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116話 許さない 湯井沢side

 湯井沢side


 アイスが食べたいというのは嘘だった。

 僕はゆっくり歩きながら健斗の指に自分の指を絡める。


 健斗は優しい。

 大丈夫って言ってるのに家族の件で過剰なくらい僕に気を遣ってくれている。

 けれど僕は本当に彼らの転落人生に興味はない。そう思わせてくれたのは健斗だった。

 それなのにニュースを見てからチラチラと僕の様子を伺うものだから、業を煮やして外に連れ出したのだ。


 少しは気分転換になるかと散歩がてら歩いていたのに目の前には見覚えのある人影。

 ああ、ほんと勘弁して。


「渡」


 万が一にも健斗に何かされないようにあいつに向かって一歩踏み出す。無表情に見えたが僕と目が会った途端、さっと赤みを差した頬が気持ち悪い。

 子供の頃は仲良くしてたのに、渡はいつから僕にこんな歪んだ感情を持つようになったんだろう?

 ……初めておかしいと思ったのは中学生になったばかりの頃だ。あんなに僕を虐めて来たのに一緒にお風呂に入りたがったり、やたら体を触るようになったり。

 ある日、僕の写真にこっそりキスをしているところを見てしまい、家を出る事を決めたのだ。

…あれからもう十年近く経っている。「若気の至り」と恥じているだろう事を信じていたのに、思ったより粘着質な性格だったらしい。


 少しずつ近づいて来る相手から健斗を庇うように立ちはだかる。…大体「二人で暮らそう」ってなんだ。暮らすわけないだろ。


 そうしているうちに渡の体勢がすっと低くなった。走って来る?もしかして抱きつかれるのか?

僕は弾き飛ばされないようグッと体に力を込める。……だが、その視界は健斗によって遮られた。


 なんで?何してるんだ?健斗…

 その直後、激しい衝撃があり、渡の息遣いがすごく近くで聞こえた。


「……健斗?」


「……じっとしてろ」


「なんで?」


 その問いに返事はない。僕は焦れて健斗の腕から逃れようとした。だがガッチリと抱き込まれて解けない。


「うわあああああああああああああ」


「えっ?なに?!」


 渡の絶叫が響いた。


 絶望とも喜びとも諦めとも聞こえるようなその声は鳥肌が立つほどの恐怖だった。


「健斗!離せ!」


 僕は健斗の腕を押し退けた。けれど健斗のその体は力をなくしずるりと崩れ落ちる。


「……なに?」


 視界がクリアになった時、一番初めに見たのは狂気じみた渡の顔。そして意識をなくした健斗の姿だった。



 その後はまるで悪い夢を見ているようだった。渡の大声に何事かと顔を出した近くの住人を捕まえて、救急車を呼んで貰った。そしてシャツを脱いで健斗の腹に刺さった包丁を固定する。


昔、健斗に会いたくて病院の色々なイベントに参加した。この応急処置の知識はその時のものだ。

僕のすべては健斗に繋がっている。僕のすべては健斗のものだ。


ふと視線を感じてふり向くといつの間にかパトカーが到着しており、渡が警察官に拘束されていた。

うつろに僕を見つめるその顔を踏みにじる勢いで睨みつける。渡の顔が苦痛にゆがんだ。



一方的なお前の気持ちは一生だれにも理解されないよ。

そうして苦しんで苦しんで一人で最後を迎えろ。


お前だけは絶対に何があっても許さない。






「浩之くん!」


 誰かに名前を呼ばれ、僕はゆっくりと顔を上げた。

 そこにいたのは健斗の家族だった。


「申し訳ありません……」


 僕は椅子からずるりと這うように地面に降りて、そのまま土下座をした。

 みんなの顔は見えないが息を呑む様子が伝わって来る。


「ひろくん立って」


「ひろくん!」


 あ、これは双子たちの声だ。

 大事なお兄さんを大変な目に合わせてごめんなさい。

 もし万が一のことがあったらどうしよう。

 僕は歯が鳴るほど震えていた。


「とにかく座って話を聞かせてくれるかな?」


 お父さんが優しい声で僕の背中を撫でた。やめて欲しい。そんな風に労われる資格はないんだ。


「僕の家族にかかわったばっかりに健斗がこんな目に……」


 普通に話しているつもりなのに声が上擦って出てこない。知らないうちに泣いてたようで床のタイルには水たまりができていた。

 脇から支えられて椅子に座った僕は途切れ途切れに状況を説明する。さっき警察に話した時の千倍つらくて涙が止まらない。

 声が出なくなるたびにお母さんや双子たちに手を握られたり背中をさすられたりした。


「話してくれてありがとう。今は健斗の無事だけを祈ろう。あの子は凄い強運の持ち主だし体力もあるから大丈夫だよ」


「お父さん……」



 でも

 もし万が一のことがあったら……

 その時は一緒に……



「お待たせしました」


「先生!健斗は……!」


 家族の待合室に医師が現れた。

 みんな椅子から一斉に立ち上がり、駆けよる。


「大丈夫です。麻酔が切れたら目も覚めるでしょう」


「ああよかったあ!」


 双子たちが飛び上がってハイタッチをしている中、お父さんとお母さんは大号泣だ。


「最初の処置が良くて内臓の傷が僅かだったのが不幸中の幸いでした。しっかりと体も鍛えておられたので筋肉が厚かったこともあるでしょうね」


 そうか。あのいつもの筋トレは無駄じゃなかったんだな。そんなどうでもいいことを考えて、僕は泣き笑いをした。


「いつ頃会えますか?」


「ICUにいるので外からなら様子を見られますよ。麻酔から覚めるのは明日になると思うので、一旦帰宅されて入院の準備をして来てください。必要なものに関しては……」


 お母さんが持参するものについての説明を聞いていると、海ちゃんと空ちゃんが僕の両隣にやって来た。


「ひろくんもお兄ちゃんに会いに行くよね?」


「……行ってもいいの?」


「いいに決まってるだろう!浩之くん!」


「そうよ!ひろくん置いて行ったらお兄ちゃんに一生恨まれるわ!」


「もうひろくんは家族なのよ?変な遠慮しないで。あなたは何も悪くないわ」


「……お母さん」


 こんないい人たちにこんなに辛い思いをさせるなんて…


「では健斗さんの所にご案内します」


 僕たちは看護師さんの後をついてエレベータに乗り、集中治療室にたどり着く。

 窓越しに見る健斗はたくさんの管に繋がれて目を閉じていた。


「健斗……」


「お兄ちゃん眠ってるね」


 僕はガラスに手を当てて健斗に話しかけた。早く目が覚めますように。そしてまた元気に一緒にいられますように。


「……あ」


「どうしたの?ひろくん」


「いま、動いた」


 確かに指先がぴくりと反応した。



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