谷坂綾斗と伏見新葉は血相かきながらジャングルを駆けていた。いや、新葉をおんぶした綾斗が尋常ならざる脚力をもって駆けていた。と言うのも魔獣の巣窟と化した森の中に入ってすぐに猿のような魔獣が群れをなして襲い掛かってきたのだ。一度は迎撃に成功したもののその数分後に倍以上の群れが押し寄せ、結果的に呼び寄せてしまう始末だった。
新葉は駆け出すも体力の無さが露見してしまい、そのすぐ後に足をくじいて綾斗がおんぶすることになった。
綾斗は元々の身体能力に加えてフールと一体化してしまったことで常人を遥かに超えた身体能力を有している。そのため新葉一人を背負っても足が遅くなることはない。さらには全身の左腕以外を目一杯使えることについ感化されてしまい、最早逃げるというよりもジャングルを縦横無尽に走り回れることに楽しさを覚えていた。
新葉は綾斗の様子がおかしいことに気付き口を開けようとするが、いかんせん、動きが人間離れし過ぎているせいで舌を噛みそうで上手く話せない。それ以上に殺人的なGに加えて目が良すぎるあまり、三半規管がぐちゃぐちゃになって今にも口から虹を放出してしまいそうになっている。それでも魔獣達の追手を討伐するため矢を生成しては等間隔で矢を設置、いや、放ることで罠を完成させる。
――相手が猿ならよじ登る木々を薙ぎ倒せばいいんでしょ!
新葉は器用に綾斗にしがみつきながら両手で印を結ぶ。あとは魔法を発動するための言霊を発するだけ。
そこで綾斗の動きが止まった。というよりも急制動を掛けるために両足に踏ん張りを利かせ、地面に滑り込む。
「今だ!」
「風魔法――『
次の瞬間、今まで放っていた矢が空気の渦を巻いて一斉に爆発した。
空気が爆ぜる音に耳を塞ぎたくなる綾斗だが、直後襲い来る爆発の余波で顔を背けたくなってしまう。
しかし、その衝撃のおかげで近くに生えていた木々は薙ぎ倒され、大量の猿の魔獣が雨のように落下してくる。
「新葉、代わりに射ってくれ! ――『
綾斗の右手にはリカーブボウが生成され握られる。そして、掴むことができない左掌には赤黒い稲妻が迸り地面を這う。強大で莫大な魔力が変質した赤黒い稲妻は瞬く間に両手持ちの魔剣へと形を整え、さらに矢へと姿を変える。だが、矢の変化はまだ続いている。赤黒い閃光を纏い、矢は鏃から矢筈まで捻じれ、ドリルのような異形の矢へと変貌を遂げる。
「――『
魔剣にして異形の矢。それを綾斗は掴めぬ左手で上手く引っかけるように持ち上げ新葉に託す。
新葉は嫌そうに受け取るも、状況が状況であるためすぐに綾斗のリカーブボウ共々借り受け、手慣れた手付きで異形の矢をつがえる。狙うは木々から落下する猿の群れの中心。緑の長髪をなびかせた少女は正確に異形の矢『贋・魔龍殺しの怒りの魔剣・螺旋』を射る。
放たれた瞬間から空間を捻じり、空気の壁を穿ち轟音を響かせて魔龍殺しの魔剣だった螺旋状の矢は魔獣たちを木端微塵に吹き飛ばす。たった一撃で猿の群れは完全に消し炭となった。
しかし、それだけで終わらないのがフールの魔法で作られた矢である。
バルムンク・シュピラーレは止まることを知らず、辿った道筋がはっきりと分かるほど森の木々を薙ぎ払い、空間を捻じ切っていった。さらには籠めていた魔力が溢れ出ることで赤黒い一条の閃光へと変わりさらなる加速を見せた。まさにレーザービームとなった矢は空間を捻じ切り続け、遅れて空間が元に戻ろうとする反作用により、暴風が巻き起こり二次災害をもたらした。
結果的にその威力によって矢が通った道だけでなく、周囲も巻き込んで荒野へと荒れ果てさせてしまった。
新葉はそんな矢を綾斗に背負われた状態で射ったことで危うく一緒に吹き飛ばされそうになっていた。それを何とか綾斗が踏み留める形でバルムンク・シュピラーレの余波を耐え切ることができたのだ。
