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第56話

 目が覚めるなり野犬の魔獣と遭遇した。それも群れに。


 森林を駆ける紫の短髪を両サイドだけ伸ばした伏見家四女――冬香は溜息をつく。


――今頃、アヤトは他の姉妹と一緒なのだろうか?


 リュック兼武器庫は海に投げ出されたときに無くしてしまった。そのせいで今は武器を出そうにも空間と空間を繋げる扉を作り出す『空間置換扉ワープゲート』に使えそうなものが制服のスカートのポケットくらいしかない。つまるところ今出せる銃火器は二丁の拳銃――グロック18Cしかない。


 火力不足がちらつくが仕方がない。


 そんな状態で魔獣の群れを前にしても綾斗のことばかり考えてしまう。いや、太陽・サンと対峙する以前から綾斗のことを常に考えてしまうようになっていた。夜眠りにつこうとする時や入浴中、はたまた学校でも不意に綾斗の顔が脳裏を巡る。特に最近はその頻度が多過ぎて嫌でも綾斗のことが気になってしまう。嫌ではないけど。


 そんなことを思っている内に進行方向から別の魔獣が現れた。それも群れを成している。


 猪に似た魔獣。牙は肥大化し、返りまでついている。貫かれでもしたら間違いなく死んでしまうだろう。


 前方に猪の群れ。後方には野犬の魔獣の群れ。


「ついてなさすぎ。これはちょっと不味いかも」


 冬香はすでに『魔力解放』を行っている。ゆえに今以上に魔力の出力を高めるには気を入れるような一息の間が必要になる。魔法を込めた弾丸を込めようにもそれなりに時間が掛かってしまう。いや、冬香の場合は簡易魔法を込めた魔力弾が入ったマガジンを拳銃に装填するだけでいいのだが、それすらも危うい状況なのだ。冬香は意を決したように二丁の拳銃を構える。一匹に対して一発で仕留める気で戦わなければやられるのは冬香だろう。


 いざ、引き金に指を掛けた瞬間、どこからか甲高い笑い声が響いてきた。しかもその笑い声はどんどん近付いてくる。さらにその笑い声には聞き覚えがあった。


 この笑い声の持ち主は、綾斗と魔法の訓練をする際も調子が良いときも高らかに笑い、思い通りに身体が動く歓喜に身を任せ、刀を振るい、綾斗が防戦一方になってしまっていた。傍から見れば一対一なのに一対多のまるでリンチを見せられているようだった。


 伏見家長女――刀を帯びた桃色の短髪をした春菜だ。


 冬香の前に草陰から飛び出してきたかと思えば、桃色の刀身を閃かせ、瞬く間に野犬の魔獣の群れを一掃してしまった。


「ごめん。もしかして邪魔しちゃった?」

「う、ううん。大丈夫。助かった」

「そう。ならあの猪の群れもやっちゃっていい?」


 冬香は困惑しながら頷く。

 じゃあ、と言わんばかりに春菜は狂気的な笑みを浮かべて刀を納刀し抜刀術の構えを取る。


「――『居合・赤華の霹靂いあい・せっかのへきれき』――」


 春菜が鯉口を切った直後に鯉口から溢れんばかりの赤い稲妻が迸る。かと思えば、春菜は地面を深く抉るように踏み込み、それが脚力となって猪の群れに突っ込んでいく。


 とても鮮やかな一閃。


 一対一で戦うのならそう例えるのが妥当だろうか。


 春菜は赤雷の尾を引いて群れを成した猪の魔獣の間を縫うようにして駆け抜ける。少女がそれ等有象無象と交差する度に猪の頭部が宙を舞った。残された胴体からは赤黒い液体が噴き出し塵と化す。群れていただけあって一掃すると爽快感すら覚える。


 一対多を目的とした抜刀術。だからこそ春菜は『赤華の霹靂』と名付けた。神速の抜刀術に加えて雷の如く鋭利な居合切りを連続して行う。そして、残された身体から噴き出す血が花壇のように咲き誇る。春菜には他愛もない超絶技巧だ。


