三人は無事に合流することができた。
それは良かったのだが、綾斗は直前に危うい攻撃をしてしまったことを一言謝ろうと口を開けた。
その時だった。横腹にバルムンクが刺さった魔獣が悲鳴のように咆哮する。
反応が遅すぎやしないかと思ったが、誰もそのことを口にすることはなかった。いや、そんな余裕が無かった。
魔獣の咆哮が想像を絶する音量だったのだ。それもただ大きいだけなら耳を塞げばいいが、魔獣の咆哮は骨まで振動させ、脳や耳の奥に激痛が走るほどの高周波となり、さながら超広域の音波攻撃へと姿を変えた。
立っていた綾斗もたまらず膝を付いてしまうが、秋蘭と合流することを最優先していたため、はっきりとしない視界の中で空間と空間を繋げる境目だけを捉え、左手のグラムを押し当て無理矢理抉るように切断する。
次の瞬間、ガラスが割れたような衝撃音とともに少年と少女たちを隔てていた境界線が崩壊した。
同時に魔獣も自身の魔法が破壊されたことに気付き、咆哮を止め、魔法を破壊した張本人を凝視する。
「大丈夫だったか?」
「はい。私は兎も角、琥珀ちゃんは無事です」
「また敬語……」
「またって……今はそんなことよりあの魔獣を封印することに専念しましょう。魔法の特性からタロットの正体が分かりました」
その言葉を聞いて琥珀は「やっとか」と言いたげな表情を浮かべるがすぐに元の少し怯えたような表情に戻す。
「あのタロットの魔獣はホイール・オブ・フォーチュンです。その魔法効果は空間と空間を繋げる境界線を作り出すことです」
「線で囲ったところがゲートになるって感じだな。目視だけだと全然分からないな」
「はい。本来ならフラフープのような輪っかを出して戦う、と夏目が言っていました」
「戦ったことがあるのか?」
「いえ、タロットの魔法のだいたいは把握できているんです。今回はホイール・オブ・フォーチュンの魔法を夏目からたまたま聞いていたから分かりました」
「なるほど。つまり偶然か」
「そうです。偶然です」
秋蘭は自分で言ってからげんなりする。
夏目から偶然聞いていたから良かったものの、もし聞いていなければと思うと自分の魔法に冠する知識や仕様の偏りに嫌気がさしてしまう。
秋蘭の学業での成績は中の上というところで良くもなければ悪くもない。特に問題のない平凡なものだ。しかし、運動能力に至ってはどれも群を抜いて成績が良く、タロット戦争や魔法使いでなかったならば、今頃はオリンピックに出場し、金メダルを獲得していたかもしれない。スポーツの世界ではそれほどの逸材なのだ。
だが、少女にとってそんなことはどうでもよかった。
ただ、五つ子の足を引っ張らないように必死に努力をした結果なのだ。
秋蘭は扱える魔法は初歩中の初歩と空間を捻じる『空間捻動』のみであり、少女が特別長けているのはその身体能力と長時間魔力を全身に纏っていられることだ。刀剣を扱う春菜ですら長時間全身に魔力を纏うのは厳しいところがある。それでも秋蘭だけは自然体のようにやってのけてしまうのだ。基本中の基本だが、真似をしろと言われると出来ないことを秋蘭は出来る。
しかし、そんなことが出来ても目の前のタロットに打撃を与えることができない。それどころか今までのタロット戦争で秋蘭はほとんどサポートしか行っていなかった。全体的に見れば戦績も良くはなく、秋蘭の攻撃がまともにタロットの魔獣に当たったこともあまりない。そのため、五つ子の中で唯一タロットの所有権を得ていない。
目の前のホイール・オブ・フォーチュンもすでに綾斗に目をつけてしまっている。
まただ。
また自分は足を引っ張らないように藻掻くことしか出来ないんだ。
秋蘭が一人、孤独に打ちひしがれる中、状況は一転して魔獣の周りをフラフープのような輪っかの武器が現れ、囲うように浮遊する。
その数は六つ。
そして、同時に通路の至る所に引かれていた境界線が消失する。
――お嬢、藻掻くなら最後まで藻掻け。諦めるな!
秋蘭の頭に直接声が響いた。綾斗と琥珀の反応を見るに聞こえているのが自分だけだと分かると再びホイール・オブ・フォーチュンに向き直る。
――そんな
怒号にも似た喝がまさか相手から飛んでくるとは思わなかった。
自分はどれだけ単純な人間なんだろうか、と秋蘭は思う。たった一言二言、それも相手からの言葉で心の中に渦巻いていた暗雲が晴れてしまった。
「綾斗くん。お願いがあります。いいですか?」
秋蘭は綾斗を見ずに、返答を待たずに続ける。
「琥珀ちゃんを頼みます」
言った瞬間、秋蘭の姿が綾斗と琥珀の前から消えた。
次に現れたのはホイール・オブ・フォーチュンの正面。
互いに睨み合いながら間合いを確かめる。
今の秋蘭の瞬間移動が転移魔法ではないことは綾斗でも分かった。今まで散々転移魔法で飛ばされてきたことで個々の魔法の毛並みのようなものが分かってきたからだ。なら、今秋蘭が行った瞬間移動は何なのか。それはとても単純で、そして、正体なんて大層な言葉を使うまでもない事象だ。
超高速移動。
身体能力強化の魔法を脚部に集中させ爆発的な走力と瞬発力を得たのだ。それは短距離なら瞬間移動とも言える一瞬の超加速を見せる。
「アナタはホイール・オブ・フォーチュンで間違いありませんね」
『そうだが。見たところお嬢は魔法使いの、それも我らを作ったあの魔法使いの末裔だとお見受けする』
「はい。私は伏見秋蘭。タロットを作り出した太古の魔法使いの末裔、子孫に当たります」
『ほう? その割には使えっている魔法は基本のものばかりのようだが、魔力弾や防壁を張ることはできるのかな? いや、できていれば最初の少年の無謀な攻撃もせずに済んだろう。やれやれ、いくら優秀な魔法使いの血も代を重ねることで薄くなってしまうのはなんとも悲しいことだ』
秋蘭は言われて怒りを覚えるもホイール・オブ・フォーチュンの言っていることが正しいと分かる。
しかし、それは秋蘭を指しての話だ。他の姉妹は自分よりも属性魔法を使えて魔力を弾丸や砲弾、斬撃、矢として放つことができる。
だが、秋蘭だけはできなかった。
少女は魔法使いの素質を十分に持っているというのに初歩中の初歩、魔力を形にして放出することが出来なかった。
「才能が無いのは私だけです。他の姉妹を侮辱するのは止めてください!」
普段は温厚で太陽のような笑顔を浮かべている少女が声を荒げて怒号を吐く。
秋蘭は憤りを露にしておもむろに魔力の出力を数倍にまで跳ね上げる。その余波によって突風が渦を巻き、秋蘭を中心にオレンジ色の魔力が激しく吹き出し、肩まで伸びたオレンジ色の髪が逆立つ。
オレンジ色の瞳に鋭い眼光が灯る。
次の瞬間、この場にいる全ての者の耳に爆発音にも似た轟音が叩き込まれる。
鮮血。
凄まじい衝撃と共に散った血しぶきが後方で見守っている綾斗の頬に付着する。
「秋蘭ああああああああああ!」
綾斗の悲痛な叫びが地下街の通路に響き渡るのだった。