ようやく暴風が止んだ頃には、二人の鼻孔を焼け焦げた木々の香ばしい匂いでいっぱいになっていた。
二人は鼻をつまみたくなる気持ちを抑え、辺りを警戒しながらすぐに綾斗が新葉を背負った状態でまた走り出す。
耳には草木がこすれ合う音に混ざって波打つ音が聴こえてくる。猿のような魔獣から逃れている内に二人は、いや、綾斗は新葉を背負った状態で島の反対側まで辿り着いていたのだ。
目前に砂浜が見えてきたところでようやく人影が見えた。
そして、最後の茂みを越えると見知った顔の少女たちが二人のことを快く迎えてくれた。
☆☆☆☆☆☆
時間は少し遡る。
秋蘭と夏目は岩場から砂浜に向かおうとしていた。丘の上から見た限りでは岩場の向こう側には砂浜が微かに見えた。それは反対側も同じであり、島の全体像が分かってきたところで歩を進めていた。
岩場に波がぶつかる音が耳に入る。空は雲で覆われているが、もしも晴天が広がっていたならばそのまま海水浴をしたいところだ。それほどまでに海は綺麗で丘から見えた景色もそうだが、今いる場所から見える景色も十分に美しい。海独特の生臭い匂いがたまに傷だがそれも海水浴の醍醐味だとも言える。
秋蘭はそんな景色を横目に岩場をもろともせず駆けようとしていた。しかし、共にいる夏目の運動音痴な面が目立ちなかなか進めないでいた。
「夏目、背負ってあげようか?」
「い、いえ、大丈夫です。ただ少し疲れてきただけなので」
「それは大丈夫じゃあ……ッ!」
秋蘭は言い掛けたところで視界の端で海が不自然に蠢いたことに気付き警戒する。
夏目はまだ気づいていないのか、膝に手を当てて呼吸を整えている。
「夏目、来るよ!」
「え? あ、はい!」
夏目は秋蘭に促されたことでようやく海からくるであろう魔獣の存在に気付いた。
羽根の生えた魚のような魔獣と言うべきか、飛魚に似た魔獣と言うべきか、そんな姿をした魔獣が海面下から秋蘭と夏目に向かって少ない水しぶきを上げて射出される。
その数はおよそ十匹。
水しぶきがあまり上がっていないことから、鋭い速さで凄まじい勢いでここまで泳いできたのが分かる。
秋蘭と夏目はすぐさま『魔力解放』を行い、魔力出力を大幅に向上させる。同時に秋蘭の肩まで伸びた頭髪はオレンジ色に、夏目のポニーテールが青色にそれぞれ染まる。
秋蘭は足元にあった人間の頭ほどの大きさの岩石を左右に一個ずつ拾い上げ、迎え来る飛魚の魔獣目掛けて思い切り投擲する。振り被りから振り抜きまでの動作が流れるように美しく、まさに流麗という言葉が出てくる。そんな投球フォームを見せたオレンジ色の髪の少女は一投で三匹を、続く二投目で二匹の飛魚の魔獣を穿つ。
人間の頭ほどの大きさをした岩石は轟音を響かせて魔獣を蹴散らしていった。
夏目は野太い風切り音を聞きながら「流石です」と言わんばかりの眼差しを秋蘭に向けつつ、身の丈ほどある杖を振るい、飛来する飛魚の魔獣の上空に青白く輝く魔法陣を展開する。
「雷魔法――『
飛魚の魔獣の飛来する速度は確かに速い。それでも海水に濡れ、且つ、水に潜む魔獣ということもあり、必然的に弱点が雷属性の魔法だと分かる。
夏目の放った『落雷』は単純な属性魔法だが、広範囲に渡って雷を落とす魔法だ。そこに夏目の突出した魔力操作能力と魔法の知識が合わされば、落とす雷をピンポイントで同時に撃つことができる。
次の瞬間、激しい閃光と共に雷鳴が轟く。
五匹の飛魚の魔獣はほとんど同時に雷に穿たれ
「流石夏目!」
「まだです。何か、もっと大きいものの影が……」
魔力感知が使えない今、目視でしか魔獣を捉えることができない。
ただ感知できないだけで戦い辛さを感じてしまう。それほどまでに今までの戦いで感知能力に頼っていたと思うと嫌になってくる。
魔法という世界に入り立ての綾斗ならば何も思わないだろうが、五つ子たちは違う。
