を寸でのところで躱す。


 秋蘭は疑問を抱きながらも空中にその身を委ねる。


 怪鳥の魔獣は丘と激突寸前で翼を羽ばたかせ急制動を掛けるや反転し、再び秋蘭と背負われた夏目に向き直り目にも止まらぬ速さで突撃する。


 秋蘭は怪鳥の攻撃方法が突撃しかないことが分かり、足場のない空中で丘から離れるように跳躍する。秋蘭の得意とするもう一つの魔法。空間を捻じれさせる魔法『空間捻動くうかんねんどう』を発動し、捻じれた空間を足場として使い、空間が元に戻ろうとする反作用を生かして常人離れした跳躍を空中で可能にしたのだ。


 しかし、それでも怪鳥の魔獣の特徴からして空中で戦うのは明らかに分が悪い。加えて、秋蘭は気を失った夏目を背負っている。こうなると尚更不利になってしまう。かと言って空中で投げ捨てる訳にもいかない。


「ガアアア!」


 視界の端で夏目の気絶した顔を確認した瞬間、怪鳥の魔獣が気味の悪い声で咆哮する。


 さらに速度を上げた怪鳥の速さたるや、身体強化の魔法を施した秋蘭と差ほど変わらなかった。


 それでも秋蘭は目を見開く程度に驚くだけで特に身構えることはなかった。それ以前に岩壁を急上昇し、怪鳥に襲われ凄まじい勢いで旋回、空中で跳躍するといった激しい動きをして尚、目を覚まさない夏目のことが心配になる。


「グガアアア!」


 怪鳥の魔獣は大きく口を開けてさらに加速する。


「うるさい、なあ……」


 冷たく言い放つと秋蘭は瞬間的に『魔力解放』をして魔力出力を格段に向上させる。戦闘モードに入った少女の身のこなしは、怪鳥の嘴を紙一重で躱し、怪鳥の首に狙いを定めるまでの余裕を見せる。さらにタイミングを合わせて、右足に『空間捻動』を纏わせ、捻じれた空間が尾を引く蹴りを思い切り怪鳥の首に打ち込む。この一連の動作を秋蘭は怪鳥と交差するまさにその一瞬の内にやってのけたのだ。


 蹴りを食らった怪鳥の首から先は天空に打ち上げられ、胴体は虚しく岩場に落下し、地に着く頃には塵と化していた。


「んー。なんか、やっぱりおかしいんだよなぁ。でも、何がおかしいのか分からない。もう早く夏目起きてよー。一人じゃ寂しいよぉ」

「んんー」

「おっ!」


 秋蘭の願いが通じたのか夏目が目を擦り始める。やっと起きた、と思いきや、また大きく欠伸をしてそのまま眠ってしまった。


「嘘でしょ! 今の普通は起きるところでしょ!」


 っていうかここ空中だよ! と少女は自由落下しながら叫んだ。


 もちろん当初の予定通り丘を目指すため、もう一度空中で跳躍する。


 しかし、今度は一息に丘まで行くため、夏目への気遣いを一切なくした正真正銘の『身体能力強化』の魔法と『空間捻動』を組み合わせた超絶的な跳躍を見せる。


 風鳴りが轟音に変わる。


 一秒か。それより短かったか。丘に到着した秋蘭は余りある勢いを殺すため、丘の堅い岩でできた地面を抉るほどの滑り込みを見せた。戦闘中と言っても通じてしまうほどの派手な着地。そのおかげでようやく夏目が目を覚ました。そして、その頃には秋蘭の頭髪はいつものライトグレーに戻っていた。


「な、なにごとですか! 龍は? ここは? 背中が痛い! 雲が近い!」


 秋蘭は忘れていた。混乱した夏目は小学生並みの知力と目覚まし時計のようにけたたましくなってしまうことを。


「久々に混乱してるね」

「ふぇ? 秋蘭、あ、ああ、そうでした。船が転覆したのでしたね」


 夏目は秋蘭から降り、礼を言ってから軽く背中を摩る。秋蘭と同様に夏目も岩場で背中を強打していたのだろう。それを気にしつつ辺りを見渡す。


「なるほど。奇妙な雲と魔獣の気配、いや、魔力そのものを感知できない結界ですか。言うなれば雲で隔離された島ですね」

「わあ。流石夏目だね。寝坊助さんだけど」


 クスクスと笑いながら秋蘭は言うとその場に座り込む。


「これからどうする?」

「そうですね。まずは合流することが先決でしょう。ここから見える範囲には誰もいませんし、もしかすると島の裏側に流されてしまったのかもしれませんね」


 夏目は顎に手を当て考える。


 丘から見えるだけで、岩場がずっと続いている。微かにだが端の方に砂浜が見える。あとは森と島の中心にそびえているのであろう大きな山だけだ。


「森に入るのは危険でしょうから距離はありますが、砂浜を目指しましょう。誰かが流れついているかもしれませんし、ここは高台ですが、魔獣が群れを成して襲ってこられたら逃げ場がありません」

「ならさ。魔力砲を信号弾代わりに撃ってみたら?」

「そうしたいのは山々なのですが、魔獣の存在を確認しました。信号弾を見るのは私達だけではありません。逆に集まってくるかもしれません」

「なるほど。たしかに」


 秋蘭は納得して大きく首を縦に振る。そして立ち上がり伸びをする。砂浜へ向かうため軽く準備体操をし始めると不意に夏目に問い掛ける。


「綾斗くん、大丈夫かな?」

「気になりますか?」

「そりゃあ気になるよ。新葉も機嫌悪かったし。もし二人が一緒だったら喧嘩とかいっぱいしちゃいそうだよ」

「秋蘭となら大丈夫でしたか?」


 夏目が微笑みながら言うと、秋蘭は表情を暗くして聞こえるか聞こえない声で「どうだろうね」と静かに呟いた。


 沈黙が二人の間に流れる。その時、一発の銃声が聴こえた。それから続けて五回の銃声が聴こえ、砂浜の周辺にある木々が何本か倒れた。


 夏目と秋蘭はお互いに顔を合わせて、小さく頷くと大きく跳躍し砂浜に急行した。

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