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第59話

「――『節制テンパラス』――発動」


 綾斗の外見には何の変化も見られない。変わったのは背後に広がる海だった。


 テンパラスを発動した瞬間、海水が無数の槍のように伸長し、空を切り裂き、目にも止まらぬ速さで地を這う魔獣を縫うようにして穿った。さらに海面から超高密度に圧縮された海水が弾丸のように撃ち上げられ、空を陣取る魔獣を瞬く間に蜂の巣にした。海中に巣くう魔獣はただただ圧殺された。言うなればトマトを握り潰すように何の抵抗もできずに海の藻屑となった。


 一瞬にして辺りは魔獣の消滅から生じる塵に呑まれた。


 しかし、それもすぐに消え何事もなかったかのように静寂が訪れる。


 時間にして僅か五秒の出来事だった。


 綾斗は無言でテンパラスを解除するとその場に座り込む。


「悪い。俺はここまでみたいだ」


 綾斗の目が真っ赤に充血し血の涙が頬を伝っていた。


 たまらず冬香が綾斗に駆け寄る。その表情には心配と焦燥が見られ、座り込んだはずの少年が紫色の髪の少女を落ち着かせようとしていた。


「大丈夫。タワーと違ってテンパラスはフールと相性が悪いみたいだ。全く維持できなかった」


 綾斗の計画ではそのまま真名開放することでエンペラーを討ち取るつもりだったのだが、身体の方が悲鳴を上げてしまったらしい。危うく魔法を使い始めた頃のように魔力神経を滅茶苦茶にしてしまうところだった。


『んー相性が悪いんじゃなくてテンパラスが気合入れ過ぎたみたいだよ。分かるでしょ? 今滅茶苦茶謝ってるの』


 綾斗の脳裏に直接聞き覚えのある子どもの声が響いてくる。綾斗の保有するもう一枚のタロットカード――タワーだ。しかし、周りの少女たちは特に何か言うでもなく静かになった辺りを見回している。


 どうやら綾斗にしか聞こえないようだ。さらにタワーの言った通りテンパラスからまるで「ごめんなさい」と抱き着いてくる愛犬のような感覚が伝わってくる。


 綾斗はクスッと笑ってから一言「大丈夫だ」とテンパラスのカードに向かって言う。


 そんな様子を見ていた冬香が心配そうに綾斗を見つめる。


「アヤト、無茶しすぎ! でも……ありがとう」


 冬香は頬をほんのりと赤くしながら抱き締めようとするが、胸の奥がざわめき、心臓が早鐘を打ち始め邪魔をする。魔獣の気配を感じるはずがないのに動悸が激しくなる。まさかエンペラーに攻撃されたのでは、と思い冬香は綾斗から離れ拳銃を天空に向ける。


 そんな奇妙な言動に春菜は冬香の肩に手を置いて首を横に振る。


「それは多分……こ――」


 春菜が言い掛けた瞬間、六人がいた場所が大爆発を起こした。


 六人は寸でのところで夏目の転移魔法によって大爆発から逃れ一斉に空を見上げていた。


 そこには本命の魔獣――巨大な龍の姿をしたエンペラーが今にも襲い掛かりそうな勢いで肉薄していた。


『今のを避けるか。なかなか見所はあるが、お主たちどうやって私を倒そうというのだ。唯一我の攻撃を防いだ盾も今は使い物にならんぞ』


 綾斗は舌打ちをして立ち上がろうとするが上手く身体が動かない。それもそのはず。魔力切れに加えて魔力神経が不安定になっているからだ。


「ここは私たちにお任せください」

「夏目の言う通りだよ、綾斗くん! ここからは私たち五つ子の戦いだよ!」


 意気込む夏目と秋蘭の隣で春菜は自身の刀に訝し気な視線を送る。


 今までにない感覚。今なら本当になんでも斬れてしまいそうな気がする。もちろん目の前の龍だって半紙のように斬り伏せることができるだろう。


「ん? これってまさか……」


 春菜はふとエンペラーに視線を移す。その時どうしてだかエンペラーと目が合った気がした。そして、軽く微笑まれた気がした。


――なんだろう。ちょっとムカつく。


 新葉は春菜の周囲に異様な気配を感じ、話し掛けようと肩に手を伸ばす。だが、そこで懐に忍ばせていた太陽のタロットカード――サンが独りでに新葉の前に現れる。


『初陣がエンペラーか。無理ゲーにも程があるやろ。あ、ゲームしたことないけどな』


 サンは登場早々軽口を叩いてケタケタと笑い始める。


 新葉は心底うんざりした様子で宙に浮くサンを手に取る。


「やるしかないでしょ。エンペラーの一撃は確かに強力だわ。けど今私たちが所有しているタロットを合わせれば勝てるはずよ」

『んーあんまりおすすめはせえへんけどな。エンペラーに対抗するんやったら真っ向から攻めるより、魔法の特性を上手く使わなあかんで』

「魔法の特性って……つまりどういうことよ」

『あれや魔法をそのまま使うんやなくて工夫するんや。フールの兄ちゃんみたいに錬成やら生成するだけやのうて、贋作に贋作を重ねて全くの別物を作るみたいな感じや』

「分かったわ。サンやるわよ!」

『オーケー、分かった、了解!』

「――『|太陽(サン)』――発動ッ!」


 新葉はサンのタロットカードを振り払うように弾く。カードは硝子細工のように砕け散り発動したことを知らせる。強大で莫大な魔力が瞬く間に緋色の炎へと変換され渦を巻き、新葉の全身を包み込む。周りで見ていた姉妹と綾斗は一瞬だけ新葉が丸焼きにされたと思いギョッとするが、渦はすぐに内側から吹き飛び、中から緋色のワンピースを着た幼女が現れる。


 間が出来た。


 予期せぬ状況に発動した新葉は自身の顔や胸、腕などをまさぐり、瞬く間に顔を林檎のように赤くする。


「ちょっとこれどういうことよ!」

『ワイを纏ったら若返るんや。凄いやろ!』

「恥ずかしいだけよ! それにこれ、若返ってるんじゃなくて縮んでんのよ!」


 姉妹は笑いをこらえるため必死で口を押さえている。


 綾斗は疲労困ぱいになりながらも必死に笑いを堪えるが、我慢しきれず盛大に吹いてしまい、そのまま笑い転げてしまった。そのせいで姉妹たちも笑い出してしまう始末だった。


 張りつめた空気が一転して全員が纏っていた緊張を一気にかっさらっていった。


 これがサンの魔法。ではなく、サンの素なのだ。どんな状況でも誰かを笑わせられるように構築された自我。太古の魔法使いが貧困に苦しむ者や住む場所を失った難民たちの失った笑顔を取り戻すために作ったのがこのタロットカードなのだ。


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