魔力に触れて育ったような彼女たちは互いの魔力を感じることで安心感を得る日もあった。母親を看取った日もみるみる残り少ない魔力が減っていくのを感じた。それが死に際の人間なのだと認識する頃には目の前の母親からは何も感じなくなった。
エンペラーによる結界はすぐ隣で戦っている姉妹の魔力ですら感じさせないでいた。
目視でしか捉えることができない魔獣と姉妹。
必然的に不安の波が押し寄せてくる。
それでも今は戦っているのだ。前を見て突き進むしかない。
夏目は海面下から姿を現した魔獣を注視する。
二人の身の丈を優に超えた球体状の頭から八本の尾を生やした魔獣。紛れもなく蛸の魔獣だ。
「なんかヤバそうだね。どうする夏目?」
「『落雷』だけでは倒せそうにありません。秋蘭、一旦後退しましょう」
「了解!」
夏目が指示を出した瞬間、蛸の魔獣が一本の尾を鞭のようにしならせて海水をまき散らしながら秋蘭と夏目の脳天目掛けて振り下ろす。
二人は後方に跳躍して避けるが、続く二本の尾がその体躯にも関わらず素早い速さで二人に肉薄する。
秋蘭は寸でのところで尾を蹴り上げるが、影に隠れた三本目の尾によって巻きつかれ捉えられてしまう。
夏目もまた尾を迎撃しようと魔法を放とうとするが、影に隠れた四本目によって捉えられてしまった。
「な、んって力……ほどけない」
秋蘭が渾身の力を込めて尾を無理矢理こじ開けようとするがびくともしない。それどころかどんどん締め付ける力が強くなっていく。さらには海水と魔獣の体表が粘液とまでは言わないものの、ぬめぬめした感覚が服を通り越して肌にも伝わり気持ち悪さを覚える。
このままでは全身の骨が砕かれ殺されてしまう。
夏目も同様に魔法を発動させようと魔力を集中させようとしているが、いかんせん、締め付ける力が強すぎるあまりうまく集中できない。加えて、夏目はぬめぬめしたものが苦手なため鳥肌も立ち始めていた。
こんな最悪な状況で、いや、最悪な状況だからこそ二人は『死』を覚悟した。
まさにその時だった。
二人の背後に広がる森から鼓膜を破るのではないかと思うほどの轟音を響かせて激しく光り輝く赤黒い閃光が迫ってきていた。それは二人に近づくにつれてどんどん威力、破壊力を増していき、その凄まじさを突きつけるように木々を薙ぎ払い、焼き払い、舞い上がる土煙の中には余波だけでへし折った大木がさらに荒ぶり四散する。
蛸の魔獣はその衝撃に恐怖を感じたのか、尾を締めつける力を弱めてしまった。
秋蘭も一瞬焦りを覚えたが、尾の締めつけが弱くなったことに気付くや振りほどき、夏目に巻きついた尾に正拳を打ち込む。
夏目は緩んだ尾からすぐに離れ、暴風に煽られながらも秋蘭と共にその場からいち早く離脱する。そうでもしなければ二人とも赤黒い一条の閃光に呑まれていた。
数秒後、いや、瞬きする間もなくその場に赤黒い一条の閃光が肉薄する。
蛸の魔獣は真正面からドリルの形をした剣のような矢のような歪なレーザービームの直撃を受け、骨を砕く轟音と閃光から生じる甲高い音を岩場に響かせて影も残さず消し飛んだ。
夏目は凄まじい衝撃に呑まれぬように魔力防壁を展開し、自身と秋蘭の身を守る。危うく魔力防壁まで薙ぎ払われそうになるも、渾身の力を込めて何とか赤黒いレーザービームの余波を防ぐことができた。
「今のってもしかして……」
「ええ。間違いなく彼の矢でしょうね。流石、私の教え子だけあります。そして、無茶をすればどうなるか分かっているからこそ、こんな真似ができるのでしょうね」
夏目は最初こそ綾斗の成長ぶりに誇らしく思えたが、無茶苦茶な魔法の使い方に加えて自身もその被害にあいそうになったことから、憤りを込めた暗い笑みを浮かべていた。
しかし、奇しくも赤黒い一条の閃光が作り出した林道によって他の五つ子と少年と合流できたのは言うまでもない。