時刻は十五時を過ぎた頃。
綾斗と秋蘭は谷坂家のソファーに腰かけながら長い沈黙に襲われていた。
最初は近くの公園で話そうと思ったのだが、外は太陽がその存在を、熱量を大いに振るっているため灼熱だ。いくら風が吹こうとも涼しいのではなく、生暖かくてとても外で話そうなんて気にはなれなかった。ならば喫茶店はどうだろうか? と思ったが話の内容が魔法ということもあり、話すことができる訳もなく、エアコンの効いた室内で魔法の話ができる場所と言えば谷坂家しか思いつかなかった。
伏見邸でもよかったのだが、それを提案した直後、秋蘭が歩く足を止めて目に涙を浮かべ始めたため却下した。
二人の間に漂う沈黙は重い空気となって身体にのしかかってくる。
この空気を作ってしまった張本人である綾斗は、どうして秋蘭のこの世で一番気にしていることを直球で聞いてしまったのか呪いに呪った。戻れるものなら戻りたい。
夏目の話によれば以前ハイエロファントとチャリオットと戦った際は、二人とも命を落とすと言われ、ハイエロファントが時間を逆行させたことで事なきを得たらしい。
らしいと言うのは、そもそも綾斗はこの時のことを全く覚えていない。無かったことになっているため、ハイエロファントの時間操作に干渉できた夏目しか知らないのだ。
「ねえ、綾斗くん……私って魔法使いに向いてると思う?」
意外にも沈黙を破ったのは秋蘭だった。
しかし、その声にはいつもの元気がなければ覇気もない。か細く小さな声だった。
綾斗は慎重に言葉を選ぼうとしたが、いかんせん、綾斗自身が魔法の世界に入ったばかりのため魔法使いの向き不向きなんて分かるはずがない。
だが、強いて言うなら、
「向いてると思うぞ」
少年は言い切った。
秋蘭は自分で質問しておいて綾斗の答えを聞いて目を丸くするも、すぐに表情を暗くして俯いてしまう。
きっと綾斗の優しさから出た言葉だろう、と言う秋蘭の心の声が聞こえた気がした。
「確か『
綾斗は恐る恐る尋ねる。
秋蘭は顔を上げようとしないが頷く。
「『空間捻動』も初歩なのか?」
今度の問いは頷くだけでは答えられないようにした。
すると秋蘭はゆっくりと顔を上げ、ソファーに座りながら三角座りをして自分の太腿に顔を埋める。まさにダンゴムシのようだとは誰も言えず、秋蘭が問いに答えるのを待つ。
「中級魔法です。だけど、姉妹が使う時空間魔法の中では一番等級が低くて簡単にできる魔法です」
「そう言えばお前ら姉妹って皆何かしらの時空間? とか、空間? 魔法使ってるよな」
「それは伏見家の魔法使いが代々時空間魔法に対して高い適正を持っているからです」
「夏目の魔法はなんだっけ?」
綾斗がわざとらしく思い出そうとする素振りを見せると、先程まで沈んでいた秋蘭が嘘のように勢いよく顔を上げる。さながら水平線から高速で登る太陽のようだったが、綾斗は何も言わず秋蘭が答えてくれるのを待つ。
秋蘭は秋蘭でまだ消沈している部分はあれど、大切で憧れでもある姉妹たちの雄姿を語ることができるならと表情を明るくしていく。
「夏目の魔法は『
「物騒な魔法だよな。防御不可能な斬撃とか」
「いえ、防御不可能という訳ではありません」
秋蘭の意外な言葉に綾斗は目を見開く。
「あの時空間切断は確かに原子レベルで対象物を切断することができますが、それは刀身のそれも切っ先に触れている場所だけです。なので、刀身の側面から防げば受け止めることも、弾くこともできます。あとはそうですね……魔法に込めた魔力よりも出力の高い魔力をぶつければ干渉して弾くことができます」
綾斗は「なるほど」と言いながら拍手をする。
初めて夏目以外にちゃんとした魔法の話を聞いた気がする。
魔法の訓練は五つ子が週替わりで行っているが、夏目以外はどれも常に実戦形式で身体に叩き込むというものばかりだった。いや、秋蘭は違った。
秋蘭は確かに実戦形式ではあるが、その都度、綾斗の不足している部分を補えるように適格に助言を行っている。
まるで自分も同じ道を辿ってきたような助言に綾斗は、いつも倒れそうな背中を支えてもらっているような気がしていた。しかし、それがまさか本当に努力の賜物から来るものだったとは思っていなかった。
秋蘭は努力したのだ。
初歩中の初歩と言われた『身体能力強化』を極め、他の姉妹と並んだのだ。
「やっぱり秋蘭は凄いよ」
「え?」
「もう一度聞くけど、秋蘭は何になりたんだ?」
綾斗は真剣な面持ちで秋蘭を見つめて問う。
秋蘭は今までの会話でいつもの太陽のような明るい状態に戻っていた。いや、綾斗がそうなるように話を誘導したのだ。
そのことに気付いていない少女は再び問われた綾斗からの質問に今度は自信を持って答える。
「誰かの笑顔を守るヒーロー!」
秋蘭は言って勢いよく立ち上がる。
