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第73話

 狼のような容姿かと思えば首がキリンのように伸びているアホ面。それが魔獣化したホイール・オブ・フォーチュンの姿だ。そんな格好もつかない、吠えようものなら情けない声で鳴く目の前の魔獣に二人は観察されている。


「お前ヒーローになりたいんだよな?」

「いえ、なりたいんじゃなくてなるんです」

「そうか。なら、さっきの戦い方はなんだ? お前、あのまま真っ向から殴り掛かって本当に勝てると思ってたのか?」

「それは……」

「せっかく魔力の出力が上がったんだから『空間捻動』の魔法を強化すればいいのに」

「んー」


 秋蘭は綾斗に言われてから初めて気付く。いや、そんな単純なことを思いつかないほどに秋蘭は怒りに身を任せ過ぎていたのだ。それだけ姉妹を侮辱されたのが嫌だったのだ。自身の大切な存在にして憧れの存在たち。


 思い出しただけでまた腹の底から怒りがこみ上げてくる。


 そんな秋蘭を他所に綾斗は至って冷静に指摘する。


「奴の魔法の正体は分かってるんだ。あの輪っかさえどうにかすればこっちの勝ちだ」

「そんなの言われなくても……分かってますよ」

「ならどうして輪っかをどうにかする前に突っ込んだ。下手をすれば死んでたかもしれないんだぞ」

「それは……」

「俺が言えた義理じゃないが無茶し過ぎだ。さっきの戦い方じゃ勝っても重症じゃ済まない。お前、身体能力強化と空間捻動以外使えないんだろ?」

「……え、どうしてそのこと……」


 秋蘭の顔から色が無くなっていく。見開かれた目は隠していた真実が露見してしまった人間のように絶望の渦が伺えた。それと同時に戦うための覇気が失われていき、オレンジ色に染まった頭髪が瞬く間にライトグレーに戻っていく。そして、最後には膝から崩れ落ちただタイル張りの通路の床を見ていた。


 綾斗は失敗した。


 秋蘭にとって他の姉妹より魔法を上手く扱えないことが、どれほどの痛みなのかを見誤っていた。


『戦意喪失か。お嬢、この勝負は預けるぞ。そこのフールの小僧!』


 綾斗は突然ホイール・オブ・フォーチュンに怒鳴られ肩をビクつかせる。


『明日、同じ時刻にこの場で同じ状況を作り出す。それまでにお嬢を戦えるようにしておけ』

「待てよ。俺がお前を倒すって言うのは無しなのか?」


 綾斗は挑発するように左手に双魔剣の片割れ――グラムをし、その切っ先を向け、好戦的な笑みを浮かべる。


 しかし、ホイール・オブ・フォーチュンは対抗する訳もなく、アホ面をぶら下げて見透かしたような笑みを浮かべて口を開ける。


『ぬかせ。それは魔力も何も籠っていないただの張りぼてであろう? ここへ来るまでにいったいいくつの境界線を切り、その反動をその身に受けてきた。先程はお嬢を抱えられたようだが、もう立っているのがやっとだろう』

「なんだ、バレてたのか。分かった。秋蘭は俺が何とかする。その代わり、一つ聞きたいことがある」


 ホイール・オブ・フォーチュンは訝し気な視線を送り少年の言葉を待つ。


「お前、秋蘭を主としてもう認めてるだろ?」

『何を世迷言を』

「だってお前、秋蘭のこと『お嬢』って呼んでただろ? そんな呼び方をするのはソイツに仕えている者くらいだ」

『ほう。面白いことを言うな。その言葉の審議、嫌でも明日には分かる。楽しみにしておけ』


 ホイール・オブ・フォーチュンはそう言ってその姿を文字通り消した。輪っかが独りでに動き、魔獣の身体を潜らせるようにして消えたのだ。自身の肉体すら転移させることができるということを最後に示してこの場の戦闘は終わった。


 ほどなくして数多の足音が地下街の至る所から聴こえてくる。


 ホイール・オブ・フォーチュンが放った人払いの魔法が解除されたのだろう。


 綾斗は琥珀に「あとで連絡する。今日はごめん」とだけ言って、覇気を失ってしまった秋蘭の手を引いていち早くこの場から離れることを優先した。


 解決しなければならないことが増えたからだ。


 明日の同じ時間、同じ場所にまたホイール・オブ・フォーチュンが現れる。それまでに秋蘭の抱えているものを少年は理解し、そして、向き合わなければならない。


 そうして一人取り残された琥珀は綾斗と秋蘭の背中を見送ってから大きな溜め息をついて壁にもたれかかる。


「やれやれ、と言ったところかな。まさか秋蘭先輩にあんな弱点があったとはね」

『そうは言ってるけど、琥珀たん知ってたよね。あの秋蘭って人が初歩中の初歩の魔法しか扱えないこと』


 琥珀の背後に黒い霧が立ち昇り、そこから黒いローブに身を包んだ飄々ひょうひょうとした男が現れる。ローブの隙間から覗かせる男の身体は『骨』のみであり、唯一全体が見られる顔は髑髏どくろそのものである。


 死神のタロットカード――『デス』は骨身であるが、まるで漫画やアニメに出てくる太ったキャラクターのような野太い声と鼻を荒くして琥珀の隣に立つ。


 傍から見れば美少女の隣に文字通り死神が並んで立っているように見えるが、人払いが消えて戻ってきた客足の反応はと言うと『無』だ。特に悲鳴をあげるでもなく、一瞥する訳でもなく、少女と死神の前を素通りしている。


 琥珀はもう慣れてしまったこの状況に何も思わなくなり、もう一度大きく溜め息をついてから人ごみに紛れるように静かに帰路についた。


 デスも主の後を追うようにその姿を黒い霧に変え霧散するように姿を消すのだった。

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