「ふう。これで最後っと」


 最後の一頭を仕留めた春菜は大きく伸びをして刀を鞘に納める。直後に桃色の短髪美少女は満面の笑みを浮かべて冬香に駆け寄る。


「怪我してないかい? 冬香ちゃーん!」


 春菜は勢いそのままに冬香に抱き着く。


「調子乗り過ぎ。最初から飛ばし過ぎると体力持たないよ。それにまだタロットの魔獣と戦ってない」

「んーそうだけどさ。なんか本当に調子が良いんだよ。今なら海も断つことができるかも」


 春菜は鞘に納めた刀を見て不敵な笑みを浮かべる。


「怖い。春菜、怖いよ」

「あはは。ごめん、ごめん」


 そうして軽口を叩いていると二人の背後からけたたましくも重みのある足音が近付いてくる。その音の大きさからして二人の身の丈を遥かに超える何かだと言うことが分かる。


 二人はすぐさま駆け出し砂浜へ向かう。広い場所に出ればいくらか戦法は思いつく。加えて無人島で目立ったことをすれば他の姉妹達と合流できる確率も高くなるからだ。


 そう思い実行してみたものの、いざ、向かってきた何かの姿を見ると驚愕する他なかった。


 二人の身の丈を遥かに超えた人型の魔獣。しかし、それには首が無い。代わりに腕が四本も生え、岩のような筋肉が全身を覆っている。


 人型の魔獣は四本の剛腕によって文字通り行く手を阻む木々を薙ぎ払いながら駆けてくる。


「あいつ、目もなければ耳もないのにどうやって追い掛けてると思う?」


 春菜は走りながら冬香に問うが冬香は何も答えない。分からない、ということだろうがそれでも一言あっても良い気がする。


 春菜の気持ちなど露知らず、冬香は走りながら右手の拳銃で正確に四本腕の魔獣の胸部を狙い撃つ。しかし、甲高い音を立てて弾かれてしまった。冬香は舌打ちをして前方に向き直る。


「もうすぐ浜に出るよ」


 春菜は言うと抜刀し、周辺の木々を切り倒していく。さらにそこへ冬香が弾丸を浴びせて、切り倒された木々がまるで雨のように降り注ぐ木製のクナイへと変貌する。


 しかし、四本腕の人型魔獣には一瞬の足止めにもならず資源の無駄使いになってしまった。ついでと言わんばかりに冬香は、魔力弾に後付けで簡易的な雷属性の魔法を込める。雷属性を得た魔力弾は貫通力が高まるも効果は薄く、人型魔獣の皮膚には薄く焦げ跡が残る程度だった。


 二人は全く同じ顔で「ですよねー」と言いた気な表情を浮かべて砂浜に出る。


 四本腕の人型魔獣も同じく砂浜に出る。太陽光に晒されたことで分かるが、やはりその岩石のような筋肉が人間なぞ紙切れのように千切ってしまうことを容易に想像させてしまう。


「爆発する弾丸とかはどうなの?」

「できるけど効果は微妙かも」

「違う違う。爆発で生まれた煙に色をつけてここに私と冬香がいることを知らせるの」

「信号弾ってことだね。分かった直ぐに生成する」

「オッケー。それじゃあ私はこのデカブツを何とかするね」


 冬香が頷くと春菜は疾走する足を止めて向き合う形で人型魔獣とにらみ合う。すでに抜き身の刀には桃色の輝きが宿り、切っ先は人型魔獣のおそらくそこにあるであろう心臓部へと向けられている。


 春菜は一呼吸置いてから不敵な笑みを浮かべて砂浜を強く蹴り上げる。足場が悪い分、足運びに難があるが、今の異常に調子の良い春菜ならば許容範囲であり、問題ない。そのまま春菜はもう一度踏み込み、砂埃を巻き上げ、さらなる加速とともに目にも止まらぬ超加速へと昇華させる。


 人型魔獣も春菜の急接近に合わせて巨大な二本の右腕を振るう。しかし、振り上げたはずの右腕は風が吹き抜けたように肘から先を失っていた。頭部を持たない人型魔獣は無言で斬り飛ばされた二本の右腕を押さえて膝をつく。奇しくも、首を差し出すかのような体勢になるがすでにその首はない。