どうやら意気消沈していたものが浮上したようだ。それでも、綾斗は秋蘭に聞かなければならないことがある。
秋蘭の掛かる闇。
募る焦り。
その根源を綾斗は理解し共に解決策を見出さなければならない。そして、それができるのは他の姉妹ではない。綾斗だからこそできることなのだ。おそらく、夏目はそこまで示唆した上で綾斗に秋蘭の魔法事情を話したのだろう。
綾斗自身もそこまで分かってくると本当に頭の良い姉を持つと大変だな、とつくづく思う。
早速、綾斗が秋蘭に魔法事情について聞こうとした時、玄関の鍵が開く音が聴こえた。
綾斗は「しまった!」とばかりに目を見開き玄関に通じるリビングの扉を見やる。
魔法の話ができていたのはこの場に、いや、この家に梨乃がいなかったからだ。もし自らの両親を殺した存在がタロット、魔獣であり、それを作り出した張本人の末裔や子孫に当たる者が目の前にいればどうなるかは想像がつく。
「ただいまー! あれ、誰かお客様かな?」
玄関のある方向から意気揚々とした梨乃の声が聞こえてくる。
このまま梨乃が帰ってきてしまえばここで話は終わってしまい、真に秋蘭の悩みを聞いたことにはならず、解決策も見出せないままになってしまう。そんな状態でホイール・オブ・フォーチュンに挑めば負けるのは必然。
綾斗はどうにかして秋蘭と二人で話せる場所がないか検討するが何も思いつかない。
ここで自身の友達の少なさから生じてしまう『話せる場所』の候補の少なさが露見してしまうなんて思いもしなかった。
綾斗が諦めかけたその時、梨乃がリビングに入ってくる。
「ただいまー。あ、秋蘭さん! じゃなかった今は秋蘭お姉ちゃんでしたね」
梨乃がクスっと笑ってから満面の笑みで秋蘭の名を呼ぶ。
次の瞬間、秋蘭は心臓を穿たれたような衝撃を受けた。容姿端麗で中学生と言うこともありあどけなさが全て『可愛い』へ変換された生き物。そんな生き物、もとい、梨乃の満面の笑みで、且つ、お姉ちゃん呼びなんてされれば誰でも顔を真っ赤にして変気を起こしそうになってしまう。
秋蘭は勢いよく立ち上がり梨乃を凝視する。
「綾斗くん、ちょっと梨乃ちゃんに抱き着いてもいいですか?」
「駄目だ! それはお兄ちゃんにだけ許された特権だ!」
対抗して綾斗も立ち上がる。
「な、ずるいです! 今は私も家族の一員なんですから、綾斗くんよりもお姉ちゃんの私にもその特権があるはずです!」
「駄目だ。この権利だけは俺の物だ!」
「嫌です! 私にも梨乃ちゃんをハグする権限があります!」
梨乃は何を見せられているんだ、と思いつつも綾斗の腰かけているソファーを見やる。
出掛けたはずなのに何も買って来ていない。
いや、そもそも出掛けたから何かを買いに行く、というのは固定概念にも等しい考え方だが、梨乃には分かってしまう。
兄の微妙な反応の違い。
ダサい服の数か所からほつれた糸が飛び出している。
何よりも絶対服を買いに行くように仕向けたのは梨乃本人のため、何も買っていないと言うことは何かあったに違いない。そう結論付けた名探偵梨乃は大きく溜め息をついてから口を開ける。
「私に抱き着く権利なんて家族になった時点で誰でも保有してるんだから、意地悪言わないでよ、お兄ちゃん」
「な、なんだと……それはいつ、誰が、どこで決めた!」
綾斗の目が血走る。
流石のシスコン振りに秋蘭は少し引いてしまったが、梨乃は臆さず軽くあしらうように答える。
「伏見家の養子になった日。私が自分でここで決めたの! まったく、お兄ちゃんは……ほんと、そう言うところだよ!」
「どう言うところだよ」
「ああ、もう女心というものをもう少し勉強して。ほら、秋蘭お姉ちゃんが何か言いたそうにしてるよ」
綾斗は言われて振り返ると確かに何かを言おうとしていた。
しかし、その視線は綾斗と梨乃を行ったり来たりして釈然としない面持ちになっている。
「私がいない方が話やすそうだから、今日は伏見邸にお泊りするね。丁度、冬香お姉ちゃんとゲームする約束してたんだ」
言って梨乃は微笑みながら手を振って予め用意しておいたお泊りセットを手に谷坂家を後にした。
残された二人は安堵の息を漏らしまたソファーに腰かけた。
「梨乃ちゃんは本当に凄いコですね」
「ああ。梨乃は俺と違って頭のできも推理力も父さん譲りだからな」
「お父さん? お母さんじゃなくて?」
「ん? そう言えば言って無かったな。俺に武術やらを教えたのは母さんで、父さんは物事の考え方、特に梨乃みたいな推理力に特化した思考力を教えてくれたんだ」
「なんか意外です」
「だろ?」
綾斗は悪戯っ子のような笑みを浮かべてから再び真剣な表情を浮かべる。
秋蘭も綾斗の表情の変化に呼応するように真剣な表情を見せる。
「私の魔法について話しますね。もう隠す必要もないから」
秋蘭はどこか力の抜けた笑みを浮かべて話し始めるのだった。