目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第66話

 秋蘭が繰り出した跳び蹴り。

 しかし、綾斗には秋蘭の跳び蹴りが全くと言っていいほど見えていなかった。視界の端で影がちらついたかと思えば、すでに交差させた両腕に秋蘭の蹴りが直撃していた。狙いが一直線だったからこそ胸部にもろに喰らうことはなかったが、もし一センチでもずれていたらと思うとゾッとする。


 そんなことを考えている間も綾斗は両足に踏ん張りを利かせているが、秋蘭の蹴りの勢いを押さえきれておらず、滑り込むように後ろへ引きずられている。


「駄目ですよ。もっと両腕に魔力を集中させないと」


 秋蘭はいつもの元気で明るい口調で助言を送る。彼女の目と鼻の先では今も跳び蹴りを受け止めて後ろへ激しく引きずられている少年がいる。


 よくもまあこんな状況で明るく言えたものだ、と綾斗は思いながら秋蘭に言われたことを実行する。もちろん、文句つきで。


「言われなくても!」

「あ、でも、そうしちゃうと足の踏ん張りに使ってる魔力が弱くなってしまって……」


 と秋蘭が言った瞬間、足の踏ん張りが利かなくなった綾斗の身体は、秋蘭の跳び蹴りの衝撃に耐えられず訓練場の壁まで吹っ飛ばされてしまった。


 綾斗は轟音を立てて背中から見た目だけコンクリート製の壁に激突する。


ッ! ゲホッウハッ! 背骨……砕けたかと思った……」


 綾斗は咳き込みながら背中を押さえ立ち上がる。


「纏わせる魔力の比率を考えないと魔獣との戦いに支障が出ますよ?」


 秋蘭が仁王立ちしながら得意げに言うと綾斗が訝し気な視線を送る。


「待て待て。その話は初耳だぞ。魔獣との戦いで魔力を纏うってなんだ。お前ら毎回全身に魔力を纏ってるのか? 集中しないと体力も魔力も減っていくのにか?」

「それは綾斗くんが下手っぴだからですよ。それに魔獣との戦いで魔力を纏って戦わないとどんな攻撃でも致命傷に繋がるって夏目が教えてくれてると思いますけど」


 綾斗の視線が自然と夏目に向けられる


 その視線に気付いた夏目はわざとらしく口笛を吹く真似をして明後日の方向を向く。


「え、嘘、知らなかったんですか?」

「ああ。今まで武器で攻撃を受け止めてたからな。魔力を纏うなんて秋蘭との訓練ぐらいだ」

「え、じゃあ、単純な身体能力だけで今まで戦ってたってことですか?」

「どうだろうな。魔剣を使ってる時もそうだけど、俺の中にフールがある時点で身体能力は常に超人の域に達してるみたいな感じだし」

「何ですかそれ、ちょっとずるくないですか?」


 秋蘭が頬を膨らませながら言うと、綾斗は「知らん」と言った表情を浮かべて秋蘭と向かい合う形でファイティングポーズを取る。そう。今は訓練中なのだ。魔力を用いた格闘術を習得するための時間だ。


 秋蘭も遅れて身構える。と言ってもクラウチングスタートの体勢になるだけだが、そこからの初速を綾斗は知っている。


――今度こそ完璧に受け止めて見せる。


 少年は意を決したように身構える。今度は両腕両脚を広げ重心をやや前に落とす。広い範囲を同時に守るための構えだ。


「よーい……」


 そんな少年に挑むように秋蘭は深呼吸をしてから体勢を沈み込ませる。今にも弾けんばかりの膂力が脚力へと変換され両脚に充填されていくのが分かる。対して綾斗の方は不慣れな魔力を纏わせる技術に意識が散漫になってしまっている。


 あまりにも見ていられない光景に見学者の三人は呆れて溜息をついていた。


「どんっ!」


 次の瞬間、弾丸の如く秋蘭が駆け出す。


 目にも止まらないとはまさにこのことか、と綾斗は思いつつ魔力を纏うことで強化された反射神経と動体視力によって秋蘭の姿を捉える。秋蘭の突き出された右拳に左手を添えて、空いた右手で秋蘭の襟を掴む。さらに秋蘭の進行方向に逆らわず流れるように腰を捻り、背中に秋蘭を乗せて放り投げる。


 綾斗は柔道で言うところの背負い投げを行ったのだ。


 秋蘭の身体は勢いそのままに投げ飛ばされ、広大な訓練場の中間辺りから壁までノーバウンドで投げ飛ばし背中から激突した。


「うわ、痛そう……」


 綾斗は壁に打ち付けられた秋蘭を見て心底痛そうに言う。


「いや、アンタがしたんでしょ!」


 たまらず見学者の新葉が怒鳴り付ける。


 綾斗は新葉に申し訳なさそうに頭を下げようとしたところで風切り音が聴こえた。


 ハッとした表情を浮かべる綾斗だが、気付いた時には秋蘭の姿は消えていた。


「あ、ゃばッ……ぐはッ!」


 秋蘭は地面を這うような超人的な跳躍によって綾斗の懐に一気に入り込む。そのまま駒のように身体を高速で回転させて回し蹴りを綾斗の脇腹に炸裂させる。


 鈍い音が広い訓練場に木霊する。そして、綾斗の意識は完全に絶たれた。


 綾斗は意識を失う直前こんなことを思っていた。


――なんてきめ細やかな肌なんだ……これを喰らえばある意味ご褒美かもしれない……。


 そんな少年の思いが少しだけ伝わってしまったからか、秋蘭は不気味なものを感じ取ってしまい余分な力を加えてしまっていた。結果、少女は綾斗を大槌の如き回し蹴りを炸裂させ、一撃で意識まで吹っ飛ばすという惨事になってしまった。


 秋蘭は自身が抱いた不気味なものがなんだったのか結局分からないままだった。それよりもやりすぎたとばかりに慌てふためき、やれやれと言った面持ちを浮かべる夏目と白目を向いて気絶してしまった綾斗を交互に見るので精一杯だった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?