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第10章廻る廻るH of F

第65話

 谷坂家の朝はたとえ夏休みであっても早い。


 目が覚めて最初に感じるのはカーテンから漏れる陽光がもたらす熱線。目覚ましを必要としない朝はこの熱線によってサウナ状態にされていることがほとんどだ。


 綾斗は心底憂鬱そうにため息をつくと、額から滲み出る汗を拭い洗面台へと足を運ぶ。


「お兄ちゃん! 今日の朝ご飯何がいい?」


 朝からけたたましい声に綾斗はぼんやりと「なんでもいい」と応えて大きな欠伸をする。


「それ一番困るんだけど。まあ、いいや。簡単なトーストにしよっと」


 朝食当番の妹――梨乃が口笛を吹きながら食パンに具を乗せていく。ちなみに簡単なトーストとはピザトーストのことで谷坂家では主流となっている。


「そういえばこの前、冬香さん達とどこに行ってたの? その前は半月くらい泊まり込みで何か手続き? があったらしいけど……それに帰ってきたと思えば制服じゃなかったし」


 梨乃は眠気覚ましに顔を洗い終わった綾斗に不満気に問う。


「なんか高そうな服着てたし……お兄ちゃんの人生だし、とやかく言うのは嫌だけど……養子でも姉弟だからデートとかは、しても……恋には発展しないよ?」

「は?」


 綾斗は梨乃の言っていることが理解できず目が点になる。


「いやだからさ、血が繋がってないとはいえ、今は家族じゃん? だから、付き合うことはできても結婚はできないよ」


 綾斗はたまらず何を言っているんだ、と言いたげな表情を浮かべる。


「待て待て。何か勘違いしてるぞ、梨乃」

「え?」

「そもそもデートはしてない。制服は濡れたから着替えを貰っただけだ。それと……俺はまだ恋愛する気はない」

「……」

「どうだ、納得したか?」


 梨乃はまるで狐につままれたような表情を浮かべると途端に顔を真っ赤にする。


「まだってことはいつかするんだ! え、誰! 本当に五つ子の誰か? それとも学校の人? もしかして先生⁉」


 お兄ちゃん守備範囲広いからなぁ、と付け加えると出来上がったピザトーストを深々と考えながら食卓の上に置く。


「それじゃあ今日も元気よく……いただきます!」


 こうして谷坂家はとんでもない誤解を生んだまま朝を過ごすのだった。


 朝食を終えた綾斗は魔法の訓練があるため伏見家に行くことになっていた。


 今日の訓練は三女の秋蘭あきらが担当する魔法を使った徒手空拳。


 身体に痣ができることを覚悟して少年は谷坂家を後にした。


☆☆☆☆☆☆


 結果として五つ子と谷坂綾斗の健闘により、なんとか皇帝のタロットカードを回収することに成功した。


 しかし、その疲労は凄まじく回収してから一週間経った今も次女――夏目と四女――冬香と五女――新葉の三人は満足に魔法を操ることができないでいた。


「魔力神経の回復度合いから見てあと二日と言ったところでしょうか」


 夏目は自身の掌を見つめながら言う。


「私らは?」


 新葉は全身の違和感を和らげるため身体を伸ばしながら問う。


「新葉はあの時、確実に限界を超えたその先に足を踏み入れていました。おそらく、あと一週間は魔法を使うことは困難だと考えられます。矢を生成することは可能ですが、満足のいく矢が生成できるかと言われるとそうではありませんね。冬香も同じです。魔力弾は撃てますが、せいぜい五分の一の威力と言っていいでしょう」

「……」


 冬香は無言で頷く。


「それにしても彼はどうしてああも早く魔力神経が回復するのでしょうか?」


 三人の視線の先では三女――秋蘭の華麗な身のこなしから放たれる足刀を相手に少年が四苦八苦していた。


 魔法に関しては全くの素人である少年――綾斗は、オレンジ色に染まった髪をなびかせる秋蘭の足刀の連撃をこれまた綺麗に側頭部と腹部で受け止める。もとい覚悟を決めて歯を食いしばりながら直撃を受ける。


 綾斗は朝食で食べたピザトーストが逆流しそうになるも何とか喉元まで出掛かったところで堪える。


 伏見邸には常盤桜花学園高等部の体育館よりも広く、あらゆる防御魔法が施された特殊な壁で覆われた魔法の訓練場がある。そのせいか内装はとても無機質で、壁はコンクリートのようなグレー一色で、天井は体育館のように弧を描くような形で防音効果も有している。床は白いタイル張りになっており、ずっと見ていると距離感が狂いそうになる。


 その場所で今まさに秋蘭が先生となって綾斗に魔法の基礎をその身に叩き込んでいた。


「今の痛そう」


 冬香が呟く。綾斗の受けた一撃一撃にはフルスイングされた金属バット並みの威力が纏われている。


 冬香の隣で見ていた新葉は、自分が受けていないにも関わらず、その轟音から思わず側頭部と腹部を押さえてしまっていた。


「痛いとかのレベルじゃないわよ」

「それでも彼は倒れませんね。おそらくここから反撃しますよ」


 夏目が言った通り、綾斗は腹部に減り込んだ秋蘭の右足をまるで固定器具のように両手で掴む。

 掴んだ瞬間の綾斗はどこか驚いたような顔をしていたが、おそらく「うわ、すべすべだ」とでも思っているのだろうと夏目は思った。


「うおぉおおお!」


 女子高校生をハンマー投げの如く振り回してから放り投げる少年の姿がそこにはあった。その筋力はどう考えても普通の人間では不可能な領域にあった。


 魔力神経の回復速度が異端なのも裏付ける。


 コアとなった心臓から生み出される莫大で強大な魔力がそうさせているのだ。


 秋蘭は空中で目を回しながらも体勢を整え、綺麗に着地する。同時に少女の全身から魔力が勢いよく溢れ出たと思えば優しく包み込むように纏われる。それもただ纏われたのではない。秋蘭の得意とする魔法の一つ。


「――『身体能力強化・脚フィジカルブースト・フットポイント』――ッ!」


 下半身に集中された『身体能力強化魔法』は超人的な瞬発力を生み出す。それにより秋蘭はクラウチングスタートの構え取るとすぐに駆け出し、空気の壁をぶち破り、勢いに身を任せ、低く跳躍し右足を突き出す。


 さながら隕石のような蹴りが爆音を響かせて少年に肉薄する。


 綾斗は空気が爆ぜる音を耳にしながら両腕を交差させる。直後、向かいくる隕石の如き跳び蹴りが交差した両腕で受け止める。いや、両腕に炸裂する。


 この時、異常事態が起きていた。

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