 だが、魔獣にとって首のあるなしは関係ない。肉体は魔力で構築され、心臓と脳の役割を担うのはコアだ。従って、魔獣を討伐するにはコアを破壊する以外に方法はない。


 春菜はコアのある腹部に刀を突き立てるが、魔獣の皮膚に接触した瞬間に甲高い音を立てて弾かれてしまう。


「やっぱコアの周りは固いよね。まあ、私の前では意味ないけど」


 少女が言い終えるのと同時に刀身が桃色から紅く染まり、先程弾かれた固い皮膚と分厚い筋肉の壁をまるで豆腐のように切断しそのままコアを両断する。


 魔獣は一呼吸の間もなく消滅した。


 春菜は刀を振るい、付着しているでもない魔獣の血を振り落とす。丁度その時冬香が生成した信号弾が撃ち上げられ二人の居場所を島中の生物に伝えるのだった。


☆☆☆☆☆☆


 冬香と春菜が打ち上げられた場所から正反対に位置する場所に打ち上げられていた谷坂綾斗と伏見新葉は、冬香が撃ち上げた信号弾を見て一先ず安堵する。


 二人は未だどこまでも続く砂浜を歩き、ようやく木々が生い茂る森林の前に立った。


「桃色と紫色の煙ってことは春菜と冬香ね」

「なるほど。そういう見分け方もあるのか。頭良いな」

「なによ。まさか私たちに色のついたプラカードでも持って過ごせって言うの?」

「ち、違う! 確かに髪型とか瞳の色も違うけど、結局顔が一緒だからわかんねーんだよ」

「へー。その割には……」


 新葉は言い掛けたところで目にも止まらぬ速さで弦に矢をつがえる。


 釣られて綾斗も二振りの剣を『錬成始動オープン・ワークス』で錬成する。


 しかし、今の綾斗は左腕をろくに動かすことができない。いや、それ以前にようやく骨がくっついたというところで皇帝・エンペラーの攻撃を防いだ衝撃でまた痛めてしまったのだ。左手で何かを掴むことすらできない左腕は、戦いの邪魔にならないように背後に隠すように構えるしかない。


 だが、少年が辺りを見渡すが何もいない。弓を使う人間として目は常人よりもかなりいい。魔力が感知できない以上、目視で確認するしかない。それでも魔獣の姿は一切確認できない。


 新葉の操る魔法は魔力を帯びたあらゆる物体を脳内でセンサーとして感じ取ることができ、その位置関係も寸分違わぬ超精密性を誇っている。そんな超精密魔力センサーもこの無人島では全く機能していない。加えて、五つ子の中で狙撃の役目を担っているため視力もよく、草木の微妙な揺れすら見逃さない。


 つまるところ不安なのだ。


 いつもなら感知能力によって魔獣の位置を特定し、攻撃を仕掛けられる前に狙撃することができるが、今はその長所を奪われたことで常に警戒しなければならない。


 そんな彼女を見て綾斗は自然と前に出る。


「安心しろ。俺は狙撃よりも接近戦の方が得意だから。俺の間合いの内なら絶対に傷つけさせない」


 なんてな、と付け加えると右手に握った魔法効果を帯びていない剣を構える。


 瞬間、新葉に尻を思いっきり蹴られて顔面から砂浜にこけてしまった。


「か、かっこつけてんじゃ……ないわよ! 別にアンタに守ってもらわなくても平気よ!」


 新葉は赤面しながら綾斗を怒鳴りつける。


「……なら口で言えよ」


 綾斗は痛そうに尻を押さえながら立ち上がりそそくさと目の前にそびえる木々が生い茂る魔獣の巣窟へと歩を進める。


 信号弾を上げた春菜と冬香と合流するには森を抜ける必要があるのだ。


「ちょ! 待ちなさいよ!」

「やなこった」

「ジャングルを渡るより砂浜から迂回する方が安全なのよ!」

「とは言ってもな……」


 二人は改めて辺りを見渡す。


 前方にはジャングル。


 右方には数キロ先に岩壁らしき影がある。


 左方にも数キロ先に岩壁らしき影がある。


 後方には海とそれを隔てる霧。


 どこを進むにも危険が待ち構えているのは確かだ。その上で全方位を警戒しなければならないジャングルは確かに危険極まりない場所と言っても過言ではない。それでも五つ子といち早く合流するにはジャングルを突破する以外に道はない。


「分かったわよ。行けばいいんでしょ、行けば!」


 仕方なしと言った面持ちで新葉もジャングルに足を踏み入れる覚悟を決めた。


 かくして五つ子と少年は合流することを優先し各々の道を進むのだった。しかし、皇帝のタロットカード・エンペラーの脅威が終わった訳ではない。


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